集団的西側と天皇から文明は消えた。まあもともと野蛮だったけどもっと野蛮で卑しくなった。

より

上記文抜粋
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「米国とグローバル・マジョリティ、どちらが野蛮人でどちらが文明人か?」。経済学者マイケル・ハドソン教授による米国の経済政策、ウクライナ、パレスチナへの鋭い分析でイタリアの視聴者に問いかけ

<記事原文 寺島先生推薦>
Barbarism or Civilization. Michael Hudson
筆者:マイケル・ハドソン教授とルカ・プラチディ(Prof Michael Hudson and Luca Placidi)
出典:Global Research 2024年7月31日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年8月20日

ルカ・プラチディ:皆さん、ようこそ。本日はマイケル・ハドソン教授をお迎えできて大変光栄です。まだご存じない方のために説明すると、マイケル教授はミズーリ大学カンザスシティ校の経済学教授であり、バード大学のリーバイ経済研究所の研究員でもあります。

ハドソン教授がおもちの科学的思考のもとに出版された作品をいくつか挙げさせていただくと、『超帝国主義』や『アメリカ帝国の経済戦略』などがあります。

その第3版は2021年に出版されました。さらに、 2018年に出版された『そして彼らの負債を赦しなさい』があります。

最新作は2023年に出版された『古代の崩壊』です。

マイケル教授は元ウォール街の分析家であり、政治相談役でもあり、ラディカ・デサイ氏とともに「Geopolitical Economy Hour」を主宰しており、これはベン・ノートン氏のYouTube チャンネル「Geopolitical Economy Report」で放送されています。

教授、ようこそ。本日もご参加いただきましてありがとうございます。

マイケル・ハドソン: 招待していただきありがとうございます。イタリアの視聴者の皆さんの前で話すことができてうれしく思います。

ルカ・プラチディ:そう言ってくださり、ありがとうございます。まず、ウクライナ戦争、さらには最終宣言を出した最近のNATO首脳会談は、南半球が西側諸国と対立する多極戦争に再び突入していることを示していると思いますか?

マイケル・ハドソン: そうですね、これは単なる地理的分裂以上のものです。私たちは文明の分裂の中にあり、それはもっと深いところにあります。問題となっているのは、世界がどのような経済を持つことになるのか、ということです。

それは、米国と欧州が推し進めているような、金融化された新自由主義の脱工業化経済になるのでしょうか。それとも、教科書に書かれているような、自給自足とすべての人の繁栄のために農産物や工業製品を生産する経済になるのでしょうか。私は、ローザ・ルクセンブルクの「野蛮人か社会主義者か」という言葉を使おうと思います。なぜなら、西側諸国はもはや貿易と生産に対する真の経済的統制手段を持っていないからです。統制を維持できるのは、軍事力やテロリストの暴力、そして腐敗だけです。

NATO西側諸国は、この70年間、南半球や多くのアジア諸国にドル建て債務を負わせることで金融支配をおこなってきました。ドル建て債務は、これらの国々を金融新植民地主義、国際債務奴隷状態に陥れています。それに加えて、他諸国が独自の道を歩み、自らの利益を追求するのを阻止し、一極支配を維持するために米国と欧州諸国が持つ究極の力は、その国々を爆撃し、テロを起こさせることしかないのです。

NATO西側諸国は、中国やその他のアジア諸国に産業を外部委託したため、基本的な工業や農業の支配権を失っており、さらに、ロシアやその他の国々に対する制裁により、これらの国々は、基本的な生活必需品の拡大を西側諸国に頼るのではなく、自給自足で賄わざるを得なくなりました。そのため、これらの国々は、米国やヨーロッパの投資家を金持ちにするためではなく、自らの労働力や工業、農業を利用して自らを繁栄させ、経済の支配権を取り戻す立場に立てるようになりました。これらの国々は、賃金と生活水準を上げる方法で経済を管理したい、と考えています。

そのような方法を実現するためには、民営化政策や世界銀行の助言、IMFの指示に従って土地や原材料を売り払い、公共の生活基盤施設や通信、電力体系、水利権を民営化して外国人に売り払い、政府の規制や社会支援計画を廃止することでは不可能です。西側諸国の要求は、政府の「干渉」なしに民間部門にすべてを運営させることにあります。しかし、非独占価格で基本的な必需品を満たす強力な公共の生活基盤施設を備えた公共部門と民間との混合経済でなければ、いかなる経済も成長し繁栄することはできません。

政府が民間部門よりも効率的に運営するのが自然である領域は数多くあります。政府が提供すべき基本的な事業は存在します。そうでなければ民間企業に独占されて法外な価格を課され、所有者が略奪的な独占利潤を搾取することになってしまうからです。政府が教育を提供しなければ、その結果は米国で起こっていることと同じになります。米国では、大学教育の平均費用は年間4万ドルから5万ドルです。公衆衛生がなければ、誰もが利用できるわけではない非常に高価な民営医療制度を利用せざるを得なくなります。米国では、医療費がGDPの18%を占めており、他のどの国よりも多くなっています。そのような独占がまかり通れば、経済全体において、公共/民間混合経済が競争できる余地はほとんどなくなってしまいます。

最も重要なのは、中国がやったようにお金を公共事業として維持するのではなく、お金と信用を銀行に民営化させれば、経済の信用がどこに配分されるかを銀行に決めさせることになる、という点です。そうすると、銀行が経済の計画を立てる中心になります。銀行が好んで資金を供給するのは、産業投資や成長のためではなく、不動産や株、債券の価格をつり上げるための貸付負債に資金を供給するためや、英国のテムズ・ウォーター社や米国のシアーズ・ローバック社のように、企業を乗っ取って空っぽにし、負債まみれのぬけ殻のような状態にしてしまおうという買収者に資金を供給するためになります。これは、1980年代からサッチャー主義とレーガノミクスの下で起きていることです。

ですから、西側諸国とその他の世界、つまり世界の大多数との分裂は、世界の大多数がどのような経済を持つかという問題になってくるのです。だからこそ、米国は一極支配を維持するために激しく戦っているのです。米国は、1917年以降ソ連と戦ったのと同じように、現在世界の大多数と戦っています。米国は、敵対国の経済体系が発展することを望んでいません。つまり、私たちが目にしているのは、自国の成長を助ける経済をどのように設計するかを決めようとしている世界の大多数との分裂です。これがいま起きている世界的な亀裂であり、文明の断絶なのです。

