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「我欲」と「夢の 毒」が、人間を殺す。


上記文抜粋
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ヤマ・ニヤマに従って、自分に正直に生きる人は圧倒的に少数派 〜 正しい道を歩いている人は、パンデミックによる集団形成が起きた時であっても、それを強く跳ね返すことができる

竹下雅敏氏からの情報です。

 マティアス・デスメット教授は、ベルギーのゲント大学の心理・教育科学科の臨床心理学教授です。
2021年10月11日の記事で、「なぜ多くの人がこの物語を信じているのか?」と題するパンデミックによる「集団形成(mass formation)」の話を紹介しました。

マティアス・デスメット教授は、“集団形成には、

「社会的な絆の欠如」

「意味づけの欠如」

「自分ではコントロールできない種類の不安」

「特定の対象や原因に向けることができない不満や攻撃性の欠如」

という4つの条件が必要で、これらの条件が揃った社会では、マスメディアを通じて不安の対象に対処するための戦略が提供されると、人々はその戦略に従うこと、参加することに大きな意欲を持つ”と言っていました。

また、“そのシナリオ自体が絶対に不条理なものであっても、これが、ある種の精神的なつながりの酩酊状態をもたらし、物語を信じ続ける”と言っていました。

1月8日の記事では、“洗脳されていない30%の人々がポイントで、「発信を続ける事」「全体主義の自壊まで耐え忍ぶこと」が重要だ。”というマティアス・デスメット教授の見解を紹介しました。 
冒頭の動画の12分42秒の所で、マティアス・デスメット教授は、“何らかのグループに属するのではなく、自分に正直に生き、何らかの倫理的法則に従って、大衆形成が起きた時であっても、それを強く跳ね返すことができるのです。…今見てみると私の環境で引っかからなかった人というのは、これらの人たちは、私の意見では、最も誠実な人たちでした。…そして正直であるということです。”と言っています。
 マティアス・デスメット教授の言う「何らかの倫理的法則」が、ヤマ・ニヤマであることは、時事ブログの読者の方であれば明らかでしょう。
 ツイート動画でマティアス・デスメット教授は、“「マス」形成は最終的に自分を滅ぼします。全体主義も最終的に滅びます。…あなたを滅ぼす前に、「マス」は自分で滅びます。それを実現するには、あなたが発言し続ける事です。発言し続ける事で「マス」があなたに浸食しない。あとは待つだけ。マスが弱っていくのを。マスが弱ると、スモールが台頭してきます。そこで社会を変える事ができるのです。これはいい話。スモールグループはとても急激な心理的進化を経験するからです。精神面でとても強くなります。何故なら、マスが人間性を失っていく様子を目の当たりにしているからです。スモール(少数派)は、その道が正しければ、どんどん人類の本質や命・人生の本質に触れるようになります。”と言っています。
“スモールグループはとても急激な心理的進化を経験する…その道が正しければ、どんどん人類の本質や命・人生の本質に触れるようになります。”と言うのは、霊的進化と言っても良いでしょう。
 1月8日の記事のコメントで、“「集団形成」の負の側面をプラスに転換できた人が本当の勝者であり、「家族の絆」「自然との絆」を深めると良い”とアドバイスをしました。
 自分に正直に生きる人は圧倒的に少数派なので、社会で孤立しがちです。しかし、それは、その人が正しい道を歩いているという印です。
 自分の意見や立場を、説得して分からせようとしないことです。1000人のうちの1人に届けばよいと思えば、気が楽でしょう。
 人を説得する事よりも、ずっと大切なことは「自分自身を知ること」です。
(竹下雅敏)

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抜粋終わり

「特定の対象や原因に向けることができない不満や攻撃性の欠如」

絶対に「特定の対象」にしてはいけないとされるのが、日本のカルト王天皇。

それを誤魔化すために・・

「社会的な絆の欠如」

「意味づけの欠如」

「自分ではコントロールできない種類の不安」

を、マスコミと学校教育で叩きこむ。

これが「人間牧場日本列島」なのである。

まずは、天皇家の皆殺しOR天皇廃止が、日本人復活の第一条件。

続いて抜粋
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マティアス・デスメット

転載元) Wikipedia

マティアス・デスメット(1976年)は、ヘント大学精神分析・カウンセリング心理学科で臨床心理学の教授を務めています。心理学の博士号と統計学の修士号を取得している。専門は精神分析。

