天皇を根絶やしにして米英を国外に駆逐出来たら、世界は日本にひれ伏す。『立ち上がれ、アフリカ! 吼えろ、日本!』

上記文抜粋
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元アメリカ海軍情報局、軍事評論家のマックス・フォン・シュラー氏「トップがキリスト教原理主義の場合だったらアメリカは平和になるという考え方。」 / 「社会の営みの新しい原則」とは地産地消に根差した自給自足を基盤とするコミュニティのこと

竹下雅敏氏からの情報です。

 アメリカの現状について、元アメリカ海軍情報局、軍事評論家のマックス・フォン・シュラー氏は、アメリカのキリスト教原理主義者について、“トップがキリスト教原理主義の場合だったらアメリカは平和になるという考え方。例えば裁判官、軍士官、政治家、みんながキリスト教原理主義だったら平和になる”という考え方だと言っています。
 そして厳格なキリスト教原理主義者はアメリカの25%、まあまあ柔らかい方が25%で、だいたいみんな共和党右派の人だと言っています。そしてキリスト教原理主義の人たちがトランプをサポートしていると言っています。
 今、アメリカ国内に300ほどの民兵組織があり、小さいものは数百人、大きいものは3万人の規模で、そのほとんどはキリスト教原理主義で共和党支持だと言っています。
 石田和靖氏は、“今のそういうアメリカに対して、まあ不満爆発のその共和党支持者、彼らが民兵組織を作って国を変えようとしている。国を変えた新たなアメリカの在り方がキリスト教原理主義の国である”と話しています。マックス・フォン・シュラー氏は、アメリカでの内戦は避けられないと見ているようです。
 昨日の記事で、「いよいよヤバイ段階に入って来たな」とコメントしましたが、“続きはこちらから”のキンバリー・ゴーグエンさんの9月25配信の情報を見ると、この「ヤバイ段階」はどうやら世界規模のようです。この情報は南ドイツ在住の方からの情報提供です。
 昨日の別の記事では、 ベルギーのゲント大学のマティアス・デスメット教授(心理学)の言葉を紹介しました。教授は、「システムから排斥された人たちは、この社会からの破門を受けて、社会の営みの新しい原則を発見するでしょう。あなたが少し離れて今起きていることを観察すれば、これは間違いなく、新しい何かが誕生するプロセスであることが分かるでしょう。」と話していました。
 キンバリー・ゴーグエンさんの情報から、「社会の営みの新しい原則」とは地産地消に根差した自給自足を基盤とするコミュニティのことだと分かります。
 9月18日の記事で紹介した東京大学の鈴木宣弘教授の、“日本は1カ月半の備蓄しかない。…農家の平均年齢は70歳近くになっており、あと10年もすれば多くの農村は崩壊する。…他の仕事をしながら農業にも携わるような「半農」の形態を増やすということも必要だろう。極端に言えば、自分たちで食材を作るしかない。…耕作放棄地も使って身近な地域で生産から消費までの循環型の仕組みをつくりあげる。そうした意識を国民が持つ必要がある”という発言と繋がるものだと思います。
 また、記事では省きましたが、キンバリーさんは「ロシアはすべての製品を自社で製造し始めたため、誰もが破産するとき、ゲームの先を行っています。そして、彼らにはまだチョコレートがあるでしょう。彼らにはまだシャンプーがあります。彼らには皆さんがこれまで使用してきた商品、店で見たすべての商品がまだ棚にあります。」と話しています。
 ロシア型の国家の在り方、すなわちグローバリゼーションとは一線を画す国家経営が、国民の命を守ることになるという当たり前のことを、今後思い知らされるのかも知れません。
 この意味で、日本は最も危険な国なのです。「皆さんがそれに備えていることを願っています。」

(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

【アメリカ崩壊】アメリカはどういう国になるのか?! 2024年大統領選挙イヤーに起こる事 (マックス×石田和靖対談) ​⁠
配信元) YouTube 23/9/27


キンバリー・ゴーグエンさんの情報 2023年9月25配信

配信元)

UNITED NETWORK TV

私がしばらく話してきたすべてが、ついに実現し始めています。皆さんがそれに備えていることを願っています。
(中略)
まず、おそらく今日か明日には、主要な政府の崩壊が始まるでしょう。つまり、ホリデーシーズンが終わる1月、2月までには連邦政府、つまり、政府、つまり中央政府レベルの政府は存在しないことになるでしょう。州はより長く存続するでしょう。
(中略)
政府が破産すれば、航空会社が破産するまでそう長くはかからないでしょう。大手航空会社は世界中の政府からそれほどに資金を得ているからです。
(中略)
先ほども言ったように、来年の初めまでにはその失敗が見え始めるでしょう。準備はしておいたほうがいいでしょう。
(中略)
私たちは食べ物のことを心配する必要があります、地元の農場を調達して自分たちで栽培するシステムを見つけられるまで、私たちが大丈夫かどうかを心配する必要があります。私はこう言いました。もう一度言う前に、世界中、どの国にも食料を育てている人々がいます。そのような人々を見つけて下さい。彼らは独立した、小規模な、おそらく家族経営の農場です。おそらく、全員が数ドルかそれに似たものを寄付する協同組合を設立することができます。そうすれば、コミュニティのためにさらに成長することができます。1時間か2時間の外出になるかもしれません。トラックをレンタルする必要があるかもしれません。しかし、コミュニティに必要なものは手に入ります。私たちが自給自足できる向こう側に着くまではでこぼこ道だから、このようなことから考え始めて下さい。
(中略)
おそらく、小規模なチャンネルやそのようなタイプのものは存在するかもしれませんが、CNN、フォックスなどのメディアはエージェンシーから無限の巨額の資金を得ているという事実を私は知っています。
(中略)
だから、連邦から資金提供されているすべてのプログラム、連邦から資金提供されているすべての企業のリストを作成する可能性があることについて考えてください。
(以下略)

