そりゃ、進んで精神疾患になるのが選民思想だから、そりゃ、ダメだは。


そういえば・・・


より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・

タルムード・ガザの子供を殺すことについて良心の呵責を感じないイスラエル人の背景
2020年。イスラエルのパレスチナ人迫害は一向にやまない。アメリカはイスラエルを全面的に支持しており、国連決議は無視しパレスチナ人への迫害を容認している。日本は見て見ぬふりでイスラエルやアメリカに反省を迫ることは皆無

★‘2014-8-3「木霊の宿る町」

どうしてイスラエルがこのように残酷なことを行えるのかと疑問に思われているかもしれない。そういった疑問はユダヤ教徒の生活の基となっているタルムードを知ることによって氷解するであろう。たとえば、2012年11月のイスラエル・ハマスの停戦時にイスラエルはガザの封鎖を緩和すると約束したが今日に至るまで約束を守ってこなかった理由とかパレスチナ人の財産を奪い続けてきた理由とかも分かるようになるだろう。

もっともそんなことが分かる前に、タルムードを読み進むあいだに心やさしきあなたは気絶してしまうかもしれないのだが。

余談

二十五年ほど前、オノマの次女はトロントで裕福なユダヤ人の子が多い高校に通っていたのだが、あるとき日本で買ってきた文具がなくなった。ほどなくしてユダヤ人の生徒が持っているのを見つけて返せと云った。返してもらえなかったので担任の先生に訴えたところ、この先生もまたユダヤ人だったのか、返す必要はないと申し渡された。次女はカナダが嫌いになった。

そういうことがあったと聞かされたのはかなり時間がたってからだったのでオノマが出張るタイミングは失していたのだが、この小さな窃盗事件もタルムードを知っていればある種の納得がいくし、またオノマが出張っていったとしても娘の文具を取り返すことはできなかったかもしれないと思う。

ユダヤ教タルムード:★神の選民
●世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、 他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼等はことごとく空皮 に過ぎざればなり。
●神言い給う、我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあ らず。人間なるイスラエル人の爲に遣わしたるなり。

●人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。
●もしイスラエル人無かりせば、この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八 に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば、天の諸星も昇らざるべし。これエ レミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申 命記二八の一二に記されたる如し。

●選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさわしく、他の国人はロバに等し。
●「汝は主なる汝の神が汝に与え給いしすべての民を喰い尽くさん」との文句(申命 記七ノ十六)は、今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。すなわち、 すべての民を喰い尽くし、すべての民より掠奪することは、彼等すべてが吾等の權力 下に置かれる時に始まるべし、と。

●神はユダヤ人にすべての方法を用い、詐欺、強力、高利貸、窃盗によってキリスト 教徒の財産を奪取することを命ずる。
●メシヤ來る時代において各ユダヤ人は、エジプトより出で行きたるイスラエル人の 数に等しき数の子孫を持つべし。エジプトより出で行きし者六十万人なれは、各ユダ ヤ人はメシヤの時代の間に六十人の子を持つべし。

●レヴィ法師教えて曰く、神が世界の諸々の民を裁き給うは、彼等が罪の中に眠れる 夜の間においてなり。しかもイスラエルを裁くには、彼等が掟を学ぶ昼においてこれ をなし給う。

★ラビ(法師 律法学者)とタルムード

●吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるも のなり。
●律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に記された言葉は常に重要 である。

●掟の言葉より法師の言葉を敬え。
●汝知るべし、法師の言葉は予言者の言葉より美し、と。
●教法師を畏るるは神を畏るるなり。
●教法師の言葉は、生ける神の言葉なり。

●教法師の日常の言辞も、誡律同様に重んずべきなり。
●もし法師、汝の右の手を左の手と言ひ、左の手を右の手と言ふとも、彼の言葉に違 ふべからず。
●タルムードの決定は、生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは、 現世のラビに意見を聞き給う。

●神は夜の間にタルムードを学び給う。
●天上にも地上と同じき数の高等なる学園あり。神もそこにて熱心にタルムードの研 究に従事す。

●天上に於て困難なる問題の生ずる時、主なる神この世の法師等にも諮問し給う。
●法師の言葉を嘲る者は、地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。

●ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも、さらに悪い。

●ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである。

●トーラを学ぶゴイは死罪に当る者なり。
●神はユダヤ人の魂六十万を創り給えり。聖書の各節は六十万の解釈を有し、各々の 解釈は一の魂と関係あればなり。

★ゴイム・異邦人・偶像崇拝者

●なんじらは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。
●汝等イスラエル人は人間なれど、他の民族は人間に非ず。彼等の魂穢れし霊より出 でたればなり。

●イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものな れば、豚と呼ばるるなり。
●イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れど他の諸族はアダムと呼ばるるこ となし。
●悪魔と世界の諸民族とは、畜獣に数えらるべきなり。

●犬は異邦人より勝れたるものなり。
●聖書に「隣人」と記されたる個処はいづれも非ユダヤ人を含まざるなり。
●神を畏るる者は悪しき人(非ユダヤ人)を憎むべし。
●レビ記十九章十一節には、汝は汝の隣人に不法を為すべからず、と記されたり。こ の文句は、ゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。

●ゴイが住んでいる家を見て、人はこう言った。〝神は傲慢の家を亡ぼすだろう〟。 そして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。〝復讐の神が顕現されたのだ〟

●汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ、ノアの 子等、異教徒はイスラエル人にあらず。
●神はイスラエル人を審くには立ちてなし、尋問も簡単にして速かなり。世の諸民族 を審く時は坐して、嚴格に長々と取調べをなす。

●「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど、 人々はこれをなほよく熟考しまた味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時、 イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが、他の民は掟を受 入れざりしによりこれ等の美点を全く有せざるなり。
●イスラエル人は、他のすべての民に対し優越する者なり、他の諸族の中には賢く利 き者唯一人も居らざるに、イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。
●一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く、また神 によって悦ばるるところのものなり。

●ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人が ゴイを殺すも責めは負わず。
●悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは、正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬな り。
●ユダヤ人も非ユダヤ人の判断に信を置く事を、非ユダヤ人をして知らしむべからず。

●ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。

●拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は、ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにし て、ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち、 「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして、ゴイの失える物 は然らず。その理由は、ゴイは神に属する者に非ずして、地の邪神に属する者なる故 なり。故にゴイの失える総べての物は、此の世にては再び見付けらるる事なき遺失物 にして、その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく、他の 民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが 如し」と。

●ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽、住居、田園は不潔である。
●九歳と一日以上のゴイの少年と、三歳と一日以上の少女は、不潔とみなされる

●他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの 遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。
●ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には、その責任を負うべきであるが、ユダ ヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。

●〝盗賊〟という言葉の解釈。ゴイは、ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと、 盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だが彼(ユダヤ人)はゴイに禁じ られているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。

●安息日には非ユダヤ人の焼きたるパンを食すべからず。非ユダヤ人に公衆浴場を貸 すべからず。
●すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を 屠ることを許さる。
●ユダヤ女を求め得る場合には、異邦女の乳を幼児に吸わしむべからず。異邦女の乳 は心眼を閉ざし、悪しき性格を形成するが故なり。

●偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど 彼等が危険に面しまた死に瀕せりとて彼等を救うことは許されず。例えば彼等の一人 水に落ちたる時、報酬ある場合と雖も彼を救い上ぐべからず。また彼等を瀕死の病よ りも癒すべからず・・報酬ある場合と雖も。しかれども吾等と彼等の間に敵意の生ず るを防止する為ならば、報酬無き場合にも彼等を救出しまた癒すことを許さる。しか れども偶像を拝む者、罪を犯す者、掟と預言者を否む者は、これを殺すべし。而して 公然と殺すを得ば、その如くなせ。しかするを得ざる場合には、彼等の死を促進せよ。 例えば彼等の一人井戸に落ちたる時、その井戸に梯子あらば、これを取去り、直ちに 再び持来るべしとの遁辞を用い、かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道 を奪うべし。

●アクムと奴婢の死はこれを悼むことなかれ。彼等の葬式の列に加わる事なかれ。
●無事平穏のためならば、非ユダヤ人死者を葬い、その遺族を慰問するも差支えなし。 非ユダヤ人の墓所は祭司を汚れしむる事なし。然れども彼処に赴かざる方更によし。

●レビ記十九章十三節には、汝は汝の隣人に不法を為すべからず、と記されたり。こ の文句はゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。
●非ユダヤ人の証人たることろの証書はすべて無効なり。
●成人せる非ユダヤ人奴隷は、牧者なき家畜の如し。
●總べてゴイは月經時の子にして、根絶さるべきものなり。

