いい話。
人助けは我が身のためにすれば良いんです
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) July 16, 2023
困っている人、苦しんでいる人を助ける世の中、全ての人が公正に対処される社会の方が、自分が安心して楽しく生きていけますからね
「自己責任だ」といって切り捨てられるんじゃ、自分が安心して生きてられません
だから助けた人がどのように生きるかは、当人に任せたらいいんです
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) July 16, 2023
「助けてやったんだから」と、自分の思い通りに支配しよう…
それがたとえどんなに素晴らしい生き方でも、相手からすれば「自分に選ばせてくれ」って話です
私が考えるのに、慈悲は無償の行為というのは、何も「自分のために人助けするのは不純だ」ということではなく、「助けた相手を支配しようとするな」ということではないでしょうか
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) July 16, 2023
なぜなら先に述べたように、社会的弱者や迫害される者、苦悩する者を助ける世の中、彼らも公正に接する社会の方が、自分にとって安心できるし、楽しい環境になるからです
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) July 16, 2023
だから自分が楽できる世の中になるために人助けをするんですから、
仏教がいわゆる積極的勧誘を良しとしないのも、あくまでも「こういう生き方、考え方もありますよ。でも選ぶかどうかはあなたのご自由です」って態度だからではないですかね
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) July 16, 2023
だから教えを乞う者には教えを説くが、こっちから押しかけはしない
布教もあくまでも選択肢の提示という態度ですかね
もとより「世の中は思い通りにはならない」というのを、根本思想の一つとするならのに、「この教えは素晴らしいから信じろ」と無理強いするなんて、自己矛盾でしかないですね
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) July 16, 2023
だから菩薩行は「他人のことに構わずに、自分のことだけせっせとやる」ことではないでしょうか
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) July 16, 2023
自分が安楽に生きていけるようにするために他者を助けるが、助けた相手を支配しようとはしないという意味ではね
経典では菩薩が衆生救済する様子を「遊舞」と表現します
— 丹波 高山寺🍁祐弘 (@Tanba_Kosanji) July 16, 2023
菩薩は衆生済度を楽しんでおられるのですね
ツイッターの閲覧制限が惨いので、慌ててしました。
他人とともに楽しむのはその楽しみも長いが、自分一人で楽しむのは長く続かずなくなるものだ
だしね。
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