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抜粋終わり

日本は、戦後に「貿易立国」に仕立て直された。

なら、もっと外交は「全方位的善隣外交」をして当然なのに、、しない。

米英にしがみついて死ぬしかないのが、天皇。

経団連~天皇家のフロント企業群も、日本人を養う義務もない。

まあ、天皇とその臣下とその信者は、日本と日本人を守る義務也責務がないからな。

より

上記文抜粋

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COVID-19騒動の黒幕はアメリカの国防総省とCIAだとファウチの行動が示した

昨年12月までNIAID(国立アレルギー感染症研究所)の所長を務めていたアンソニー・ファウチが現役時代、CIA本部でCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)の分析に参加したと指摘されている。本部へ入る際、彼は記録を残さなかった、つまり秘密裏に入ることができたという。


 ファイザーやFDA(食品医薬品局)が75年間隠そうとしていた「ワクチン」に関する文書を医薬品業界で研究開発に携わってきたサーシャ・ラティポワは分析、​アメリカの国防総省はバラク・オバマ大統領の時代から「COVID-19ワクチン」の接種計画を始めている​という結論に達した。


 この「ワクチン」の実態は遺伝子操作薬で、人間の細胞に病気の原因であるスパイク・タンパク質を製造させ、抗体を作るというもの。このスパイク・タンパク質が病気の原因になるため、人間の免疫システムは細胞を病気の原因だと認識して攻撃、炎症を引き起こす。そうした炎症を抑えているのが免疫の低下にほかならない。いわばAIDS状態にするわけで、VAIDS(ワクチン後天性免疫不全症候群)なる造語も使われ始めている。


 接種が始まる前からADE(抗体依存性感染増強)を懸念する人は少なくなかったが、懸念された通りになっているようだ。​「ワクチン」を接種した後、それまで感染したことのない、さまざまな細菌性の病気にかかる人がいるとイゴール・チュドフは指摘​しているが、そうした状態がVAIDSだ。


 また、DNAの混入、mRNAを細胞の内部へ運ぶために使われているLNP(脂質ナノ粒子)の毒性、グラフェン誘導体の混入といった問題も指摘されている。LNPは卵巣を含むあらゆる臓器に蓄積、生殖システムが破壊される可能性があり、人類の存続を危うくしかねない。


 ​CIA本部を秘密裏に訪れたファウチが所長を務めていたNIAIDは「エコヘルス連合」会長のピーター・ダザックを介し、武漢病毒研究所(WIV)の石正麗を中心とするチームへ資金を提供していた。​エコヘルス連合はWHO(世界保健機関)にアドバイスする立場にもある。


 このチームは、SARSに似たコロナウイルスの「スパイク・タンパク質」が人間などの細胞の「ACE2(アンジオテンシン変換酵素2)」と結びつくメカニズムを研究、石はノースカロライナ大学のラフル・バリックとも協力関係にあった。


 WIVはテキサス大学のガルベストン・ナショナル研究所やカナダのNML(ナショナル細菌研究所)と共同で細菌に関する研究を行い、タミフルやレムデシビルを開発したアメリカの製薬会社ギリアド・サイエンシズともつながる。


 そのほか、武漢大学はデューク大学と共同で2013年に昆山杜克大学を設立しているが、デューク大学はアメリカ国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)と関係している。アメリカと中国との関係は2014年頃まで良好で、センシティブな研究を共同で行えたのだろう。DARPAは2018年からコウモリからヒトへコロナウイルスを伝染させる研究を開始、中国との国境近くに研究施設を建設している。


 エコヘルス連合は2014年以来、メタバイオタのパートナーで、アメリカのUSAID(国際開発庁)のプロジェクトに参加。つまりCIAの資金を受け取っていた。このプロジェクトは世界規模の新しい疾病の脅威を予測し、予防することが目的だという。メタバイオタは2014年にエボラ出血熱に関して研究していたが、状況を悪化させたと非難されている。アメリカ国防総省はウクライナでも生物兵器の研究開発を行なっているが、その研究開発施設の運営にエコヘルス連合も参加しているという。


 ウクライナでアメリカの生物兵器の研究開発施設を建設するという話が流れたのは2013年のことだった。アメリカ国防総省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれたのだ。実際、建設されたとされている。


 ​ジャーナリストのディリヤナ・ゲイタンジエワによると、ドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があるのだが、各研究所はハリコフより前の2010年から13年の間に建設されたという​。こうした研究所はCBEP(共同生物学的関与プログラム)の下でDTRA(国防脅威削減局)から資金提供を受けていた。