デスメットは、コロナ危機の際、全体主義への一歩だと説明し、この措置に反対を表明した。国際的には、米国のオピニオンメーカーのタッカー・カールソンや陰謀論者のアレックス・ジョーンズと物議を醸すようなやり取りをした。

(中略)

集団形成、全体主義、機械論的人間観と世界観


2022年、フランドルの出版社ペルクマンスがデスメットの著書『全体主義の心理学』を出版した。フランスの医師で心理学者のギュスターヴ・ル・ボン、ドイツの哲学者ハンナ・アーレント、フランスのポスト構造主義者フーコーの研究を基に、大衆がいかに全体主義に屈服するかを論じたものである。

(中略)

特定の状況下では、大衆形成のプロセスが起こりうる。すなわち、自分の言説を狂信的に信じ、それに反するものはすべて無条件に拒絶するのである。ここで注目すべきは、大衆のリーダーもまた、この対象となることである。デスメットによれば、不安、うつ、無意味が一般的な社会では、集団形成が容易に起こりうるという。ここでデスメットは、コロナ・コミットメントとの関連性を指摘する。デスメットによれば、多くの西洋諸国におけるコロナ危機の処理は、大衆形成がいかに非合理的な集団的・個人的決定をもたらすかを示す一例である。コロナ危機の対策をファシズムの台頭やホロコーストになぞらえている。

(中略)

タッカー・カールソンとアレックス・ジョーンズを訪ねて


ロバート・W・マローンを通じて、デスメットの集団形成に関する考え方がアメリカで知られるようになった。2022年9月には、FoxNewsのタッカー・カールソンや、InfoWarsの陰謀論者アレックス・ジョーンズにそれらを説いた。後者では、米国における真の全体主義の危険は、ドナルド・トランプではなく、ジョー・バイデンにあると主張し、バイデンのトランプ支持者に対する「悪魔化」は、ナチスのハンドブックからそのまま出てきたようなものだと述べた。

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抜粋終わり

後者では、米国における真の全体主義の危険は、ドナルド・トランプではなく、ジョー・バイデンにあると主張し、バイデンのトランプ支持者に対する「悪魔化」は、ナチスのハンドブックからそのまま出てきたようなものだと述べた。

トランプ支持者も「だいぶダメ」なのは間違いないが、どう考えても

バイデンのトランプ支持者に対する「悪魔化」は、ナチスのハンドブックからそのまま出てきたようなものだと述べた。

は間違いない。

安倍晋三氏が反対派に「あんな人たちに負けない」とか、ヒラリークリントンが「トランプ支持の残念な人たち」ってのが、それ。


より

上記文抜粋
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非モテが「男女平等なんて夢」と暴れ回る切実事情

世界中で問題になっているインセルとは何か

インセル(非モテ)とは何ものか

近年、非モテ(Incel)の存在が注目されている。インセルたちの反逆や暴力という現象が国際的な社会問題になってきたからだ。

IncelとはInvoluntary Celibateの略語である。望まない禁欲者、非自発的な独身者、というような意味だ。もともとはカナダの女性がウェブ上で用いた言葉で、当初は女性嫌悪やアンチ・フェミニズムなどの意味合いは含まれていなかったという。

しかしやがて、非モテを自覚あるいは自称する当事者男性たちが、匿名掲示板などでインセルという言葉を積極的に用いるようになった。彼らの言動は、女性憎悪、暴力肯定、人種差別などと深く結びついてきた。

ひとまず重要なのは、インセルたちは必ずしも経済的な貧困層に属しているわけではないし、あるいは政治的マイノリティであるとも限らない、ということだ。インセルを語る上では、彼らの独特な孤独感、尊厳の傷つきや剥奪感がポイントとなる。

ちなみに拙著『非モテの品格──男にとって「弱さ」とは何か』はまさにタイトル通り、インセルにとって尊厳とは何か、という問題を自分事として試行錯誤するものだった。

インセルのカリスマ的存在とされるのが、エリオット・ロジャーである。2014年5月23日、米国カリフォルニア州アイラビスタで起きた銃乱射事件の犯人だ。

ロジャーはYouTubeに犯行予告動画を投稿、犯行声明文(自伝)を家族や知人、療法士に送信したあと、事件を起こし、6人を殺害、13人を負傷させ、直後に自殺した。享年22歳だった。