●キリスト教徒は異教徒なり。

●改宗してユダヤ人となれる者は、同様にユダヤ教に改宗せるその母あるいは伯母と 婚姻するも差支えなし。改宗者は新たに生れたる者と見做され得る故なり。

●二十四項の罪あり。これに触るる者は除名さる。例えば第八項、その地所を非ユダ ヤ人に売りたる者、第九項、非ユダヤ人法廷においてその隣人(即ちイスラエル人) に対し不当なる証言を為せる者、等。
●非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変 節者(背教者)、キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪しければ、同じく証言を為すを得ず。

●他の宗教に改宗したる者は、盗賊になりたると等し。
●神を拜せざる者の齒は三度毀たるべし。すなわち、一度はこの世において、次はメ シア來る時において、然して最後には來世において。然もイスラエル民族を喰う者の 歯は、二十二エレの長さに伸ぶべし。

●汝知るべし、イエスの教に從がいて迷えるキリスト教諸國民は、その信仰には種々 あれども、ことごとく偶像礼拝者なり。故に彼等は偶像礼拝者相応に扱わるべし。こ れタルムードの説くところなり。
●汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ、ノアの 子等、異教徒はイスラエル人に非ず。
●ゴイ、計算をなして過つ時は、イスラエル人は、我知らず、と言え。しかれどゴイ をして過ちをなさしめんとするはよからず。ゴイ、イスラエル人を試みんとて故意に 過ちをなすことあればなり。

●第五十の誡は、偶像礼拝者を憫む事を堅く禁ず。
●惡しき者(非ユダヤ人)を憫むことは、正しき者(ユダヤ人)に相應はしからぬ事 なり。
●決して偶像礼拝者と事を共にするなかれ。また彼等を憫むべからず。その故は、申 命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非ユダヤ人が生命の危険に瀕するか、 あるいは河に溺るるを見るとも、これを救助することは許されず。

●神を畏るる者は悪しき人(非ユダヤ人)を憎むべし。
●偽善はこの世においては許さる。すなわち、背神者に対し慇懃になし、彼等を敬い、 彼等に向いて「我汝を愛す]と言うもよし。すなわち、必要上止むを得ざる場合、恐 怖に驅られたる場合は然り。

●聖書に「隣人」と記されたる個処はいずれも非ユダヤ人を含まざるなり。
●總べてこれ等の條項(三十箇條のユダヤ信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故 にかかる者を憎むは吾等の義務にして、彼を賎しみ、出來得べくんばその亡ぼしまた 根絶するは當然の事なり。

●キリスト教徒は異教徒なり。彼等、神は血と肉なりと信ずる故なり。
●キリスト教徒は偶像禮拜者なり。彼等十字架の前に跪く故なり。
●カトリック教司祭が手に持つ銀の十字架及び香を焚く香爐は偶像礼拝に属するもの なり。

●他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども、真の人間に比ぶれは模造に過ぎず。 彼等は、ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く、劣等なる種類の人間なり。こ れに対しイスラエル人はアダム(人間)なる語の真の意味における高き価値ある人間 にして、この故にまた単に人間とも呼ばるるなり。<シメオン・ハダルサン法師>
●平穩無事を希う為に涜神者を慇懃に遇する者も、彼に関し善き事を語るなかれ。ま た鄭重なる態度を示す際にも、注意して涜神者を真に尊敬するものなりと人々の信ず る事なきよう心せよ。一般に慇懃を示す際には、その者の真の功績の故にあらず、彼 の富すなわち彼の幸運の故にかく為すというが如くせよ。然しいずれにせよかかる事 は罪にして、涜神者に慇懃になす事は、涜神者勢力を得て我々を害しあるいは我々に 損害を与うる恐れある場合のみに許さるるなり。ただし人間(ユダヤ人)の問題にて 涜神者を襃め、彼に関し善き事を言うべからず。

●偶像礼拝者は畜獣と呼ばるべきものにしてただ最広義においてのみ人間と呼ばれ得 るに過ぎず。
●イスラエル人は人間と呼ばる。然れども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれ ば、豚と呼ばるるなり。
●割礼を受けずまた安息日を守らざる者は人間に非ず。

●偽善はこの世に於ては許さる。即ち、背神者に対し慇懃に為し、彼等を敬い、彼等 に向ひて「我汝を愛す」と言うもよし。すなわち、必要上止むを得ざる場合、恐怖に 駆られたる場合は然り。

★財産と所有権

●非ユダヤ人はイスラエル人の財産に対し所有権を有せず。
●ゴイの財産は主なき物品のごとし。
●ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する。
●ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉となるだろう。
●ノアの息子は小銭たりとも盗めば死罪に処せらるべきであるが、イスラエル人がゴイに損害を負わせることは差支えなし。なんじの隣人を傷つけるなかれとは書いてあ るが、ゴイを傷つけるなかれとは書かれていない。

●ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが、[ユダヤ人が]ゴイ に返すことは禁じられている。

●ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみこれを取るべし。 而してかかる取引は使者をしてこれをなさしむべし。使者ならば、かく為しても、罪を犯したるには非ずして、戒律もまた遵守されたるなり。
●タルムードの誡において神は命じて曰く、ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべ し、と。これ、彼等が借りたる金により利する事なからんため、かつまた、我等が金錢にて彼等に助力を與うることなく、むしろ損害を與えんがためなり。
●拾得物をゴイに返却せんと思うは罪なり。コイの紛失せる物は、これを己が所有となすも差支えなし。「汝の兄弟の物は総べてこれを返却せよ」とタルムードに記され たる故なり。然るにゴイは兄弟に非ざる故に、拾得物を彼に返却する者は罪を犯すなり。

●葡萄園にて草食う牛を発見せし人は、それを所有主に牽き行くべし。但しその葡萄 園が非ユダヤ人の所有なる時は、かく為すに及ばず。
●非ユダヤ人が平常居住徘徊する場所において遺失物を発見せし時は、これを返却するに及ばず。
●非ユダヤ人の失いたる物は、拾得者これを己が許に留め置くべきのみならず、返却 することを禁ぜらる。その理由は、申命記の二十二章一節には「汝の兄弟の失いし物 は返却すべし」とあればなり。但ししばしば非ユダヤ人の物を返却し、あるいは盗難 より免れしむるを要する場合あるも、そは無事平穏を期する時のみなり。

●拾得物をゴイに返却せんと思うは罪なり。ゴイの紛失せる物は、これを己が所有となすも差支えなし。『汝の兄弟の物は總べてこれを返却せよ』とタルムードに記され たる故なり。然るにゴイは兄弟に非ざる故に、拾得物を彼に返却する者は罪を犯すなり。かくなすによりこの世の神を拜せざる者の勢を再び増すが故なり。
●拾得物を紛失者に返却すべしとの誡は、ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにし て、ゴイに対しては然らず。

●獣は非ユダヤ人の所有にして、積荷はイスラエル人の所有なる時は、手を貸すべか らず。然れども、若し牛がイスラエル人の所有にして、積荷が非ユダヤ人の物なる時は、これを助くべきなり。
●アクムに負債あるイスラエル人は、そのアクム死し、その事に就きて知れるアクム 無き時は、その嗣子に支払をなす義務なし。イスラエル人が非ユダヤ人に改宗せる時 も、彼はその親戚の相続者たり得べし。イスラエル人はまた背教者なる親戚の相続を もなし得。また夫は背教者なるその妻に代りて相続をなし得べし。

●非ユダヤ人より盗みたる物を用いて女と婚約するは差支えなし。
●アクムに対しては詐欺は成立せず。レビ記十九章の十一節に「己が兄弟(ユダヤ人) を欺くべからず)とあればなり。然れどもアクムにしてユダヤ人を欺ける時は、詐取 せる所のものを我等(ユダヤ人)の法律に従って返さざるべからず。アクムにしてユ ダヤ人よりまされる扱いを受くる本なからん為なり。
●ユダヤ人にしてアクムより盗みをなしたる時、もし誓うことを強制さるるならば、 彼はその心の中にて、その誓の無効なることを宣言すべし。そは強いられたる誓なればなり。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)

●ゴイに向って誓いを立てた者は、盗賊であれ税吏であれ、責任を取らなくてよい。
●結婚、誓約、約束を取り消すには、ユダヤ人はラビの所に行かねばならぬが、ラビ が不在の場合は、他のユダヤ人を三人呼び集め、かれらに残念ながら取り消すと言えばよい。そうすると三人は〝なんじは許された〟と言う。

★律法と秘密

●ゴイにわれらの信教を教える者は、ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば、かれらは公然とわれらを殺すだろう。
●律法の秘密を公にすることは禁ぜられる。これを破る者は全世界を葬るに等しい犯 罪である。

●ユダヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら、ただただ嘘の説明をするべきであり、ほんとうのことを教えてこの指示を裏切る共犯者となってはなら ない。この律法を破る者は生かしておいてはならない。
●ゴイがわれらの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら、偽りの誓いを立てなければならない。そして、そのようなことは誓って書いてないと言わなければならない。(ザーロット・ウザボット、ジュル・ダの書、一七)