 アメリカ国防総省はウクライナだけに研究施設を建設したわけではない。中東、東南アジア、アフリカ、そしてジョージアを含む旧ソ連諸国にもある。


 特に注目されているのはジョージアにあるルガー・センター(国立疾病管理公衆衛生センター)で、近くにアメリカ軍のバジアニ空軍基地がある。センターで軍事プログラムを担当しているのはアメリカ陸軍医療研究ユニット・ジョージアの生物学者と民間業者で、CH2Mヒル、バテル、そしてメタバイオタが含まれる。


 彼らは外交特権を与えられているため、ジョージア政府の直接的な支配下に置かれることなく、外交特権のもとに米国政府のために仕事をすることができる。他の国でも同じ仕組みになっているようだ。その研究内容は生物兵器(炭疽病、野兎病)やウイルス性疾患(クリミア・コンゴ出血熱など)の研究、将来の実験のための生物試料の収集など。


 バテルはアメリカの国土安全保障省の契約に基づき、メリーランド州のフォート・デトリックでバイオ研究所を運営、極秘実験を行なってきた。


 この基地はアメリカにおける生物化学兵器の研究開発で中心的な役割を果たしてきた。日本の医学界が第2次世界大戦中に行った生物化学兵器の開発で生体実験を担当していた第731部隊の資料はここに持ち込まれ、研究者が派遣されている。同部隊の責任者だった石井四郎中将をはじめ、生物化学兵器の関係者の責任をアメリカ政府は問わなかった。


 エコヘルス連合やメタバイオタはRSTP(ローズモント・セネカ・テクノロジー・パートナーズ)という投資ファンドから資金を得ていた。このファンドは2009年にハンター・バイデンとジョン・ケリーの連れ子によって設立されたローズモント・キャピタルの下部組織で、ハンターが率いていた。言うまでもなく、ハンターはジョー・バイデン大統領の息子である。RSTPの共同設立しゃであるニール・キャラハンはメタバイオタの顧問委員会メンバーでもある。


 ロシア軍は昨年2月24日から巡航ミサイルなどでウクライナの軍事基地や生物化学兵器の研究開発施設などを攻撃、機密文書を回収した。​その中に含まれていた生物化学兵器に関する約2000文書の分析を行った結果、アメリカはウクライナで「万能生物兵器」を研究していたことが判明したという​。


 回収文書の分析を指揮してきたロシア軍のイゴール・キリロフ中将によると、ウクライナにはアメリカのDTRAが管理する研究施設が約30カ所あり、生物兵器の研究開発を行っていた。ロシア国防省が発表したスライドによると、アメリカの民主党を病原体研究の思想的な支柱とし、その思想を実体化させる役割を負っているのが国防総省やCDCを含むアメリカの政府機関だ。


 ​キリロフが記者会見でウクライナにおける生物兵器の問題について発表した翌日の3月8日、アメリカの上院外交委員会でビクトリア・ヌランド国務次官(当時)はウクライナの施設で研究されている生物化学兵器について語っている​。マルコ・ルビオ上院議員の質問を受け、兵器クラスの危険な病原体がロシア軍に押収されるかもしれないと語ったのだ。つまりウクライナの研究施設で生物化学兵器の研究開発が行われていたことを否定しなかった。


 COVID-19騒動を操ってきたのはアメリカの国防総省とCIAであり、その背後には両機関を動かす強大な私的権力が存在していると考えるべきだろう。マンハッタン計画と似た構図に見える。その私的権力を直視している日本人が多いとは思えない。

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抜粋終わり

まあ、そのワクチンと新コロを作ったのは、日本人もいる。

天皇家とその閨閥にとって、日本人は「殺して金に換える」ものですからね。

だが、日本人が天皇廃止OR天皇家とその閨閥の皆殺しをすると、世界は日本を仰ぎ尊ぶしかなくなるよな・・

中国の繁栄も、天皇を根絶した日本の栄光の「刺身のつま」である。

より

上記文抜粋
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『立ち上がれ、アフリカ! 吼えろ、中国!』の著者、高云翔とのインタビュー

<記事原文 寺島先生推薦>
Arise, Africa! Roar China! Interview with Gao Yunxiang
出典:INTERNATIONALIST 360°  2022年6月13日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2022年9月29日

 『起て、アフリカ! 吼えろ、中国!』は、進歩的なアフリカ系アメリカ人と中国革命の歴史的な結びつきの側面を探求した重要な本だ。2021年12月に北カロライナ大学出版局から刊行された。著者である高云翔博士は、中華人民共和国で生まれ育ち、現在はカナダのトロントメトロポリタン大学で歴史学の教授を務めている。彼女の本は、第二次世界大戦および冷戦中において、20世紀の最も有名な三人――アフリカ系アメリカ人であるW. E. B. デュボイス、ポール・ロブソン、ラングストン・ヒューズ――と、ほとんど知られていない中国の同盟者――ジャーナリスト、音楽家、クリスチャン活動家の劉良模、および中国・カリブ系ダンサー・振付家であるシルヴィア・シーラン・チェン――との間にあった、彼らの密接な関係を探求している。中米関係の研究において新たな道筋を描き出す高云翔博士は、アフリカ系アメリカ人を中心に据えつつ、黒人の国際主義の研究と中国系アメリカ人の経験とを結びつけ、太平洋をまたぐ物語と中国の現代的な大衆文化と政治の世界的な再構築の理解を組み合わせる。高云翔博士は、中国人とアフリカ系アメリカ人の進歩的な交流について、特に活発だった1960年代から1970年代初頭以前の交流を明らかにしている。