南半球諸国は、これまで負ってきたドル建ての対外債務の返済義務を負い続ける限り、どうやって成長できるというのでしょうか。これらの債務は、国際通貨基金による破壊的な助言に従い、緊縮財政を課し、国有資産を民営化して売却し、外国債権者に支払うドルを得ることを余儀なくされた結果、生じたものです。したがって、西側の経済のやり方は基本的に金融植民地主義の一形態なのです。その反政府哲学は、西側諸国の経済だけでなく債務諸国の経済も破壊しました。

したがって、世界の他の国々は、米国、サッチャー/ブレア政権後の英国、あるいは2022年の対ロシア制裁以降のドイツのようになりたくないのであれば、何を避けるべきかについての実例教訓を得たことになります。私はこのことを『文明の運命:金融資本主義、産業資本主義、それとも社会主義か』(2022年)で論じました。今日の文明の断絶は、ロシアと中国に対するものだけではありません。その断絶は、70年前の1955年の非同盟諸国のバンドン会議にまで遡ることができます。

1955年、第三世界または非同盟諸国と呼ばれた国々は、米国の外交官や地政学戦略家が国際通貨基金や世界銀行、ドル本位制で制度化した世界経済の規則によって、自分たちがどんどん貧しくなっていることを認識しました。その国際貿易および通貨制度は搾取的なものでした。その対象は何よりもまず、米国の潜在的な競争相手である英国やその他の欧州諸国であり、さらには英国や欧州諸国の旧植民地でした。米国はその旧植民地を我がものにし、自国の利益のために搾取しようとしたのです。

第二次世界大戦後の秩序は、新しい種類の帝国主義によるものでした。その帝国主義は、基本的には金融による帝国主義であり、軍事占領によって強制された欧州式の植民地帝国主義ではありませんでした。この新自由主義的な世界搾取においては、金融管理のほうが、費用が安くすみ、より効率的であることがわかったからです。非同盟諸国において犠牲となった国々が1954年やその年以降で被害を受けずにすんだのは、キューバやインドネシア、その他の非同盟諸国が「単独で行動」できるほど大きくなかったためです。もしこれらの国々が単独で行動しようとしたら、ここ数年のベネズエラのような、あるいは革命後のキューバのような姿になっていたでしょう。米国と欧州がそのような制裁を課していたら、この体制に抵抗する国々は、経済混乱を避けるために西側に屈服せざるを得なかったでしょう。しかし、当時は米国式の「自由市場」帝国主義の下では、制裁の必要さえありませんでした。

米国は、この搾取に抵抗する国々を追放者として扱える立場にありました。自国の経済、特に公共事業を守るために行動する国々に対し、西側諸国が単独で行動しようとすれば孤立させる、と脅すのが米国の脅し方でした。これらの国々の経済は、地域規模でさえ、自力で生き残るには小さすぎました。これらの国々は米国とそのIMF、世界銀行の支援が必要だ、と感じていたのです。

この状況が変わったのは、1990年代以降の社会主義中国と、1990年代後半のプーチン大統領の下でのポスト新自由主義ロシアの目覚ましい成長をうけてのことでした。今日、ユーラシア諸国は初めて、米国と欧州以外で自力によってやっていけるだけの経済的自立性を獲得しました。ユーラシア諸国はもはや、経済的に支配する能力を失いつつあるNATO西側諸国に頼る必要がなくなったのです。

実際、NATO西側諸国は中国やロシア、その他のユーラシア諸国、そして南半球諸国に依存するようになっています。そのためには、西側諸国の国民が自らの従属している寡頭政府に抵抗し、金融の鎖と米国が唱える利己的な「ルールに基づく秩序」への固執を断ち切ることができなければなりませんが。

皮肉なことに、米国の外交自体がこれらの国々の離脱を促しています。中国や南半球諸国、インド、ラテンアメリカ、アフリカが自分たちがいかに搾取されているかに気づき、離脱の先頭に立つだろうと予想していた人々もいました。しかし、これらの国々が離れていった理由は、米国とNATOにあります。貿易制裁と金融制裁を課してこれらの国々に独力で行動せざるをえなくしたのです。

2022年に米国が、ドイツと欧州をロシアや中国との貿易・投資関係から引き離すためにウクライナで戦争を始めて以来、米国は欧州やその他の英語圏従属諸国を動員して経済制裁を課し、こうした政策に従う国々の経済を壊滅させてきました。ドイツの産業空洞化や、武器供給国としてのフランスを押しのけた米国の反発(例えば、AUKUSへの潜水艦販売や、旧アフリカ領土でフランスに代わる国を獲得しようとする試み)により、他の国々は米国から離れつつあります。米国と欧州は世界の多数派から孤立し、これまでおこなってきたロシアや中国との繁栄した貿易と投資を、石油やその他の高価格輸入品に対する米国への経済的依存に置き換えてきました。

驚くべきは、米国の外交が自らの世界帝国をいかに自滅させてきたか、ということです。米国外交は、反ロシア、反中国の制裁に加わるよう欧州やオーストラリア、日本、韓国に強制的に支配権を固めることに重点を置いてきたため、これらの米国の敵諸国は西側諸国への貿易依存を相互依存に置き換えることを余儀なくされました。

これらの国々は、輸入に関して米国や欧州の衛星諸国に二度と頼ることはできない、と認識しています。米国の戦略家にとって、そうなることは明らかなはずでした。自国の食料輸入を阻止されたら、その国はどうするでしょうか。自国の食料を自国で栽培することになります。たとえば、米国が欧州からのロシアへの食料輸出を阻止するために制裁を課したとき、ロシアはバルト諸国やその他の以前の供給国から輸入するのではなく、自国でバターや農作物、その他の食料を生産せざるをえなくなりました。また、米国当局が同盟諸国に中国へのコンピューター・チップの輸出を止めるよう要求したとき、ロシアはすぐに自国の国内供給を開発する方向に動きました。