ロジャーはその長大な声明文において、白人のブロンド女性と交際したいのに相手にされない、女性たちがヒスパニックや黒人の男性と付き合っているのが許せない、などと主張した。

またアレク・ミナシアン(犯行当時25歳)は、2018年4月23日、カナダのトロントで、車を暴走させ次々と歩行者をはねた。10人が死亡、15人が負傷した。

ミナシアンは犯行直前のフェイスブックへの投稿で、エリオット・ロジャーを称賛・崇拝し、インターネットの女性蔑視グループにこう言及している──「インセルの謀反はすでに始まっている! すべてのチャド【モテる男性のこと】とステイシー【モテる女性のこと】を倒してやる! 最高の紳士エリオット・ロジャー万歳!」「インセルの反逆はもう始まった。チャドとステイシーの支配を打倒せよ! 偉大なるエリオット・ロジャー万歳!」。

インセルたちのジャーゴン(仲間うちだけで通じる特殊用語)の一つに、ブラックピル(黒い錠剤)を飲む、というものがある。自分がインセルであると覚醒する、という意味である。由来は、アンチ・フェミニズム的な人々が用いた「レッドピルを飲む」という言葉にある。

これは映画『マトリックス』で、主人公のネオ(キアヌ・リーヴス)が青いピルと赤いピルのどちらを飲むか、と反乱軍のリーダー、モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)から選択を迫られるシーンに関係する。青いピルを飲むなら、ネオはもとの冴えない日常に戻らねばならない。一方で赤いピルを飲むと、この世界は機械と人工知能によって支配された仮想的な世界にすぎなかった、という「真実」に覚醒する。

映画の中の暴かれた「真実」の世界においては、人々は機械につながれ、家畜や栽培植物のように電気エネルギーをしぼり取られ、偽物の現実の夢を強制的に見させられている。

つまりインセルたちは、男女平等なんて夢=理想はフェイク(偽物)であり、男性たちが強いられた非モテという過酷な現実こそが「真実」である、男たちはブラックピルを飲んでその「真実」に目覚めねばならない、と呼びかけたのである。

「ダークヒーロー」としてのインセル

こうした国際的な動向の背景には、何があるのか。有名なアクティヴィスト、フランコ・ベラルディは、『大量殺人の〝ダークヒーロー〟──なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?』(杉村昌昭訳、作品社、2017年、原著2015年)の中で、パリの同時多発テロ、コロンバイン高校の銃乱射事件、ヴァージニア工科大学のチョ・スンヒによる銃乱射事件など、世界中の銃乱射事件や大量殺傷事件について分析した。

ベラルディによれば、彼らの行動は「スペクタクル的【見世物的、劇場的──引用者注】な殺戮を伴った自殺」のようなものである。つまりそれは、現代的な「絶対資本主義」(金融資本主義)がもたらす絶望への「痙攣的」な反応なのだ。その意味で、彼らの大量殺人は「われわれの時代の主要な傾向を、極端な形で体現」している、とベラルディは述べる。

古典的なタイプの大量殺人者たちは、他者の苦痛を求めて快楽を得るサディスト的な特性を持っていた。しかし、現代の大量殺人者たちにとって、殺人とは「自分を世間に知らしめたいという精神病理的な欲求」の「表現」であり、自殺は「日常の地獄から脱出を図る方法」である。

ベラルディは、現代は「ニヒリズムとスペクタクルの愚かさの時代」である、と論じる。現代の「ダークヒーロー」たちの大量殺戮的な犯罪は、映画と観客、虚構と現実の境界線を消滅させ、うんざりするような愚かしいスペクタクルの中にすべてを溶かし込んでしまう。

スペクタクル社会(ギー・ドゥボール)の新たな段階としての絶対資本主義において、人々はいっそう現実から疎外(=人間らしさの本質を失うこと)されるようになった。まさしく『マトリックス』や『ジョーカー』のように、である。

大量殺人者たちの「自己表現」

現代の「ダークヒーロー」たちは、大量殺戮という自滅的な表現行為によって、疎外から脱してリアリティ(現実性)を回復しようとする。このとき彼らは、大量殺人をほとんど現代アートのように行っているのだ。

