本当にいい話。  わかりやすい事 のむつかしさと危険性。

分かりやすい のは、二つあると思う。

1つは、 本当に説明が巧い。これが「賢い人は、難しいことを平易な言葉で語れる」って話もあるけど、それ。

本当に理解できているから、わかりやすく説明できる。

ちなみに、毛沢東が、なぜか農民に人気があった一因は「よくわからん社会主義とか西欧の思想を、わかりやすく{中国の庶民にわかるように}説明できた」から。

でも、まあ「概略」は理解できてても細かい経済運営とは理解できてなかった毛沢東が、「大躍進政策」とか「文革」とか過ちをしたのも付け加えておく。

でも、教える・説明は、毛沢東のように、あるいは王陽明が「愚夫愚婦になり切ってこそ、道を説ける」と言うようなことが、肝心。

もう一つは、どう説明しても説明しきれないモノをあえて端折って、陳腐化・改竄して、さも「説明している」ように見える事。

これは、まじ危険。

あと、前者の場合でも、説明している人間が勘違いして、後者のような過ちをしてしまうことも多々ある。

まあ毛沢東がその例か。

>何かを「分かる」ために学ぼうとするから、分かりやすく、派手でバァーンとした答えに飛びつくんです
>学ぶのは「分からないこと」を知るためのもんです

>SNSなどでの分かりやすい情報なんて、天気予報と道順と料理のレシピ程度でいいんです
「分かりやすい」ことを礼賛する風潮こそ、思考を軽視し慎重さを軽んじ、物事の段取り、手順を破壊することになるんです

>釈尊も歴代の祖師方も、思考するための手順は示されましたが、分かりやすい答えなんて用意されてません

そんな感じですよね。

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