他の国々は、再び供給が途絶えるかもしれないので、食料を米国や欧州に頼ることはできなくなりました。ですので自給自足にならなければなりません。産業や技術をNATO西側諸国に頼ることはできないからです。

NATO西側諸国は、NATO寄りの政策に従わせるために供給網を遮断し、経済を混乱させようとする可能性があるからです。欧州は、ユーラシアと南半球から孤立した今、米国に頼るしかありません。

今日の世界で起こっている地球規模の亀裂は、元に戻ることはできません。そして、それはすべて非常に急速に起こっています。自国で自由になり、自国で基本的な必需品を満たすことができる国々が一度市場を失えば、その市場は回復できません。米国とNATO加盟国である欧州が制裁対象国への食料や工業製品の輸出を止めれば、それらの国は自国でこれらの製品を製造するようになるでしょう。したがって、ある国に制裁を課すということは、自国の生産を育成するために関税保護を与えたのと同じことになります。これが、19世紀後半に米国が工業大国に躍り出ることを可能にした「幼稚産業保護」論です。その論理は米国の戦略家によって明確に説明されていました。 (私はこの戦略を『アメリカの保護的離陸:1815-1914:無視されたアメリカ政治経済学派』(2010年)で要約しています)。言うまでもなく、米国の新自由主義的言説は、その論理が他の国々が米国の経済的成功を模倣するために使用されないように「はしごを引き上げる」ためにこの歴史を消し去ろうとしてきました。それは、19世紀以来ドイツやフランス、その他の国々を非常に成功させたのと同じ、政府による産業支援です。

ラテンアメリカとアフリカは、自国の経済を「自由貿易帝国主義」から解放する時が来た、と認識しています。農地を使ってプランテーション作物を北半球に輸出するのではなく、自国の穀物や米、その他の食用作物で自給自足を始めれば、米国や欧州の農産物輸出に頼らなくてもよくなるでしょう。

貿易制裁を課すことで諸国を脅迫する米国の政策は、いわば自らの経済的な首を絞めているのです。米国の外交政策が、以前の世代が懸命に世界に押し付けようとした自由貿易帝国主義とドル依存を解体していくのを見るのは、滑稽なことと言えます。

今年はロシア主導のBRICS+諸国、来年は中国主導のBRICS+諸国による会議が、西側諸国への依存から独立するための軌道をどう描くかという主題で開催されます。そして米国の外交そのものが、これらの国々にそうさせる原動力となっています。

ルカ・プラチディ::教授がおっしゃったように、TINA(株に変わる選択肢はない)という見方は崩壊したようです。なぜなら、今や代替案があるからです。欧州の政治階級は、米国の政策に絶望的に従順であるようです。これは、少なくとも欧州の私たちにとっては、本当に気がかりなことです。なぜなら、ウクライナ戦争が欧州経済を破壊したからです。

あなたが述べたように、制裁の影響が特にドイツとイタリアの工業生産にどれほど打撃を与えたか考えてみてください。しかし、ヨーロッパが方向転換してこの紛争から撤退するには、それだけでは不十分です。

マイケル・ハドソン:2022年以来のウクライナ戦争は、米国対欧州戦争と呼べる、と思います。なぜなら、ドイツやイタリア、フランス、その他の欧州諸国が大きな敗者だからです。事態の重大さを察知した米国は、北米とNATOが世界の他の国々と戦うことになるなら、アジアに目を向けて米国が負けるよりも、利益を生む市場と債務国としての欧州に対する支配を固めることから始める方が良い、と判断したのです。

本質的に、米国の戦略家たちは、米国がもはや本当の工業余剰を生産できないことを知っていると認めています。米国の新自由主義貿易政策は、産業をアジアに外部発注しました。世界の大多数が離脱した場合に米国が確保できる唯一の新しい市場は欧州です。だからこそ、米国はノルド・ストリーム・パイプラインの爆破を画策し、安価なロシア産ガスや石油、原材料を買わないことで自発的に経済的自滅をするよう欧州を説得したのです。このことにより、ロシアと中国がアジアの近隣諸国と近づくことになったいっぽうで、欧州は敗者となったのです。

100年間の労働生産性を見ると、労働者 1 人あたりのエネルギー使用量と労働生産性が相関関係にあることが分かります。エネルギーこそが鍵なのです。だからこそ、1945年以来、米国の外交政策の中心的目標は、2つの方法で他国を支配することになりました。そのひとつめが石油でした。米国は、英国やオランダとともに世界の石油貿易を支配することで、米国から離れて自国の利益のために行動しようとする国々の電気や明かりを止められるようにしてきたのです。

石油とともに、米国が用いた2番目の戦術は、穀物と食糧の支配でした。独立国を暗闇の中で飢えさせる、という作戦です。しかしここでも、制裁は主に欧州を苦しめるためのものでした。思い出していただきたいのは、米国は1958年に欧州経済共同体(EEC)が創設されて以来ずっと、この共同体と戦ってきたのです。最初から、米国はEECの共通農業政策(CAP)と戦ってきたのです。しかし、EECにとって、統合の最も重要な目的は、自国の農民を保護することでした。つまり、米国が自国の農業のためにおこなったことを欧州の農業のためにおこなうことだったのです。

農産物価格援助により、資本投資による農場の生産性向上が可能になりました。欧州は農業を合理化し、生産性向上のために資本投資を増やしました。その結果、欧州は米国からの食料輸出への依存から脱却しただけでなく、主要な農産物輸出国となりました。しかし今や拡大した欧州連合は、肥料製造用のロシア産ガス輸入に対する制裁だけでなく、他の制裁によっても苦しんでいます。そして、欧州はウクライナを支援することで、ウクライナが安価な穀物をポーランドやその他の国に投げ売りするのを許しているのです。農民はすでに、ウクライナが農産物を安く売っていることに抗議して暴動を起こしています。米国の投資家がこの土地を買い占めようとしているのです。そうなれば、欧州の農業の独立性が後退し、再び米国や米国の投資家が支配する国に依存することになりかねません。

