とある神道の解析。あるいは、なぜ明治以降神道はカルト宗教になったのか。






よくよく考えると「なぜに、キリスト教を禁教にしていたのか」を、幕末・明治には忘れていた。

「神仏を棄損し、神社仏閣を破壊し、自分たち以外の宗旨を迫害する。それの犯人を聖人呼ばわりする。このような日本の宗教環境を破壊する宗教は許さない」

のが、太閤・神君が、キリスト教を禁じた大きな原因。

それに立ち戻れば、「キリスト教を部分的な容認~東方教会の」くらいは容易にできてたと思う。

カルト宗教のカトリックや新教に合わせるために、神道を隠れカルトにした。

てのが、どうも、明治以降の神道の姿であろう。

神道に教理教学教義がない問題も、宗教たるべきキリスト教との対比で言われるようになったんで、神道にはそんなもんいらんかったんですよ。「そこにおわすもの」だったんだもん。だから、理論や方法論は仏教、特に密教と儒教が補完してくれたんです。どうしてかは修してみて考えればわかることです

まあ、それを平田神道&バチカンで、魔改造したのが、天皇神道だからな。

カルトでしかなくなる。

教皇が「神聖不可侵」のように、天皇も「神聖不可侵」になるわけだ。

バチカンも天皇も邪教だな。


天皇の無い 蒼い空を取り戻す

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