●タルムードを学ぶゴイ、それを助けるユダヤ人はことごとく生かしておいてはならない。

★復讐と呪詛

●神よ、あなたを信ずることなく、その御名を称えざる民どもの上に、あなたの怒り を注がしめ給わんことを。かかる民どもの上にあなたの怒りを下らしめ、あなたの怒 りもて屈伏せしめ給え。かの民どもをあなたの怒りもて追い散らし、粉々に打ち砕き 給え。おお神よ、かの民どもの骨をすべて抜き取り給え。あなたの民に敵対するもの すべてを瞬時に殺傷し給え。これら存在の価値なき民どもを根絶、四散、殱滅し給え。 誅殺し給え! 今ただちに誅殺し給え!(ユダヤ「過越祭」の夕の祈りで現在も唱えられているもの)

●(新年二日以前のもの)彼等非ユダヤ人の評議を狂氣をもって悩まし、その思想を乱し給え。彼等の君侯を狂氣ならしめ、彼等が吾々になしし如く彼等になし給え。 (ユダヤ祈祷集)

●イスラエル人を呪いたる者は、三十九の殴打刑に処せらるべし。教法師を罵りたる者は、追放の罰を受くべし。
●何者かが三度ユダヤ人を裏切るか、もしくは[ユダヤ人の]金をゴイどもに渡したことが疑いない場合は、賢人会議はその男を放逐しなければならない。
●裏切り者を放逐せんがために、何人も共同体に寄付をしなければならない。

●教法師にして公然と侮辱を受けたる者は、恥辱に甘んずることなく、侮辱に対して復讐をなさざるべからず。侮辱したる者が赦しを乞いまた彼にして赦さんと思うに至る時までは、蛇の如くに怨恨を心の中に懐き居るべし。
●涜神者(非ユダヤ人)の血を流す者は、神に生贄を捧ぐるに等しきなり。<シメオ ン・ハダルサン法師>

●自由思想家及びトーラと預言者を否む者を殺すは掟なり。公然と刀剣を以て為し得る時は然かなすべし。もし然か為し得ずば、策計をめぐらして死に至らしむべし。
●トーラーを持たざる者と予言する者とを、すべて殺さなければならない。かれらを殺す力ある者は、剣あれば憚ることなく剣もて殺せ。剣なければ策略もて放逐せよ。
●キリスト教徒の中 最も善き者を絞殺すべし。
(抜粋)
★‘2014-8-3「木霊の宿る宿」

・・・・・・・・・中略・・・

全ての不幸の元は旧約聖書

ユダヤ教『旧約聖書』の記述をほとんど唯一の根拠として、欧米列強諸国の全面支援のもと白人系ユダヤ教徒(アシュケナジー)によって中東のパレスチナの地に人工的に建国された宗教国家が、『イスラエル』と言う名の紀元前の古代国家と同名であるが勿論何の関係も無い。
この『ユダヤ教』という宗教によって作られた国家(イスラエル)ほど、パスカルの『人間は宗教的信念をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行うことはない。』という言葉の正しさを証明して見せているものはない。
現在ガザで行われている悲惨で愚かな蛮行の出発点、根本原因とは何か。?
それは、猛烈に不愉快な一つの神を持つ一部族の『カルト』だったユダヤ教と、そのカルトの教義を記した『旧約聖書』にその原因の本質があった。

ユダヤ教の教典で有るばかりでなく、欧米世界で最も影響力が有るキリスト教の教典の一つでも有る『旧約聖書』の、病的ともいえる悪行を為す残忍な鬼畜のような『神』の存在抜きにして今のイスラエルの蛮行を説明するのは難しい。

旧約聖書・申命記 7章1-4
『お前たちの神がこれらの民をお前たちに与え、それをお前たちが征服するときは、彼らを徹底的に破壊するのだ。彼らを相手にしてはならない。憐れみも掛けてはいけない』 

旧約聖書の『ミカ書』は『正義を行い、慈しみを愛せ』と教えている。『出エジプト記』には、『殺してはならない』と書いて有る。『レビ記』には、『自分自身を愛するように隣人を愛せ』と書いて有るし、『福音書』には『汝の敵を愛せ』と教えている。
このように良き教えが沢山書かれていると人々に信じられている『聖書』の教えを奉じる者達が、どれほどまでに多くの血の海を作ってきたかも聖書には書かれているのである。