これまでのところ、この第三次冷戦の影響は、欧州を米国の軌道に引き戻すことでした。米国は、この新自由主義の地政学に代わるものはない、と主張しています。西側の教育では、新自由主義こそが経済を効率的に運営する最良の方法である、と学生に教え込んでいます。つまり、自立と生活水準を守る政府を持たず、略奪的独占と金融利権追求を規制しないということです。その狙いは、資本主義を独占資本主義へと進化させることにあります。独占資本主義とは、すなわち金融資本主義です。というのも、独占は金融部門が「信託の母」として組織化されるものだからです。

米国は代替案はないと主張していますが、明らかに代替案はあります。しかし、各国が代替案に従わなければ、結局はドイツと同じ状況に陥ることになります。実際、ウクライナ戦争と米国の制裁措置の結果、欧州で起きたことは、他の国々にとって、自分たちに起きてほしくないことを思い知らせる教訓となっています。

新自由主義の計画は西側諸国でも崩壊しましたが、南半球諸国ではずっと前にその計画は崩壊していました。その中心的目的は公共部門の民営化でした。しかし何世紀にもわたって、欧州の資本主義が発進できたことには、政府による有形資本形成の補助金によって他国よりも安く販売できるよう、生産費用を下げるために、産業資本家たち自身が資金提供してきた、という背景があったのです。

経済において、どうすれば生産費用を下げることができるのでしょうか。企業が従業員の医療費や保険費、教育費、借金で賄った住宅費を支払うだけの賃金を支払う義務を負うと、最低生活賃金が高騰し、産業利益が食いつぶされることになります。そうなることを避けるために、欧州諸国は米国にならい、雇用主がこうした費用を負担しなくても済むよう、政府に安価な生活必需品を提供させました。

産業資本主義の基本戦略は、政府が教育や公衆衛生、基本的な生活基盤施設を提供することになっていました。そうしないと、これらは民間の手に独占されていたはずでした。政府は労働者を教育し、訓練し、資本投資を保護し、補助することで生産性の向上を支援しました。政府は水道と電気を補助金付きで提供し、労働者が高い費用がかかるエネルギー、高い費用がかかる輸送、および基本的な生活必需品を購入するために賃金を費やす必要がないようにしたのです。その結果、労働者に負担すべき費用が下がり、欧州と米国の産業家は他の国よりも安くものを売ることができるようになったのです。

新自由主義は、この一見明白な経済戦略に終止符を打ちました。マーガレット・サッチャーとロナルド・レーガンは、英国と米国の公共事業を民営化することで、金融部門と労働者の間での階級闘争を開始したのです。英国政府は、誰もが生活するために必要なきれいな水を供給する代わりに、独占的利潤を得るために価格をつり上げる金融管理者に利潤追求権を売却しました。さらに悪いことに、テムズ・ウォーター社やその他の民営化された企業は、銀行から借り入れた資金を使って株主に配当を支払い、自社株を購入して価格をつり上げ、資本利得を稼ぎました。

こうした不労所得により値上がりさせられた公共料金が、現在、欧州の賃金労働者の家計の大きな割合を占めています。そのため、雇用主はより高い賃金を支払うことになりました。同じことは、現在民営化によって金融化された電話事業やその他の基本的な生活基盤設備にも言えます。それまで補助金で賄われていた電話・通信事業を民営化すると、労働者ははるかに高い料金を支払うことになります。その結果、賃金が圧迫されるだけでなく、不労所得に基づく経済における生活費と事業費の高騰により、利益も圧迫されています。

1980年以降、欧州の経済政策全体、つまり産業資本主義の経済政策全体が逆転しました。産業資本主義は生産費用を削減し、マルクスが不当な費用、すなわち「商品生産一般の空費」と呼んだものを最小限に抑えようとしなかったため、民営化された生活基盤施設を牛耳る独占企業によって請求される価格は大幅に上昇しました。欧州全土の労働者の生活水準は圧迫され、同時に賃金も引き上げざるを得なくなりました。それは、かつて政府からの補助金で賄われていた公共事業が民営化されたため、労働者がその費用を支払えるように賃金を引き上げなければならなくなったからです。新自由主義経済政策に従うことで、欧州は競争力を失い、米国経済は非工業化してしまいました。

中国が得た教訓は、19世紀の産業倫理を基盤とする社会主義の再興でした。その産業倫理については、ほぼすべての経済評論家が何らかの形で社会主義につながると信じていたものです。国民の生活水準は急上昇しましたが、前述のように社会主義が安価な交通機関や公共医療などを提供しているおかげで、賃金は新自由主義経済よりも低くすんでいます。

最も重要なのは、社会主義中国が独自の通貨を発行し、信用体制を管理していることです。中国銀行が金融捕食者に金を貸し付け、企業を買収して負債を負わせ、株価をつり上げ、その企業を破産した英国のテムズ・ウォーター社のように破産した殻にしてしまう代わりに、政府は直接経済に資金を投入しています。住宅や不動産への投資が過剰であることは確かですが、高速鉄道の近代化や通信体系の近代化、都市の近代化、そしてとりわけ金銭決済に使用される電子インターネット体系にも投資しています。中国は西側諸国への負債依存から解放されましたが、その過程で西側諸国は中国に依存するようになりました。

この中国の発展は、長期計画に基づく政府の投資と規制によってのみ可能でした。西洋の金融政策は短期的なものです。短期間で富を築くために、できるだけ早くできるだけ多くを奪い、信用と資源を配分しようとするなら、長期的な成長を発展させるための資本投資はできないでしょう。それが、米国の情報技術企業が中国の同業他社に追いつけない理由です。金融化された「市場の力」により、これらの米国企業は、自社の収入を自社株買いと配当金の支払いに使わざるを得なくなっています。このような状況が、米国の技術関連業界全般に当てはまっているのです。

情報技術やインターネット技術に投資する中国企業は、利益をさらなる研究開発への再投資に回しています。こうした革新は西洋から東洋へと移り、東洋は19世紀の古典的な政治経済学者らが開発した産業資本主義の論理を再発見したのです。

確かに、中国や他のBRICS+諸国は車輪の再発明を試みています。これらの国々は西側のやり方が機能しないことを理解しています。問題は、新自由主義化や民営化、金融化された経済に代わる最善の選択肢は何か、ということなのです。

