学校のいじめは特に「娯楽」なんです。


上記文抜粋
・・・・・・・・・・

・・・少しお話は変わるのですが

以前から戦争やいじめについて
お不動さまから度々お話を
聞かせて頂く事があり

先日のお護摩の後
和尚さんが戦争や
いじめの事を考えていると
お不動さまから
このようなお言葉があったそうです。

お不動さまのお言葉

"日本はいじめという戦争が

あまりにも多すぎる

このままいけば日本はどうなるか

分かりますか?

地球も大事だけど

そんな中でも日本はどうなるか?

いじめがすごい陰湿

海外の人種差別もひどいけど

日本のいじめはそれ以上に酷い

日本はそれの何千倍も死んでいる

異常な国

それが異常だと思えないから

またそれが異常

弱い人が生きていけない国になる

このままいけば日本に残るのは

ずる賢い人だけ

純粋な人は滅んでいく

神さまのおっしゃりたいことはたった一つ

助け合って生きていきなさい

このままいけば弱い人がどんどん滅んでいく"

お不動さまは普段から
戦争は大きいから
人々の目に付くけれど

学校でも会社でも
日本中のあらゆる場所で
いじめという戦争が
日々起こっているという事を
おっしゃられます。

テレビやネットのニュースでも
連日のように
いじめ問題について
報道されていますが
こんなにも、たくさん事件になっていて
みんなの関心も多い事なのに
減っていく所か、どんどん増えて
いっているような気さえします。

実際にお寺に来られている
方々の中にも
会社の上司の人からの
パワハラで悩んでおられたり
子供さんが学校でいじめにあっていたり
隣近所の人から嫌がらせを受けておられたり

身近な所でもそのようなお話を
普段からたくさん耳にする事が
最近本当に本当に多いです。。。

同じ人間同士で
同じ国の人同士で
同じ会社の人同士で
同じ学校の人同士で
同じ地域の人同士で

なぜ、優劣をつけたり
相手を貶めたり
傷つけたりしなくてはいけないのか。

しかも、日本のいじめで
亡くなっている人の数が
海外の差別などで亡くなって
おられる方の数よりも多いだなんて・・・

しのぶ:『何でそんな事をするんだろうって
考えても仕方がないんだけど
なんでそんな事になってしまうんだろう・・・(>_<)』

お不動さまのお言葉を聞いて
悩んでいる私に
さらにお不動さまが

お不動さま:『いじめてる側は
スポーツ感覚と同じやから』

しのぶ:『えっ・・・?
スポーツ・・・・?』

お不動さま:『日本の国は他の国と比べて
平和過ぎて刺激がないから
みんな刺激を求めてるから
この国からいじめはなくならないよ。』

神さまの願いは

"お互いに助け合って生きていって欲しい"

このたった一つだけなのに。

毎日が平和って
本当に奇跡のような事で
毎日生きていくだけで
必死な人たちが
地球上にはたくさんいるのに

私たちは平和という
奇跡に慣れ過ぎて
それを退屈に感じて
刺激を求めていじめという
戦争を生み出してしまっているだなんて。。。

和尚さん:『ほんまに、なんで
同じ人間同士やのに苦しめたり
見下さないとあかんのやろな・・・・』

と、和尚さんも
今回のお言葉を噛みしめながら
悲しそうに呟いていました

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

私たちは平和という
奇跡に慣れ過ぎて
それを退屈に感じて
刺激を求めていじめという
戦争を生み出してしまっているだなんて。。。

半分あたりだけど・・・

イジメる側もそれなりに強烈な「ストレス」が多くが掛かっているのですよ。まあ学生の場合だけど。


先生がいじめた末、生徒は飛び降りた…

大声で怒鳴りちらす等のハラスメントを繰りかえしたことにより、精神に変調をきたさしめ、自殺にまで追いつめた場合、暴行罪や傷害罪が成立する可能性がある。また、被害者を自殺させた後、別の人に同じハラスメントを繰りかえした場合、加害者はきわめて悪質であると判断できる。
ここで、自治体の責任が問われるはずである。本来ならば、即座に懲戒免職とし、暴行あるいは傷害の疑いで司直の手に委ねなければならない加害者2名(担任と副担任)を放置し、他の利用者にも同じ被害がおよびかねない学習支援業務(「センセイ」)をさせていたのである。
また、学習支援サービス員を教育ハラスメントの怪物に変えてしまいがちな、「教育教」というカルト宗教に侵された公共事業(学校制度)を見直す必要がある。