 この本を紹介するために、米国コーネル大学のアフリカ研究の博士候補生である劉紫鳳(りゅう・しほう)によってSixth Toneウェブサイトのために行なわれた高博士への2部構成のインタビューを再掲載できることは喜ばしいことです。
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劉紫鳳: 中国人とアフリカ系アメリカ人の関係に興味を持つきっかけとなったのは何ですか?『立ち上がれ、アフリカ! 吼えろ、中国!』を執筆することになった動機は何ですか?

高云翔:初めての著書『公正な性別』の研究中、私は『人民日報』でW. E. B. デュボイス(Du Bois)とシャーリー・グラハム・デュボイス(Shirley Graham Du Bois)に関する賞賛の記事を見つけました。それで私の少女時代に読んだものを想い出しました。特にある古い新聞記事と宣伝ポスターです。

 私の幼少期の家は内モンゴル自治区にあり、天井はまとめ買いした古い新聞で覆われた木製の平らな格子でした。読み書きを覚えた後、私は毎晩、自分の枕のすぐ上に貼られた見出しを見ることになったのです。それは、翌年の旧正月になって新しい古新聞の層で覆われるまでの間、毎晩のように続きました。それらの言葉を毎日読んだので、それらは私の脳に刻まれました。「ロバート・ウィリアムズとデュボイス夫人、毛沢東主席の発言を熱烈に支持、黒人アメリカ人の暴力的な抑圧に対する闘いを支持」という言葉です。

 その表題は、今度は、私たちの小さな教室に掛かっていた、1年から3年までの18人の生徒のためのポスターの記憶とつながります。解放闘争における団結を提唱するこのポスターには、憤慨した様々な民族の男性と女性が、活気ある服装を身にまとい前進している様子が描かれており、中央には筋肉質の黒人の男性が銃を持って立っていました。

 『公正な性別』は2013年に発表されました。同じくその頃、私はDu Bois Review誌に論文を発表し、W. E. B. とシャーリー・グラハム・デュ・ボイスの毛沢東主義中国での活動が中米関係と黒人国際主義に新たな次元をもたらしたことを探究しました。その論文を執筆する際、当然のようにポール・ロブソンとの出会いがありました。彼はデュ・ボイス夫妻と切り離せない連携を結んでいました。その後、ポール・ロブソンと中国の知られざる興味深い関係を調査する中で、彼の中国の仲間である劉良模とシルヴィア・シーラン・チェンとの出会いもありました。

 もちろん、私は彼らが誰なのかについてすぐに興味を持ちました。シルヴィア・シーラン・チェンについて調べているうちに、ラングストン・ヒューズが彼女の恋人であったことを知りました。そこで、まるで鎖のように絡み合ったこれらの人物を追跡しました。

劉:アフリカ系アメリカ人の知識人、アーティスト、そして活動家たちは、中国の何に惹かれたのでしょうか? どのように中国と出会ったのでしょうか? これらの出会いに対する彼らの印象はどうだったのでしょうか?

高:世界の有色人種間の団結と、彼らの反人種差別と反植民地主義への運命的な共感が、これらの人物の中国への注目を集めたのです。国家が課す圧倒的で組織的な人種差別と白人至上主義に立ち向かう少数派として、黒人の知識人や活動家は、同様に抑圧されている中国に目を向け、刺激と力を求めようとしたのです。

 これらの人物と左翼中国人および中国との結びつきは、深い感情的および知識的基盤の上に築かれました。彼らは、中国-アフリカの間には人種や、言語、哲学、そして芸術的な関連があるとの信念を共有していました。ヒューズは、中国人を「非常に陽気な人々で、故郷の有色の人々に似ている」と観察しました。デュボイスは中国人を「肉体的には私のいとこ」と称賛しました。

 デュボイスとロブソンの二人は、アフリカと中国の文明のつながりを一貫して述べ、孔子や老子などの有名な中国の文化的偉人を引用し、アフリカ文明は洗練されているとの議論を展開し、一般的に認識されているアフリカの「原始性」という否定的な固定概念に対抗し、白人至上主義の正体を暴露しました。

 文化的に共通性があることは必然的に政治的な連携をもたらしたのです。中国の革命を非白人社会と経済の向上の手段として受け入れることで、黒人知識人は、アフリカ系アメリカ人の闘争を中国民族主義者の闘争に直接、結びつけました。ヒューズが1933年に「信じられないくらい素晴らしい」上海を訪れたことで、彼は中国の土地に足を踏み入れた最初の有名黒人知識人となりました。彼は中国の植民地支配の下での苦難、特に日本の直近の侵略の下での苦難に深い共感を抱いていました。ヒューズは、1937年の日本の中国への全面侵略の後、中国の抵抗を讃える情熱的な詩「吼えろ、中国!」を書きました。