西洋で古典経済学の議論がほとんどおこなわれていないのは驚きです。アダム・スミスやジョン・スチュアート・ミル、そして彼らの同時代人による価値、価格、地代理論は、マルクスで頂点に達しました。そのため、産業資本主義の経済改革について語るのは、ほとんどマルクス主義者だけとなりました。米国の大学では、もはや経済思想史、いや経済史を教えていません。あたかも、1980年代以降に支配的になった反政府的な民営化された「自由市場」という一種類の経済しかない、かのようです。

学生たちは、経済を運営する方法は自由企業主義の新自由主義しかないと教えられています。ですので、アジアやアフリカの国々が学生を米国や英国に留学させるとき、賃金や生活水準を上げて労働生産性を高めることで産業資本主義がいかに発展したかについては教えられません。その代わりに、雇用者の短期的な視点から階級闘争の経済学を学ぶのです。

新自由主義的な貿易理論は、今日のくだらない経済学の最も露骨な例であり、ノーベル賞を受賞することで、その理論が正当化されるかのようになっています。その結果、国際通貨基金の緊縮財政計画は「安定化計画」であるかにように装おっています。アルゼンチンやチリのような国が対外債務を膨らませると、その対外債務返済のための資金を得るために、反労働政策を課し、労働組合を解散し、賃金水準を引き下げる一方で労働者(「消費者」)にさらに課税するよう指示されます。あたかも貧困化した労働者が、外国債権者に支払うのに十分な輸出収入を稼ぐのに十分な競争力を持つようになるかのように、です。

このような政策は、ここ一世紀にわたって破壊的であることが示されてきたにもかかわらず、いまだに施行されているのですから、この過ちが無実ではないことは明らかです。これは非常に成功した誤りと言えるかもしれません。この政策は、南半球諸国が借金から抜け出すための資金を調達したり、食料やその他の基本的な生活必需品を自給自足で達成したりすることを阻止することに成功しました。また、自国の経済発展を目指すのではなく、この西側諸国のNATO中心政策の代理人になることに関心を持つ国内の従属的少数独裁政府を生み出すことにも成功しました。

この運命を回避するために、アジアやアフリカ、ラテンアメリカの世界の大多数が、今日の地政学的離脱によって金融資本主義政策に代わる方向に動いています。車輪を再発明しようとする動きは、社会主義へと発展しつつあった産業資本主義の初期の発進の論理に従っています。19世紀後半のマルクスだけでなく、政治的な領域全体にわたる政党による古典的政治経済学の流れを振り返ると、何らかの形で社会主義が存在することになろうとしていたことが分かります。

それはどのような社会主義になったのでしょうか。キリスト教社会主義や自由主義社会主義、マルクス社会主義、その他の種類の社会主義がありました。これらの古典文学と政治論争は豊かでしたが、第一次世界大戦で終わりを迎えました。それは西洋文明の悲惨な転換点でした。地主階級や地主、独占者、銀行家たちは、欧州と米国の最も先進的な工業経済で起こっていた産業改革に抵抗していました。裕福な支配者層は、これらの改革への支持が欧州でソビエト・ロシアを生み出したような革命につながることを恐れていました。西側諸国は、社会主義化の可能性が高いドイツで起こっていることにさらに恐れを抱いていました。

既得権益を持つ地主層、特に最富裕層は、これが人口の1パーセント、おそらくは5パーセントの富裕な金融寡頭政治の力を終わらせる可能性があることを恐れていました。過去1世紀にわたり、この寡頭政治は経済の他の部分を借金に追い込むことで金融資産を蓄積してきました。その結果、米国欧州の西側諸国の人々は他に選択肢はないと考えるようになり、社会不安が生じました。

代替案がないことで、1パーセントの富裕層が豊かになりました。米国経済は二極化し、欧州の経済も同様です。イタリアを含む欧州の富は、最上層、つまり経済計画と公共政策を掌握した金融層に吸い上げられ、あたかも人々は、労働者の生活水準と自立性を高める代替案よりも、これらの富裕層の私的な私利私欲に従うほうが生産的で効率的であるかのように思わされています。

世界中の金融支配者層はコスモポリタン(無国籍)階級です。裕福なイタリア人だけでなく、裕福な欧州人、裕福な米国民も、自国の産業部門や農業部門、商業部門から資金を吸い上げています。この無国籍の国際階級は、世界経済全体を借金漬けにし、その借金の力を利用して、政府を借金漬けにすることで、とりわけ公共部門の資産を差し押さえようとするという行動原理を持っています。

IMFや世界銀行、米国裁判所の支援を受けて、国際債権者(自国以外で富を保有している国内の寡頭政治家を含む)は債務国政府に公共生活基盤施設の売却を強制します。企業債務の場合、債権者は企業を差し押さえ、分割します。

この行動により、米国と英国の産業は衰退しました。しかし、米国と欧州の経済がますます貧しくなるいっぽうで、最も裕福な1パーセントの人々はますます裕福になっています。だからこそ、米国と欧州は、世界の大多数に加わらず、文明にとってより良い選択肢があるというこれらの国々の主張に抵抗しようとしているのです。

NATO 西側の支配層は、手を出しすぎました。米国が後押しする支配に抵抗する他の国々を敵視することで、この外交はこれらの国々を結集させ、代替案を作らせる動きを生じさせています。その代替案には、国際通貨基金に代わる機関としてBRICS中央銀行を設立し、政府間の国際収支関係に対処することも含まれます。世界銀行に代わる新しい経済加速銀行、つまり、世界の大多数が生活基盤施設や農業、工業投資を増やすために独自の信用体系を構築することで、自国の経済発展に資金を提供する銀行も含まれます。また、石油会社や鉱山会社が国々を汚染するのを防ぎ、天然資源の利益を急激に求める中で引き起こした浄化費用の支払いを請求されることに抵抗するために、新しい国際司法裁判所も必要です。

最終的に、世界の多数派は国連そのものに代わるものを作らなければなりません。国連やIMF、世界銀行といったすべての機関は、米国の拒否権の対象です。米国は、自国の利益にならないことをおこなう機関には拒否権を行使して制御できない限り参加しないというのが外交政策の中心的な信条であると、長い間宣言してきました。

