とある神道の解析。あるいは、なぜ明治以降神道はカルト宗教になったのか。
(神社非宗教論というのは「宗教たるべきキリスト教」の布教を許可するにあたって編み出したウルトラCなんです。キリスト教徒も等しく国家神道に頭を垂れさせるために「神道は宗教に非ず」としたのです。結果、神道は葬儀を手放し、教派に委ねることになります。つまり、内容じゃなくて対比なのです)
— 福廣てゃ (@anchorworks1971) August 5, 2022
(当時、列強から「キリスト教布教自由化せぇや!オルァァとやられていたのです。そうです。明治維新期はキリスト教禁教が続いていたのです。当然、弾圧も続いていました。神仏判然による仏教の政治との分離、神道による「教化」に失敗した政府のキリスト教解禁とのバーターが「神道非宗教論」です)
— 福廣てゃ (@anchorworks1971) August 5, 2022
(神道に教理教学教義がない問題も、宗教たるべきキリスト教との対比で言われるようになったんで、神道にはそんなもんいらんかったんですよ。「そこにおわすもの」だったんだもん。だから、理論や方法論は仏教、特に密教と儒教が補完してくれたんです。どうしてかは修してみて考えればわかることです)
— 福廣てゃ (@anchorworks1971) August 5, 2022
よくよく考えると「なぜに、キリスト教を禁教にしていたのか」を、幕末・明治には忘れていた。
「神仏を棄損し、神社仏閣を破壊し、自分たち以外の宗旨を迫害する。それの犯人を聖人呼ばわりする。このような日本の宗教環境を破壊する宗教は許さない」
のが、太閤・神君が、キリスト教を禁じた大きな原因。
それに立ち戻れば、「キリスト教を部分的な容認~東方教会の」くらいは容易にできてたと思う。
カルト宗教のカトリックや新教に合わせるために、神道を隠れカルトにした。
てのが、どうも、明治以降の神道の姿であろう。
神道に教理教学教義がない問題も、宗教たるべきキリスト教との対比で言われるようになったんで、神道にはそんなもんいらんかったんですよ。「そこにおわすもの」だったんだもん。だから、理論や方法論は仏教、特に密教と儒教が補完してくれたんです。どうしてかは修してみて考えればわかることです
まあ、それを平田神道&バチカンで、魔改造したのが、天皇神道だからな。
カルトでしかなくなる。
教皇が「神聖不可侵」のように、天皇も「神聖不可侵」になるわけだ。
バチカンも天皇も邪教だな。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
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