 1949年の共産党の勝利は、中国を非白人の革命的な闘争の柱にし、数百万人にとって植民地主義に打ち勝つお手本となりました。ロブソンはロマンティックに想像しました―非白人の世界は、立ち上がる中国を「東方の新しい星・・・帝国主義的な奴隷制から独立と平等への道を指し示している」と見るだろうと。

 1959年の壮大な中国旅行中、デュボイスは西洋の人種差別や、植民地主義、そして資本主義などに対抗する中国とアフリカの尊厳と結束を繰り返し宣言しました。「アフリカよ、立ち上がれ、そして姿勢を正せ、話せ、考えよ! 過去500年間の西洋とその奴隷制と屈辱に背を向け、昇る太陽に向かえ・・・ 中国はあなたの肉と血の一部だ」。 彼は「より肌の色の黒い世界」は社会主義を「肌の色の問題に対する唯一の答え」として採用するだろうと予測し、それによってアフリカ系アメリカ人の地位が向上するだろうと述べたのです。

 ヒューズは、アメリカでは反共ヒステリーがあったため、急進主義から身を引いたにもかかわらず、中国人民共和国に力があることへの自信は持ち続けました。中国共産党から得た刺激は抑えていましたが、アフリカ系アメリカ人が受けた残酷な人種暴力に対する怒りで再びそれは表面化しました。「バーミンガムの日曜日」というヒューズの詩は、1963年9月15日のアラバマ州バーミンガムの第16番街バプテスト教会での爆破事件で亡くなった4人の黒人少女に捧げられました。彼の怒りはかつて中国の抑圧された人々が感じた怒りと接点を持ちました。

劉: あなたが特にとりあげた中国の知識人と活動家についてはどうですか? 彼らは何者だったのですか? 彼らはなぜアフリカ系アメリカ人に接触しようとしたのですか、中国―黒人の連帯を築くために彼らは何をしましたか?

高: 中国の知識人たちは、文学と劇を通じて、中国の半植民地国家としての「奴隷制度」とアフリカ系アメリカ人の奴隷制度には共通するものがある昔から考えてきました。林紓(りん・じょ)と魏毅 (ぎ・い)は、ハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』の翻訳(1901年)の序文で、黄色い人々が受けた苦痛は黒人アメリカ人が耐えた苦痛よりもさらにひどいと主張しています。中国人はこの本を読む必要があったと林と魏は述べています。「奴隷制は中国人に差し迫っている。我々は国民の目を覚まさせるために叫び声を上げなければならなかった」からだと書いています。

 連邦捜査局や移民帰化局による嫌がらせ、人種的テロや差別に直面しながらも、劉良模(ちょう・りょうばく)とシルヴィア・シーラン・チェンが勇敢にも渡米したことは、中国とアフリカ系アメリカ人の文化的な提携を新たな歴史的設定へと導きました。劉は才能ある音楽家であり、多作なジャーナリストであり、第二次世界大戦中に戦争動員を目的とした太平洋横断大衆歌唱運動を始めたキリスト教活動家でした。彼はアフリカ系アメリカ人との緊密な協力関係を築いた中国人の先駆者であり、黒人の偉大さを憚ることなく称賛し、後に人民共和国でのデュボイスやロブソンの受け入れを促しました。劉とロブソンが協力した数多くの分野の中でも、彼らは大衆歌唱運動の代表曲を世界に広めることに貢献しました: 「チー・ライ(起来)」、あるいは 「義勇軍の行進」です。

 1941年、ロブソン、劉、そしてニューヨーク市チャイナタウンの中国人手洗い同盟*の一員である劉が組織した中国人民合唱団は、Keynote Recordsのために「チー・ライ(起来):新しい中国の歌(Chee Lai: Songs of New China)」というアルバムを録音しました。劉はそのアルバムのライナーノート(付属解説書)で、このコラボレーションを「中国人と黒人との強力な連帯の証」と考えていた、と書いています。
*1933年に設立された中国手洗い同盟(CHLA)は、北米に住む華僑の市民権を保護し、「アメリカ社会での孤立を打破するのを助けるため」に形成された労働組織。この開かれた左翼組織は、「中国を救うため、自分たちを救うため」というスローガンや「日本の満州侵攻に抵抗し、中国を救う」といったさまざまな手段を使って、満州への日本の侵略に反対した。(ウィキペディア)

 ロブソンのライナーノートには次のように記されています。「チー・ライ!(起きろ!)は、今日、何百万もの中国人が口ずさんでおり、私に言わせれば非公式な国歌のようで、この民族の不屈の精神を象徴しています。この現代の作曲による歌と、闘争の中で新たな言葉を付け加えた古い民謡の両方を歌うことは、喜びであり特権です」。

 この歌は1949年に中華人民共和国の国歌として採用されることになります。

 チェンは、現代アメリカ・メディアの報告によれば、国際的な評判を持つ世界初の「近代中国/ソビエトのダンサー・振付家」でした。彼女は1920年代に中国の外相であった陳友仁(ちん・ゆうじん)と、彼のフランス人の妻クレオールの娘でした。また、彼女は「中国のモダンダンスの母」として称賛される戴愛蓮(だい・あいれん)の従姉妹でもありました。