プーチン大統領はここ数日のあいだで、BRICS議会の創設を提案しました。その目的は、国際経済がどのように機能すべきかという新しい一連の規則を策定する大規模な国々の集団を作ることにあります。プーチン大統領はまた、国連には優れた一連の規則があるが、米国は実際にはその適用を拒否している、と述べました。国連には軍隊がなく、米国やウクライナ、イスラエルによる基本的な国際法の違反に抵抗する力がないためです。

この新たなBRICS組織が国連を傍観者として活動させることは間違いないでしょうが、改革された「真の」国連は、世界の大多数の国々と独自の機関から構成され、米国が拒否権を持たない単位として機能することになるでしょう。この組織は、世界のほとんどの経済の運営方法の原動力を一変させることになるでしょう。

これらはすべて、経済学者が語らない分野です。学術的な経済学は、政府支出やインフレ、お金、信用といった単純な考えにとらわれ、(不労所得を最小限にとどめて財産の基盤とするのではなく)経済的地代という概念をまったく持ち合わせていません。

西洋の「富の創造」の原動力は、信用で不動産価格を引き上げることでした。中流階級は住宅価格が上昇するにつれて裕福になっていると告げられますが、その結果、新しい賃金労働者は親から住宅を相続しない限り中流階級に加わることができなくなっています。経済学ではもはや、国が実際にどのように富を蓄えることができるかについては語られていません。だから世界の大多数に必要なのは、本当に新しい経済学なのです。

ルカ・プラチディ: ありがとうございます、教授。私たちが今見ている非常に重要な話題がもうひとつあります。それはパレスチナとイスラエルの間で起こっていること、そして彼らがパレスチナの全住民を追い出すか、絶滅させようとしている中で「ハマスに対する」戦争と呼んでいる戦争です。

マイケル・ハドソン:米国からドイツ、その他の欧州諸国の政治家がウクライナ戦争や現在パレスチナで起こっていることについて話すとき、そこには一様に党派を超えて意見の一致が見られます。トランプ氏もバイデン氏と同じことを言っていますし、ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏も同じです。つまり、イスラエルを最後まで支援し、ウクライナも支援する、ということです。

しかし、イスラエルがガザだけでなくヨルダン川西岸で展開している大量虐殺には、全世界が衝撃を受けています。イスラエルによる残虐行為や病院への爆撃、世界に何が起こっているかを知らせないための記者やジャーナリストの暗殺により、世界からNATO西側諸国に対する道徳的憤りが引き起こされています。
そしてその怒りにより、NATO西側への帰属意識よりも、自国への帰属意識が高まっているのです。

パレスチナ人に対する攻撃は、ウクライナとNATOによるロシア語圏への攻撃と同様、米国の爆弾によるものです。したがって、パレスチナを攻撃しているのはイスラエルだけではありません。主に米国による攻撃なのです。この戦争は、イラクやリビア、シリアに対する米国の攻撃の論理的延長として考えることができます。これらの戦争の共通点は、イスラエルは近東の石油を支配するための米国にとっての陸揚げされた空母として機能している、という米国の見解です。米国が中東とその石油貿易の支配を維持できれば、石油を遮断することで他国の力を弱める力も保持できます。先に説明したように、石油は過去1世紀にわたって米国の力の鍵となってきたのですから。

これが、米国がイスラエルを支援してガザに爆弾を投下させ、米国の諜報スパイ網がイスラエルに爆撃場所を指示している軍事的理由です。米国の戦略家たちは長い間、勝つためにはまず病院を爆撃しなければならないという戦略をとってきました。その目的は、単に敵の住民を殺すことではなく、対人爆弾でその構成員を無力化し、一生不具になった女性や男性を支えるために永続的な諸経費を残すことにあります。そして最も重要なのは、子どもたちを爆撃し、彼らが成長して報復を起こさないようにすることにあります。

足を吹き飛ばされたり腕を失ったりした障害を持つ子どもたちの世話を他のパレスチナ人にさせるという考えは、あまりに非人道的で、文明の最も基本的な原則に反しているため、他の国々が米国から離れるきっかけとなっています。2024年7月25日、イスラエルのネタニヤフ大統領が米国議会に招かれたのは、計画中のレバノン攻撃に対する軍事支援を求め、米国をイラン攻撃に引きずり込もうという意図があったからでした。彼は、誰もが同意できるような言い方でこの問題を描写しました。ガザで18万人ものパレスチナ人を殺害または負傷させ、ヨルダン川西岸の入植者による殺害とパレスチナ人とその財産の破壊を加速させた彼は、ローザ・ルクセンブルクを彷彿とさせる言葉で、「この戦争は文明人同士の衝突ではなく、野蛮人と文明人、死を賛美する者と生命を神聖視する者との衝突だ」と説明しました。

まさにこれが問題なのだと私は思います。ネタニヤフ首相と彼を招いた米国議会のネオコン支持者たちは、中東の石油生産国に対する米国とイスラエルの新たな暴力で世界を脅かし、軍事的挑戦状を叩きつけたのです。今日、このような戦争が始められたということは、新たな蛮行で全世界が脅かされている、ということです。

すでに、世界の他の国々、アジアや南半球諸国には、西洋との知的・道徳的な大きな決別をしなくても何とかやっていけるだろう、と期待する傾向がありました。少なくとも短期的には、このすべてを何とか乗り越えられるだろう、分極化が続くのではなく、何とかして正常な状態に戻れるかもしれないという感覚でした。

しかし、イスラエルで起きていること、つまりパレスチナに対するイスラエルと米国による共同攻撃は、米国が自分たちにも同じようなことをするかもしれないと世界の多くの人々に衝撃を与え、米国/NATO諸国がウクライナの最後の一人まで戦う、と称しておこなっていることと同じことだ、と認識させました。米国がパレスチナ人の絶滅を支援しているのは、単にイスラエルを武器として利用し、中東の石油を米国が支配し続けるためであるという事実は、本当に忌まわしいことです。

