「天皇」が存在するから、日本の会社の生産性が悪い。保守は「天皇」を廃止すべきである


より

上記文抜粋
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日本人の「働く幸せ実感」、世界最低クラス!管理職だけが「幸福」な理由は? 国際比較調査で判明...「権威主義・責任回避」企業文化が元凶だ

「あなたは幸せに働いていますか?」。こう問われたら、何と答えればよいだろうか――。

「働いて、笑おう」がモットーの人材サービス・シンクタンク「パーソル総合研究所」(東京都港区)が2023年4月12日、「日本の働く幸せ実感はなぜ低い 世界18か国・地域の主要都市における就業実態・成長意識調査」というリポートを発表した。

なんと、調査対象の18か国・地域の中で、日本の「幸福度」は最下位。しかも、日本では管理職だけが「幸せ」だというのだ。思い当たるフシがないでもないが...いったい、どういうことか?

毎日、「無感動」で仕事をする人が多い国ニッポン

パーソル総合研究所は2022年11月、日本を含むアジア太平洋地域(APAC)と、欧米5か国を含めた世界18か国・地域のそれぞれ20歳~69歳の就業している男女約1000人ずつを対象に、「働く幸せ実感」(Well-being)についての意識調査を発表した。

具体的には、日本、中国、韓国、台湾、香港、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナム、インド、オーストラリア、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンの18か国・地域だ。

その結果、日本は18か国・地域の中で最も「働く幸せ実感」(私は、働くことを通じて、幸せを感じている)が低かった。また、その逆である「働く不幸せ実感」(私は、働くことを通じて、不幸せを感じている)も、下から3番目に低かったのだ【図表1】。


(図表1)「働く幸せ実感」が最下位の日本(パーソル総合研究所の作成)


日本と韓国に共通する「権威主義・責任回避」の企業文化

どうしてこんな結果が出たのか。そこで今回は、昨年の調査データをもとに「なぜ、日本の働く幸せ実感が低いのか」を明らかにする分析を行った。

注目したのは、最下位の日本に次いで「働く幸せ実感」が低い韓国。日本企業と韓国企業の組織文化は、ともに「上層部の決定にはとりあえず従う」「物事は事前の根回しによって決定される」といった「権威主義・責任回避」が、ほかの国々に比べて比較的高い傾向にあるのが特徴だ。

【図表2】は、日本と18か国・地域全体の組織文化の特徴の差を、「働く幸せ実感」「働く不幸せ実感」の度合いと重ねわせた相関グラフだ。これを見ると、「権威主義・責任回避」という特徴が、「働く幸せ実感」ではマイナスの最も下に、「働く不幸せ実感」ではプラスの最も上に登場している。


(図表2)日本の「権威主義・責任回避」の組織文化が「不幸せ」を招いている(パーソル総合研究所の作成)

(図表2)日本の「権威主義・責任回避」の組織文化が「不幸せ」を招いている(パーソル総合研究所の作成)

つまり、日本企業の「権威主義・責任回避」という組織文化が、特に若い働き手の幸福感を低下させる重大な原因の1つになっているということだ。

このことは、一般社員・従業員層と管理職層に「幸福感」を聞いた調査結果によく表れている。

【図表3】を見ると、「権威主義・責任回避」の組織文化が、一般社員・従業員層では「幸福感」にマイナスに働いているが、管理職層ではそういった傾向はなく、むしろ「幸福感」が高い。


(図表3)日本では管理職だけが「幸せ」(パーソル総合研究所の作成)


日本以外の国々の組織文化では、このように管理職層と非管理職層の間で「働く幸せ実感」の逆転現象は起こらない。「管理職だけが幸せになれる国」は日本だけなのだ。

国連も指摘、日本の他者への「寛容性」の低さが不幸の一因

もう1つ、日本の「働く幸せ実感」を下げている重要な要因は、日本の就業者の「寛容性」の欠如だ。

昨年11月の調査では、日本は香港に次いで、「自分とは考え方や好み、やり方が違う人と積極的に関わりたくない」といった非寛容的な回答が多く、「寛容性」が18か国・地域の中で香港に次いで2番目に低かった。このため、「働く幸せ実感」と「寛容性」の相関を示すグラフでも、香港と日本が突出して「幸福感」が低いことがわかる【図表4】。