『ヨシュア記』や『民数記』の後半には、カナン(パレスチナ)全域で行われた大量殺戮の事が記されている。町という町で、男ばかりか女子供、はては家畜までが皆殺しにされるという出来事が,さも嬉しそうに書かれているのだ。
エリコの町は『聖戦』の為に跡形も無く破壊された。『ヨシュア記』には、『息の有る者はことごとく滅ぼし尽くした。イスラエルの神、主の命じられた通りであった』この大量殺人の理由はただ一つ、殺した側(ユダヤ人)のこんな言い分だけた。『遥か昔に、神は我等の先祖に約束された。息子に割礼をほどこし、一定の儀式を執り行うならば、この土地を我等に下さると』。

士師記 21章10-24
「そうして彼らは1万2千の兵士をヤベッシュ・ギリアッドに送り、女子供も含め、そこの住民を皆殺しにしろと命令した。『これがお前たちがやることだ』彼らは言った。『すべての男たちと処女でないすべての女たちを殺せ』。

エゼキエル書9章5-7
「それから私は神が他の男たちに言うのを聞いた、『町まで彼について行け。そして額に印が無い者たちはすべて殺すのだ。情け容赦するな。皆殺しにするのだ・・年寄り、女子供もすべてだ。しかし、印ある者には触るな。この寺院からお前たちの仕事を始めよ」
「彼らはまず70人の指導者たちを殺した。『寺院を汚せ!』神が命令した。
『庭を死体で埋め尽くせ。さあ行け!』そうして彼らは町中に入って行き、言われた通りのことをした」。

民数記第31章18節
『民数記』は、神がモーゼにどのようにミディアン人を攻撃するように仕向けたかを述べている。彼の兵達は、あっという間に全ての男を虐殺し、ミディアン人の全ての町を焼き払ったが、女と子供は殺さなかった。
部下の兵達がこの様に慈悲深い自制をはたらかせた事をモーゼは激怒し、全ての男児と、処女でない全ての女を殺せと命じた。
『女のうち、未だ男と寝ず、男を知らない娘は、貴方達の為に生かしておくが良い』

ヨシュア記第6章21節
モーゼの時代に始まった民族浄化は『ヨシュア記』において血まみれの成果をもたらす。『ヨシュアはエリコを攻めた。崩れ落ちる城壁・・・エリコの戦いにおける古のヨシュアにかなうものなんて無い』いにしえのヨシュアは、イスラエルの民が『男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ロバに至るまで町に有るものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くすまで、休む事が無かった』。
聖書の物語における『神』と言う人格は、約束の地(パレスチナ)の占領に伴う大虐殺や民族殲滅について、何らかの疑念や罪の意識を感じていた形跡は全く無い。

『申命記』第20章における神の命令は、情けの欠片も無くあけすけである。彼(神)は自分自身にとって必要な地に住んでいる人間と遠くはなれたところに住んでいる人間とを明確に区別した。後者は平和的に降伏するように勧告しなければならない。もし拒絶すれば、男は殺し、女は繁殖の為につれさられた。
この比較的人道的な扱いと対照的に、あまりにも不運な事に、すでに約束された生存圏(レーベンスラウム)に定住してしまっている民族に対しては、一体どんなことが用意されていたのか読んでみると、『あなたの神、主の嗣業として与えられれる諸国の民に属する町々で息の有る者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない』。

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抜粋終わり

選民思想って、動画の「俺は、俺たちが、特別な人って考えるのは、病気」って指摘があるが、そのものだし。

『民数記』は、神がモーゼにどのようにミディアン人を攻撃するように仕向けたかを述べている。彼の兵達は、あっという間に全ての男を虐殺し、ミディアン人の全ての町を焼き払ったが、女と子供は殺さなかった。
部下の兵達がこの様に慈悲深い自制をはたらかせた事をモーゼは激怒し、全ての男児と、処女でない全ての女を殺せと命じた。
『女のうち、未だ男と寝ず、男を知らない娘は、貴方達の為に生かしておくが良い』


諸葛亮の七縦七擒 や、殷周革命で、武王が、殷の遺民たちを集めて国を作ってその人たちを保護した{衛 ウイキ}のと、全然違うよね・・・

て、まあ考えりゃ、そうだから、西欧が長く「世界の片田舎」で、近代以降も世界を制覇しても戦争しないと居られない理由だろうね。

町の拝み屋ていうか「精神疾患に罹患する」のを、宗旨にしている宗教など、そりゃ、ダメだね・・。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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