米国がチリとアルゼンチンで鉱物資源と土地を奪い、労働組合指導者や土地改革者、シカゴ学派の新自由主義に反対する経済学教授を暗殺したのと同じように、イスラエルがサウジアラビアとその石油、アラブ首長国連邦、クウェートを占領するのを止めるものはありません。イスラエルとウクライナの共同戦争は、他の国々に、同様の運命を避けるために今すぐ行動しなければならないという切迫感を与えました。

他の国々はただ受け身でいるわけにはいきません。なぜなら、パレスチナ人に起きていることは、他の国々すべてに起こり得るからです。それが、世界支配を維持するために米国がとる行動の度合いを示しているからです。だからこそ、これらの国々はイスラエルのパレスチナ攻撃やウクライナのロシア語圏攻撃に資金援助しているのです。米国は爆弾やその他の兵器を提供し、軍隊を援助しています。このことが、米国と真に決別をするためにはもっと迅速かつ断固とした行動を取らなければならない、と世界の大多数が認識するきっかけとなる切迫感を生み出しているのです。

ルカ・プラチディ: 教授、大変お忙しいところ、本当にありがとうございます。改めてお礼を申し上げたいと思います。また、これらの主題についてさらに深くお話しできる時間をいただければ幸いです。ありがとうございます。

マイケル・ハドソン: ありがとうございます。この件について、また補足できる機会があればと思います。

ルカ・プラチディ: もちろんです。ありがとうございます。

マイケル・ハドソン: では。お招きいただきありがとうございます。

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抜粋おわり

札束で人間を殴り殺して喰らうのが、欧米&天皇家の「文明」ですよね。

より

上記文抜粋
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ロシア兵士が発見したウクライナのアドレノクロム産業

Jack Straw@JackStr42679640
https://x.com/JackStr42679640/status/1825301096807669766
Google翻訳
ロシア軍兵士らは、世界的なアドレノクロム取引のために、点滴につながれ、血液と副腎液を専門家の手によって抜き取られた、弱々しく衰弱した子供たちを発見したと述べている。
ウクライナのアドレノクロム産業はこれまで予想されていたよりも規模が大きく、プーチン大統領はそこから得られる手がかりを利用して世界的なアドレノクロムの供給チェーンを破壊し、児童に対する犯罪を犯す者たちを罰する決意をしている。その中には、彼が「悪魔の業」と呼ぶ薬物に依存している政治家や有名人も含まれる。
アドレノクロム特別対策部隊のメンバーによると、これらの工場型農場は、儀式的な性的虐待、身体的屈辱、精神的拷問が行われる場所だという。
「私はもうすべてを見てきたと思っていました。何年も戦闘に参加し、仲間が倒れるのを見、人類がもたらす最悪の事態に直面してきました。しかし、ドネツクで私たちが目にしたものに対して、何一つ、何一つとして備えることができませんでした。
「私たちは子供たちを解放すると言われました…そこに着くまで、それが何を意味するのか理解していませんでした。私たちはこの複合施設を一掃していました。それは陰鬱な場所でした…強制収容所やナチスの絶滅収容所のようでしたが、もっとひどい場所でした。もっとひどい場所でした。壁は灰色で、冷たく、湿っていました。空気は…腐敗臭と吐き気を催すような…何とも言えない臭いでした。そして私たちは彼らを見つけました。子供たちです。
「彼らは…幽霊のようでした。骨と皮だけ。彼らの体はとても脆く、ほとんど透明のようでした。彼らの小さな手には、肋骨の輪郭や骨のすべてが見えました。彼らの体からはチューブが伸びていて、血液や副腎液を排出するチューブが…何のためでしょう? 何らかの異常な取引のため、西側からの歪んだ要求のため。
「何百人もの人が、金属製の簡易ベッドの列にただ横たわっていました。毛布も暖かさもありませんでした。私たちが押し入ってきたときも、彼らはびくともしませんでした。恐怖も希望もありませんでした。彼らの目にはただ虚しさがありました。中には、私たちを見ることさえできないほど衰弱している人もいました。彼らは痛みや苦痛に慣れすぎていて、反応すらしませんでした。
「そして最悪だったのは? 一番年少の子たち… 中には2歳にも満たない子もいた。本当に赤ん坊だった。後になって分かったのだが、彼らはそのために育てられたのだ… 家畜のように監禁されて育てられ、人間らしさをすべて奪われたのだ。
「売れなかった子たち、つまり『可愛く』なかったり『従順で』なかったりした子たちは、これらの農場に送られました。農場…まるでそこを地獄と呼べるかのように。」
ジュリアン・アサンジWiki

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抜粋終わり

「ロシアへの移住の勧め。」プーチン大統領。(Chay Bowes 氏) プーチン、トランプという2人の大統領の言葉には伝統的価値観、道徳的・精神

野蛮だから、法治も「法の支配」も関係ないのが、天皇日本・・

より

上記文抜粋
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「法の支配」か「法による支配」か?/ Rule of Law or Rule by Law?

 Rule of Law は、「法治主義」とは異なる。法治主義という言葉も人によって若干用法が違うが、基本的には、統治が法律によって行われなければならないとする原理であると言ってよいであろう。具体的には、法治主義は、国民に義務を課す法の定立は(細部はともかくとして少なくともその大綱は)議会のよる法律の制定という形でなされるべきこと、司法は独立の裁判所により法律に準拠して行われるべきこと、行政もまた予め定められた法規に基づいて行われるべきことを、要求するものであるとされる。このように、法治主義は、英語では rule by law と表現するのが適切な性質のものなのである。

 これに対して、 rule of law は、統治される者だけでなく統治する者も、(「法律」ではなく)「法」に従うべきであるということを意味する。そこでの「法」という言葉には、自然法的な響きが籠められていることになる。そのような「法」が統治の各面を支配すべきだというのが、rule of law の真髄なのである。
田中英夫『英米法のことば』1986年有斐閣 pp.180-1

 さて、大日本帝国憲法下における統治は、原則的には「法治主義」Rule by Law であったであろうと思われます。なぜなら、もし統治者が、自然法的な、統治者も被治者も、ともに実定法を超えた「法」に傅(かしず)かなくてはならない、とすれば、明治天皇は「皇祖皇宗の神霊」ではなく「法」に傅く羽目に陥るからです。ただし、その断末魔において大日本帝国は、連合国軍に傅かなくてはならなくなり、挙句に、地上から delete されてしまいました。では、その衣鉢を継ぐ、戦後の日本国の統治者たちは、明治の遺産である「法治主義」Rule by Law から、「法の支配」Rule of Law に鞍替えしたのでしょうか。