(図表4)日本の「寛容性」欠如も「不幸せ」の一因だ(パーソル総合研究所の作成)

つまり、自分とタイプが違う同僚を認めることができない人が多いということだ。これでは、職場内がギスギスするばかりで、相互尊重の組織文化は育ちにくくなり、お互いに幸せになることは難しいだろう。

今回の調査結果について、パーソル総合研究所主任研究員の井上亮太郎氏はこうコメントしている。

「組織文化や雇用慣行について分析すると、日本は『上層部の決定にはとりあえず従うという雰囲気がある』『社内では波風を立てない事が何よりも重要とされる』などの文化的特徴が強く、日本の就業者の働く幸せ実感が低い主な要因であることが示唆された」

「とりわけ職位の低い若手層の働く幸せ実感が低く、不幸せ実感が高い。日本の就業者は『所属組織に自分を捧げる』ことを調査国・地域中最も重視しない(帰属意識が低い)傾向とも整合すると考える」

「就業者の寛容性が高い国・地域ほど、職場の相互尊重の組織文化が強く、働く幸せ実感が高く、不幸せ実感が低い。国連の世界幸福度報告『World Happiness Report 2022』では、日本の人生における幸福感が低い一因として『他者への寛容性』の低さが指摘されているが、本調査から働くWell-beingにおいても同様の傾向が確認された」

「DI&E(個々の違いを受け入れ、認め合い、生かしていく)の観点からも、組織や社会において、異なる意見や背景、特性を持つ個人やグループを受け入れ、尊重することが働く幸せ実感やワーク・エンゲージメントの向上、さらには、組織のパフォーマンスやイノベーションにも寄与すると考える」

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抜粋終わり

「とりわけ職位の低い若手層の働く幸せ実感が低く、不幸せ実感が高い。日本の就業者は『所属組織に自分を捧げる』ことを調査国・地域中最も重視しない(帰属意識が低い)傾向とも整合すると考える」

天皇陛下のおかげです。

「就業者の寛容性が高い国・地域ほど、職場の相互尊重の組織文化が強く、働く幸せ実感が高く、不幸せ実感が低い。国連の世界幸福度報告『World Happiness Report 2022』では、日本の人生における幸福感が低い一因として『他者への寛容性』の低さが指摘されているが、本調査から働くWell-beingにおいても同様の傾向が確認された」

多様だと、愚かな指導者特に天皇皇族が、支配できない。

そもそも天皇は、国政に一切責任を取らん。前の戦争に負けても「無責任」

そんなものが、未だに象徴の準元首って、誰も責任とらんよね。



命令しても責任をとらん。

ましてや「忖度」を強要して同調圧力で、勝手に行動を起こさせるように仕込まれているのだから、誰も組織を信じなくなる。


上記文抜粋
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ここから分かるのは、天皇は唯一の国家守護者であり、軍隊は天皇の守護責任を補佐するための道具であるという考え方だ。その前の文では、長期にわたって武家に預けていた(奪われていた)軍事権が天皇に帰したことを受けて(明治維新)、二度と軍事権が他者に渡らないようにするという誓いが立てられている。
これは近代絶対王政の考え方で、王権神授説に基づき天皇が統治権と軍事権を占有するとともに、国防の責務を負うというもので、臣民は天賦の軍事権を占有する国王の責務を全うする道具として兵役徴集されることになる。言うなれば、「人民のものは王のもの、王のものは王のもの」というジャイアニスムである。

・・・・・中略・・・・

敢えて補足しておくが、戦前の法体系において国防の義務は天皇にあって、臣民は義務を担っておらず、天皇が果たすべき義務に対して忠実に従うことのみが求められた。それが特攻のような自殺攻撃の根拠となっていく。