ベラルディは、現代の金融資本主義の暴力──それゆえに再生産される大量殺人者たちの「自己表現」──を何らかの政治的処方箋によって解決しようとすることは不可能だ、とも述べている。

インセルやダークヒーローの暴力に対して、この社会は政治的に何もできない。かろうじて為しうるとすれば、それは「アイロニー」(皮肉)の戦略だろう、という。つまり、滑稽で悲惨な現実に対してアイロニーを貫くことによって、精神の自立をぎりぎり維持すること。もう、それくらいしかできないだろう、と。
インセル的な反逆の暴力は、一部の極端な大量殺人者たちだけの問題ではない。たとえば精神科医の熊代亨によれば、「何者かになりたい」「何者にもなれない」と深く悩んだ人々が、新しい生き方や稼ぎ方を体現するかにみえるインフルエンサー(影響力の大きい人)のオンラインサロンにハマっていく(「『何者かになりたい人々』が、ビジネスと政治の『食い物』にされまくっている悲しい現実」『現代ビジネス』)。

ところが、そこで本当に実用的な技能やコネを得られる人間は、あくまでもごく少数で、多くの人々は「有名な○○の身内である自分」という一時的な高揚感を得られるだけだという。それほどまでに「何者にもなれない」というアイデンティティの空洞は深い。

どんなに地道に働き真面目に生きたとしても、給与面はもとより、社会からの正当な評価や承認を得られず、切り捨てのような扱いを受けるだけではないか。だとしたら、チート(ズル)で楽な生き方をした方が合理的だろう。オンラインサロンにハマる人々の背後には、そうしたニヒリズムがある。

地道な成長も努力も不要な「論破」

あるいはいわゆる「論破」も、インセルにとっての暴力のように、持たざるものたちの武器であり、リベラルエリート社会に対する叛逆という側面があるのかもしれない。

論破とは、たとえ教養や知性がなくても、ある種の話法と自己暗示さえあれば、文化人や年長者に「勝利」できる、というテクニックのことだからだ。

重要なのは、他者の「論破」のためには、地道な成長も努力も不要である、ということだ。だからこそ、論破という叛逆は、生まれたときから何かを奪われている者、努力も成長も望めない者たちにとっての、チートな武器になりうるのである。

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抜粋終わり

まあ、私もインセルだが、相手あっての話だし。

そもそも変な女性{ツイフェミ・壺女・パワハラ女}に引っかかるよりも、ずいぶんマシと思っている。

まあ、ベターでもそれほど良くないのベターな選択を続けた結果と思う。

まあ、犯罪者にもならず、殺されず済んでいるし・・・

で、

あるいはいわゆる「論破」も、インセルにとっての暴力のように、持たざるものたちの武器であり、リベラルエリート社会に対する叛逆という側面があるのかもしれない。

論破とは、たとえ教養や知性がなくても、ある種の話法と自己暗示さえあれば、文化人や年長者に「勝利」できる、というテクニックのことだからだ。

この論破って、私は「虚しい」とおもっている。

正しい事なら論破は無用だし、正しくないことを論破しても、あのセレブ・リベラルエリートがその是正に動いたわけでもない。

彼らも一種の「マス」で「夢の呪い」で、「自分は選民様」と思い、「不幸にもできなかった人」たちを「残念なあの人たち」と侮蔑する。



まあ、そういう下種連中なんで、論破するよりも「その社会的地位や肉体を破壊した方がいい「天皇やその閨閥」のような奴ら」を抹殺した方が、より効率的で効果的で、気分爽快なのです。

そもそも「経済格差が広がりすぎると、社会が衰退する」って当たり前の事や「境遇が不安定なら不安定な生活になり不安定な行動に走る人間が大量発生する」ってことすら、このリベラルエリートって賢いはずの大馬鹿野郎たちには理解できない。

こんなやつらは論破するよりも、その中で悪質で責任の重い奴の肉体を破壊し尽くした方が、よほど効率的で効果的なのです。
まあ、一言でいうと

「革命して粛清する」

のですは。


「我欲」と「夢の呪い」のコンボが、社会を人を殺しているのですはね。

まあそれでうまい汁すすっている天皇とその閨閥や欧米金融セレブ&王侯貴族も、その呪いで、自分たちも発狂し「共食い」への道を爆走している。

まあ、日本人は生き延びたいのなら・・

天皇家を殺し尽くして 日本人を守る

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

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