 一応、両者の鵺的な position には移行したようです。というのも、戦後日本には、最高法規が二つあるからです。オモテの日本国憲法とウラの、日米安全保障条約および日米地位協定、です。そしてこの二つの最高法規がバッティングしそうになる度に、最高裁は高度な政治判断という「判断停止」を繰り返してきましたから、事実上、日本国の領土内での最高法規は、日米安全保障条約および日米地位協定、ということが論理的に帰結します。残念ながら、日本列島における「法の支配」とは、事実上「〈アメリカ合衆国=法〉の支配」の僭称であり続けていると言えそうです。

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抜粋終わり

さて、大日本帝国憲法下における統治は、原則的には「法治主義」Rule by Law であったであろうと思われます。なぜなら、もし統治者が、自然法的な、統治者も被治者も、ともに実定法を超えた「法」に傅(かしず)かなくてはならない、とすれば、明治天皇は「皇祖皇宗の神霊」ではなく「法」に傅く羽目に陥るからです。

だよね。だから「天皇には、法律関係ない」だったんだけど。
そんないびつなモノは、続くはずも無かった。

「現人神~天皇」など言った事態で、日本は滅びたのだよ。「天皇」って「野蛮」の象徴だったのだ。

より

上記文抜粋
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宮沢孝幸氏「ウイルスの研究者は、人工的にウイルスを作ることができます。…大阪大学と北海道大学の研究グループが2週間程度で新型コロナウイルスを人工合成する手法を確立しています。」「これは普通のワクチンではございません。新しい核酸製剤だったわけですよ。」

竹下雅敏氏からの情報です。

 今年の5月に京都大学を退職した宮沢孝幸氏の著書『新型コロナは人工物か?』を要約した動画です。
 5分45秒で、“ウイルスの研究者は、人工的にウイルスを作ることができます。コロナウイルスはRNAウイルスであり、ゲノム(遺伝情報)が長いので作るのは難しいとされていましたが、現在では、日本国内においても大阪大学と北海道大学の研究グループが2週間程度で新型コロナウイルスを人工合成する手法を確立しています。ただ、新しくウイルスを作る場合には、日本国内では文部科学大臣の許可が必要で、病原性を上げたりするものに関しては厳しく審査されます。国内の審査が厳しい場合には、審査基準の緩い国でその国の研究者の助けを借りて実験することもあり、仮に新型コロナウイルスが中国・武漢市のウイルス研究所で作られたとしたら、規制の厳しい国、本書の中ではアメリカからの指示で実験をしていたのではないかと推測しています”と言っています。
 日本に限らず世界中に「ウイルスは存在しない」と信じる極めつけの「陰謀論者」がいるのですが、上記の説明のようにウイルスを人工的に合成することができるのです。
 新型コロナウイルスは、これまでに時事ブログで取り上げた様々な情報から、武漢市のウイルス研究所で作られたと考えるのが自然だと思います。そして、意図的にばら撒かれたと考えなければ、その後に起こった様々な出来事、例えばデジタル認証やmRNAワクチンの作成や配布が米国防省による作戦であったことなどを説明できません。
 動画では続けて、“また、宮沢先生はmRNAワクチンと新型コロナウイルスがセットで計画されていたのではないかと疑っており、これはパンデミックの発生からあまりにも早くmRNAワクチンが世界市場に投入されたからだということです(6分45秒)”と言っています。
 また、2024年8月4日放送「そこまで言って委員会」の『再び感染者急増!?新型コロナ&ワクチンについて議論沸騰!』の中で宮沢孝幸氏は、“それから、これは普通のワクチンではございません。新しい核酸製剤だったわけですよ。それについて、安全性試験をどうやればいいかって10何年も議論していたわけですよ。それなのに、今回の新型コロナで全部反故にされたんですよ。そして、これだけの被害が出たわけですよ。打つ、打たないは、最初はしょうがなかった場面がありますよ。しかし、ほとんど効かないってことが分かった段階で、止めるべきでしたね(15分42秒)”と言っています。
 「打つ、打たないは、最初はしょうがなかった場面がありますよ。」という宮沢孝幸氏の発言には、まだまだ認識が甘いという気がしました。
 デイビッド・マーティン博士は「商業的、社会的利益のために極悪連中は、人々を虐殺することで自分たちの目的を達成しようとしたのだ。彼らは致命的な呼吸器病原体を民衆に放出する暴挙を決めたのだ。そうすることで人々は騙されmRNAワクチンを一回接種してくるだろう。しかし、ただそれだけのことで、人間の体が永久に変わることになるのだ。(2024年6月20日)」「目的は特定の病原体の生成だ。彼らはこう言っている。我々の目標は、数十億人の腕にこの指令を注入し、全員を生物兵器の製造工場に変えることだ。(2024年6月20日)」「私たちはこれから先、武力戦争を見ることになるが、既に始まっている生物戦争も急速に展開し、間違いなく地球上で最大規模の広がりとなるだろう。なぜなら、展開手段はこれほど簡単なものはなく、人々の恐怖心を煽るだけで済むからだ。皮肉なことに、人々は戦場から逃げようとしない。かえって、ワクチンを打つために自発的に診療所に駆け込む。実を言うと人々は我も我もとワクチンを打つのだ。これは、我々が想像できる最も奇妙な戦争である。(2024年7月10日)」と言っています。
 これまでに、きちんと新型コロナウイルスとmRNAワクチンに関する情報を追いかけていれば、デイビッド・マーティン博士と同じ見解になるはずです。
 そして、決して自らmRNAワクチンを接種しようとしない者たちのことを考慮して、レプリコンワクチン接種の実験を日本で行おうとしています。

(竹下雅敏)

【ベストセラー】新型コロナは人工物か? パンデミックとワクチンをウイルス学者が検証する【本要約】

配信元) YouTube 24/8/18

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抜粋終わり

天皇は日本人の恥で人類の敵。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。


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