・・・・中略・・・・・

そして、それは明治帝政下にあって、国防の義務を負いながら一切果たすことができないまま、国土を灰燼に帰した昭和帝が、そのまま責任を取らずに帝位を保ち続けたことの延長上に存在する。
仮に憲法を改正して、国民に国防の義務を課そうとした場合、「俺らに義務を課す前にまず天皇に責任を取らせてからにしろ!」とならざるを得ないからだ。

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抜粋終わり

それは明治帝政下にあって、国防の義務を負いながら一切果たすことができないまま、国土を灰燼に帰した昭和帝が、そのまま責任を取らずに帝位を保ち続けたことの延長上に存在する。

そもそも「国政・国家に責任」を取るべき天皇が、一切責任を取らない。

それを象徴としている国家の社会法制が、まともに「上官の命令責任」を問えるか怪しいのだ。


より

上記文抜粋
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当時、武田家は甲相同盟の破綻から北条家とも戦端を開いており、織田・徳川連合軍と野戦するリスクは冒せなかったものと推察されるが、後詰めを出さず、かといって降伏開城の許可も出さなかった結果、籠城中の城兵の大半が餓死した挙げ句、城主の岡部元信以下全員討ち死にという事態に終わった。
その結果、勝頼は「ブラック大名」の烙印を押されて、穴山、木曽、小山田などの一族重臣層からすら見捨てられ、翌81年の「武田攻め」を迎えるところとなった。戦国期にあっては、後詰めを出さなかった主君の権威は失墜し、籠城者の離反・降伏はおろか、ドミノ倒し的に他の武将の離反を誘発する恐れがあった。

・・・・・・中略・・・・・

中世欧州では、王は街の統治権や徴税権を得る代償として、住民の生命と財産を守る義務を負った。そのため、街が敵軍に包囲されたときは、国王は救援の義務を負い、それが遂行できない場合は、その街に降伏開城する許可を与えることが求められた。青池保子の名作『アルカサル-王城』はその辺の事情を見事に描いている。解囲軍が届かない、間に合わないと分かっているのに、徒に死守籠城を命じる君主は「愚昧」「暴君」と評価されたのだ。

・・・・・・中略・・・・・

歴史的には、このような勝ち目の無い戦で臣下の生命を徒に使い潰す君主は「愚昧」「暴君」とされるはずなのだが、何故か日本では「御聖断によって戦争を終わらせた名君」として評価され、軍部の戦争指導と責任についても「解体された」ことでウヤムヤにされてしまった。その結果、今日に至るまで日本の学校(特に部活動)や企業では、生命や人権を軽視する(全く考慮しないと言っても良い)教育や文化がまかり通っている。
明治以降、3千万人の人口が4倍になったことと、明治体制下で全てが天皇の私物とされてしまったことが、大きく影響しているものと思われる。そして、明治体制を否定せぬまま、敗戦によって形式的にデモクラシーが導入された結果、非人道的な弊害が見えない形で温存されてしまったのだろう。

・・・・・・中略・・・・・

実際、「ベルリンの壁」崩壊前に東独でKGB要員として勤務していたプーチン氏は、「(ソ連共産党)党中央がSEDを見限って事態を放置した時に、党と国家(ソ連)を見限った」と回想している。
これらのことは、共産主義者ですら「同志・同胞を見殺しにすることは許されない」旨の倫理を持っていたことを示している。その意味でも、現代日本人だけがよほど特異な文化、社会環境に置かれていることを示唆している。

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抜粋終わり

ようするに、日本人は今も「天皇家の私物・家畜」なのですは。

戦争指導と責任についても「解体された」ことでウヤムヤにされてしまった。その結果、今日に至るまで日本の学校(特に部活動)や企業では、生命や人権を軽視する(全く考慮しないと言っても良い)教育や文化がまかり通っている。

天皇家にとって人権は最大の敵。

てことは、
日本人にとって「天皇」こそが、まず駆除すべき国賊・害獣であるのは明白で、
企業の生産性を落とす害虫なのです。

殺し尽せ天皇皇族を 守りつくせ日本人を


天皇の無い 蒼い空を取り戻す


慈悲と憐みに富む社会になりますように


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