 陳家と戴は共にトリニダードで生まれ、中国語をほとんど話しませんでした。陳(シルヴィア・シーラン・チェン)はモスクワでヒューズとロマンティックな関係になり、ヒューズの中国に対する興味を掻き立てました。国際的な共産主義ネットワークとのつながりを築き、上海の左翼文化界に彼を引き込む手助けをしました。陳(チェン)はヒューズとロブソンにとって、黒人と中国人の「完璧な」融合を具現化しているものであり、二人の空想的な想像力を捉えました。一方、彼女自身は世界中で民族性、戦争、革命を振り付け、踊る旅を続けました。そしてそのように異人種を結合しようとする取り組みは人種的、政治的なねじれの複雑さを顕わにします。

劉: あなたの本で特に取り上げたアフリカ系アメリカ人の知識人は、中国人の黒人観や世界秩序の未来図をどのように形作ったのですか? そして、中国がアフリカ世界と関わることが、少なくとも劉良模とシルヴィア・シーラン・チェンの場合、アフリカ系アメリカ人が中国の政治と文化、そして一般的に黒人急進派の思考を理解する上で、どのような影響を与えたのですか?
高: W.E.B.デュボイス、ラングストン・ヒューズ、およびポール・ロブソンの中国滞在と中国人滞在者たちとの連携は、汎アフリカ主義と汎アジア主義の力学の変化を促進し、最終的には毛沢東の第三世界理論の「肌の色ライン」に影響を与えました。

 この変革の過程は、中華民国(1912-1949)における黒人のイメージの緩やかな変化から始まりました。アジアの「病人」だという恥ずべき評判に傷つき、ナチスの人種差別と日本の帝国主義的野望への警戒感もあり、中国は1932年と1936年のオリンピックで中国の選手たちが繰り返し敗北したことに胸がかきむしられるような苛立ちを感じました。そこで、中国のメディアは、世界の有色人種を代表してボクサーのジョー・ルイスと陸上競技選手のジェシー・オーエンズの「自然な」身体的な力強さを賞賛しました。

 中国の一流漫画雑誌である「モダン・スケッチ」の第一号の表紙は、1936年のオリンピックに捧げられ、オーエンズの勝利に刺激を受けています。この雑誌の裏表紙には、アメリカのシャンソン歌手ジョセフィン・ベーカーに似た筋肉質の、バナナのスカートを着た黒人女性が描かれ、表題には「オリンピックでの有色人種の勝利」とありました。

 これらの2つの画像は、アフリカ系アメリカ人の中国的な描き方を示しています。当時中国を訪れたデュボイスは、中国人は、「スポーツだけでなく、科学や、文学、そして芸術などにおいても代表とならなければならない」と宣言しました。ナイトクラブでのジャズミュージシャンは、「外国の楽器の悪魔(洋琴鬼)」として無視されるか、歯磨き粉や白いタオルの広告で風刺的に描かれるかかが、共和国中国のメディアが黒人を描く支配的な表現法でした。デュボイスや、ヒューズ、そしてロブソン(中国の評論家がその知的能力を「天才」と評した)などがこのような画一的な見方を変えていったのです。

 ヒューズは上海への旅行中、作家魯迅を中心とする市の左翼文化サークルにあっという間に受け入れられました。彼らの雑誌は彼を「名声の確立した最初の黒人革命作家」と賞賛し、「抑圧された人種のために吠え叫び、闘い続けている」と称賛しました。ヒューズの訪問は、彼の作品と黒人文学に対する持続的な関心を中国で引き起こしました。

 黒色と革命を結びつける最終段階は、中華人民共和国の時代に起こりました。国際的に有名なロブソンに関する語り口は、異国のエンターテイナーから、中国社会主義市民の英雄的な模範であり、それを鼓舞する人、とすぐに変わりました。彼は国営メディアで「世界の抑圧された大衆のための黒人の歌の王」として紹介され、「芸術と政治の完璧な結合を具現化した人」と評されました。

 デュボイスが好意的な視線を日本から中華人民共和国に転換した後、彼は、中国から「有色人種世界」の新たな柱としての象徴として扱われました。彼と彼の妻は訪中の際、前例のない国家的な歓待を受けました。この夫婦は頻繁に中国の最高指導者と交流し、国の国慶節の祝典で天安門広場の壇上に初めて登場し、主要新聞の一面を何度も飾りました。デュボイスの誕生日は重要な国家行事として祝われました。

 一方、劉と陳は、中国系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人が直面していた、燃え上がるような問題(例えば、投票税、中国排除法、ジム・クロウ法、アフリカ系アメリカ人のリンチなど)を関連づけました。それらを廃止するよう呼びかけたのです。

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劉紫鳳:冷戦時代の国際秩序、中ソ関係、そして中国とアメリカの外交政策の変化が、中国系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人の関係にどのように影響を与えましたか?