それのストレス発散でします。

あともう一つ「平和だから」ってのも一部当たっていて「指導者が責任を取らない」ので、「責任のたらいまわし」や「弱い者いじめ」で「責任逃れ」がしやすいです。これは天皇陛下が無責任のおかげです。

あとは通俗道徳・自己責任論でしょうね。


日本人は社会を維持するために悪意ある行動や意地悪な考え方を培ってきた。前近代の村社会において最大の正義は「共同体の維持」だ。手を取り合わなければ生きていけないからこそ、秩序を乱すものには罰を下してきたし、はじき出されれば生きていけない。とすると、日本人の礼儀正しさや親切さは社会から村八分にあわないための同調圧力に起因するものであると言えるのではないか。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjams/24/2/24_2_155/_pdf/-char/ja


https://www.data-max.co.jp/article/12439


 通俗道徳が支配する社会とは、「努力が必ず報われる」という建前のもとで、勝者と敗者が存在する社会です。しかし、個別の人生1つひとつを取りあげてみれば、そこには多くの偶然が介在しますので、実際には努力が必ず報われるという保証はありません。それにもかかわらず、人びとは、自らが通俗道徳を実践したことを証明し、社会的な承認を勝ち取るために経済的に成功しなければなりません。
 その結果、勤勉、倹約、自己規律を求める通俗道徳は、逆説的に、生き馬の目を抜くような、「万人の万人に対する戦争状態」としてのホッブズ的世界を招き寄せてしまうのです。

しかし、バブルが崩壊後、状況は一変します。減税と公共事業に支えられた勤労国家の発動も虚しく、国際的な賃金下落圧力が景気回復を妨げ、巨額の政府債務が積み上がりました。また、少子高齢化が進み、専業主婦世帯と共働き世帯の地位も逆転、近代家族モデルは完全に破綻しました。さらにバブル崩壊に追い打ちをかけるように、市場原理や競争原理、自己責任論が持ち込まれました。
今、日本社会は通俗道徳の実践にエネルギーを費やした多くの敗者で溢れています。働くことは苦痛でしかなく、勤労の先に待ち構えるのは貧困のリスクなのです。まさに「獣の世」の再来と言えます。

(※)明治日本は一般的には、政治指導者から1人ひとりの国民までが一致団結して「近代化」を追い求めた、つまり「価値観が共有された時代」と言われる。しかし、その一方で、この明治日本を「獣の世」と喝破した人物がいる。大本教の教祖である出口なおである。
『外国は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ目が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ・・・』(出口なお 1837‐1918)

温かみのある、情熱や思いやりに満ちた社会、他者への配慮にあふれ、仲間のために行動することをよしとする誇りある社会、そんな日本社会はもはや昔話になった。そして、今や「貧困」や「格差」という言葉が日本社会を語る日常的なキーワードになりつつある。

クビでなくイジメで解決する日本。

そりゃ、マトモな社会ではなくなります。

まさに「獣の世」であり、それは天皇開闢から始まり、「幕府」という蓋がとれた維新から無制限に日本人を家畜化して行った当然の結末なのです。


とはいえこれは、日本でも似たようなことがあったこの3年だったな、反ワクや反ウクライナの立場を取ると「集団いじめ」にあうとかさ。とくに大学の世界ではそうだったのだろうけど、大半の職場でも事実上そうだったのではないか。クビにならないだけマシかもしれないが、その陰湿さは実に日本的だね。で、大勢が「なさざるの共犯者」になったのさ。

明確に「クビ」にしないのは、クビを実行した権力者が逃げるための方策。

だから、日本では大戦争犯罪者の天皇が未だに君臨して、放射能も垂れ流しも、殺人ワクチンの責任も有耶無耶なのですはね。

まあ「いじめ」が娯楽って、「天皇を崇拝する」という卑しい行動をする日本人に相応しいですよね。

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