高云翔:冷戦の緊張が高まる中で生まれた幼児のような中国人民共和国は、朝鮮戦争で核兵器を持つ超大国と対峙せざるを得ませんでした。この時点で、歌手、俳優、活動家であるポール・ロブスンは、中国の勇敢で信頼できる友人として最上の賞賛を受けました。ロブスンにとって中国は彼が切望していた強力な支援の源でした。

 1949年4月20日は、ロブソンのアメリカでの政治的失墜の始まりを示す日でした。その日、彼はパリで開催された国際平和大会で、「アメリカの黒人が何世代にもわたり我々を抑圧してきた者たちのためにソビエト連邦と戦うことは考えられない」と述べました。この発言はすぐに各方面から非難を浴び、有名なアフリカ系アメリカ人野球スターであるジャッキー・ロビンソンもその中にいました。ロブソンは野球の(黒人)差別撤廃に力を貸していました。

 W.E.B.デュボイスとともにロブソンを強く支持したのは中国共産党でした。人民日報はロビンソンを非難し、ロブソンを擁護しました。人民日報はロブソンのスピーチを報道し、その中で、2,000人の出席者の中からスタンディングオベーションを受けたこのスターの姿に焦点を当てました。出席者には、ノーベル賞受賞者で核科学者のフレデリック・ジョリオ=キュリー、そしてロブソンの友人である画家パブロ・ピカソもいました。その組織的な、地域と世界の平和運動をアメリカの中国内戦への関わりやその後の朝鮮戦争への関与に対する一般市民の強力な非難と捉えた人民日報は、デュボイスとポール・ロブソンの平和主義運動への参加を詳細に報道しました。

 アメリカ合衆国は、急速にロブソンへの攻撃を加速させました。最も重要で醜悪な例は、1949年8月に右翼の群衆がロブソンのコンサートを残忍に襲撃した、いわゆる「ピーキル暴動」でした。その後、アメリカ合衆国国務省はロブソンのパスポートを取り消し、彼の輝かしい経歴の邪魔をしました。これは、ロブソンの著作と人民日報の報道の両方でしっかり記録されているように、ロブソンと中華人民共和国はお互いにもっとも困難な時期に絶えることのない支援を提供し合ったのです。

 1950年代末には、大失敗となった大躍進政策の余波で、中国はアフリカ系アメリカ人の文化的巨人たちの民衆支持を歓迎する直接的な理由がありました。中国共産党は、革命を再活性化し国を社会主義化するために新しい国内的見通しが必要でした。さらに、ソビエト連邦による世界共産主義の支配と、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの元農業植民地との運命を結びつけた「第三世界」の指導を志向する中で、新しい外交の擁護者と戦術も必要でした。

 中国共産党(CCP)は既にアフリカに接近していましたが、新たに独立したアフリカ諸国は中国の提案に対して慎重かつ控えめに応じました。これらのアフリカ系アメリカ人の評価は、中国が(アフリカ)大陸全体での同盟を築くための扉を開くのに役立ちました。特に、デュボイスの評判と支持は非常に重要でした。デュボイス夫妻が1959年に中国を訪れた後、中国のアフリカへの外交的な接近、援助、広報活動は頂点に達しました。外交的および経済的な理由から、中国はアフリカに大きな存在感を維持し続け、その育成にデュボイス夫妻が貢献したのです。

 1960年代、毛沢東は急進的な黒人との接触に興味を持ち、彼らを真の革命家として賞賛しました。影響力のある黒人活動家であるロバート・ウィリアムズは、『銃を持ったニグロ』の著者として、私の子供の頃の寝室の天井に掲示された人民日報の見出しに出ていました。同時に、黒人アメリカ人は毛沢東の反米帝国主義に感銘を受け、暴力的な闘争と文化的変革を革命の力として強調したことに感銘を受けました。

劉:国際的な交流の場合にしばしば起こるように、あなたが描写する中国とアフリカ系アメリカの知的、文化的な相互作用は、誤解、曖昧さ、そして対立に満ちたものでした。あなたの著書に登場する5人の中心的な人物の国際政治の複雑さと矛盾は何でしたか?

高:曖昧でときおり危険な、そして変動する太平洋を横断する政治とイデオロギーの世界に挟まれ、私が紹介した世界市民の5人、すなわちW.E.B. デュボイスや、ポール・ロブソン、ラングストン・ヒューズ、劉良模、そしてシルヴィア・シーラン・チェンなどは、それぞれ曖昧さと対立を経験しました。例えば、1962年には、中華人民共和国の国営メディアや出版社が突然、1950年代を通じて中国社会主義市民の英雄的な革命モデルとして宣伝していたロブソンについて発言しなくなりました。中ソ対立が公然となった後、ロブソンが平和共存を主張する立場は、太平洋を横断する大国間の力学の変化の中で、中国政治に嫌われたのです。

 公式の報道機関は、ヒューズへの対応の仕方を変えました。マッカーシズムと朝鮮戦争の頂点でヒューズが過去の過激な活動を公然と放棄したことについては、報道機関は不器用なまま沈黙し、代わりに彼が1930年代にいた作家として、まるで時間カプセルに保管されているかのように彼を見つめ続けたのです。一方、劉と陳(チェン)は、過激な毛沢東主義の時代には、彼らが長らく理想化してきた体制によって、軽視され、さらには攻撃されることもありました。

 W.E.B. デュボイスが帝国主義日本を「より色黒な(人間の)言葉」の柱として扱ったことは、最も論争を呼びました。デュボイスは1936年に分離された条約港の上海を訪れました。日本当局に甘やかされ、彼は上海外灘にある豪華なホテルの和平飯店に滞在しました。上海大学では、デュボイスは「ステージに座ったまま」、ロックフェラー財団の代表がアメリカへの奨学金について話すのを聞いていました。

「私は学長に対して、中国の集団と底意地のない形で人種的および社会的な問題について話をしたいと思います」とデュボイスは回想しました。彼はやがて、11月30日に香港ロード59号地にある中国銀行家クラブでの昼食会に「無謀にも飛び込みました」。彼は、「なぜあなた(中国人)は、イギリス、フランス、ドイツよりもむしろ日本を嫌うのですか? あなたたちは日本よりもむしろイギリス、フランス、ドイツからのほうが多くの苦しみを受けているのではないか?」と、その理由を知りたいと言いました。デュボイスは続けて、もし日本と中国が協力すれば、おそらくヨーロッパをアジアから永久に排除できるかもしれないと述べました。デュボイスは冷静に報告しています:「かなりの沈黙が続いた。私もその沈黙の中に入った」。

 彼に応対した人々は面食らって、中国が抱える問題に関係なく、日本の軍国主義が進展を妨げていると応答しました。デュボイスは納得せず、後になって「アジアで最も当惑するのは、中国と日本がお互いに抱いている火のような憎しみだ」と述べました。彼は1936年12月1日に上海を出発し、上海丸で長崎に向かう船上で、決定的に侮辱的言葉を放ちました。中国国民党員たちを「アジアのアンクル・トム」と呼び、彼らをアメリカ合衆国の白人の人種差別の従順な黒人奴隷になぞらえたのです。

 デュボイスは、日本の支配の美点を繰り返し強調し、中日同盟を強く提唱しました。この同盟は、「より肌の黒い人々のために世界を救う」と彼は主張しました。彼は日本軍が北京と上海を占拠した後も、これらの見解を断固として維持しました。1937年末から1938年初めにかけて、日本軍が中国の当時の首都である南京で行なった虐殺である南京大虐殺の報道に対して、デュボイスは、多くの白人アメリカ人がその殺戮に対する恐怖を表明しているにもかかわらず、エチオピアでのイタリアの最近の略奪行為について言及する人間はほとんどいないではないか、と反応しました。

劉: あなたの本に記された物語が中米関係を理解するために提供する教訓は何ですか?

高: 中米関係に関する大半の研究は、アメリカを白人の初期設定として扱っていますが、『立ち上がれ、アフリカ! 吼えろ、中国!』は、アフリカ系アメリカ人を前面に出すことで新しい道を切り開いています。これにより、ヘンリー・キッシンジャーとリチャード・ニクソンを中心に据えた論述から離れ、アフロアジアの歴史を世界史の中心と捉え、今日でも重要な存在である国際的な反帝国主義と人民運動に焦点を当てることができます。私の本は、黒人国際主義の研究と中国、中国系アメリカ人の経験を、太平洋をまたぐ物語で結びつけています。これにより、1960年代の黒人急進派と、毛沢東中国のよりよく知られている連携以前にあった中国と黒人左派の代表的な人物との広範な交流が明らかにされています。

 本書はまた、中国の現代大衆文化と政治が世界的に作り変えられていることも示しています。本書は、中国が一般的に孤立し、より広い世界とは無縁とみなされてきた時期にも、国境を越えた中国の関わりがあったことを追跡しています。

 この5人の世界市民の交錯する生活は、通常は重なり合わない領域に住んでいると見なされがちですが、人種差別や疎外感を前面に押し出す物語に対する強力な反論となっています。彼らが人種、国籍、文化、言語の境界を超えて取り組んだ努力は、政治的、法的、移民、外交上の障壁があっても、世界が常につながっていることを示しています。彼らの物語は、黒人の国際主義と中国系アメリカ人-アフリカ系アメリカ人の協力の力と可能性を垣間見るものです。「立ち上がれ、アフリカ!」とデュボイスが表現し、「吼えろ、中国!」とヒューズが表現したことは、それぞれ、ある民族とある国家にいる同一民族の共通の闘いに対応するものです。彼らが示した力と明るい見通しは今日まで響き渡っています。

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抜粋終わり

>もし日本と中国が協力すれば、おそらくヨーロッパをアジアから永久に排除できるかもしれないと述べました。

中国・朝鮮半島・日本人を殺しまくった天皇家とその閨閥が、それを許せるはずがない。

だが、日本人が蜂起して天皇廃止OR天皇家とその閨閥の粛清を出来たら、日本を首脳とするアジア同盟を遣ることも不可能ではないだろう。「天皇を殺しつくせた日本」は世界最高峰の民主的文化的国家になるのだから・・・

まあ人口と土地がある中国に一部栄光を譲らんといけないが、それも「偉大な天皇の無い日本って国の刺身のつま」ってなるだけのポテンシャルはある、天皇廃止OR天皇家皆殺しができたらで・・。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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