選民思想は、優生思想。まあ、日本人は屠殺の対象でしょうな・・・。


より

上記文抜粋
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「リスキリングせよ、さもなくば自己責任」の未来 「ガンダム」が描いた「デジタル社会」への適応

リスキリングという言葉が気になっています。

リスキリングは単なる学び直しやリカレント教育とは異なると言われます。ポイントは「第4次産業革命に伴う技術の変化に対応した、新たなスキルを獲得すること」であり、急速に進むデジタル化に適応すべく、2020年の世界経済会議(通称ダボス会議)で提唱された概念です。

要するに、デジタル技術を基盤に置く経済体制に合わせて、労働者に変容を促しているということのようです。デジタル人材という言葉にもあるように、僕たちはより合理的に、より速いスピードで、デジタル社会への適応を求められています。

デジタル化とは身体と自然を離れる現象

基本的にデジタル化とは、ウィーンの思想家イヴァン・イリイチがカール・ポランニーの概念を借りて使用した「離床」を、さらに加速させることだと考えています。

前近代において人々は地域社会のためにモノを生産してきました。しかし、近代になると他者ニーズに応えるため、地域社会を超えて流通する商品を生産するようになります。このように人々の生活が資本主義によって包摂されることで、人々は地域社会から離床していったのです。

そして、この延長線上に僕たちは暮らしており、さらにスピードを増した形としてデジタル化があります。しかし、土地から離れれば離れるほど、人間には身体があり、世界には自然が存在するという事実が立ち上がってきました。

身体は自然です。人間は自然のすべてを解読できたわけではありませんが、自然を制圧した場として都市をつくりました。都市に暮らしているとつい忘れてしまいがちですが、人間は生命という自然を体内に宿しながら、完全にはコントロールできない天候、地震などの災害とともに生きています。

しかし、デジタル化を推奨する文脈では身体は自由を制限するものであり、自然は人間の不可能性を示すものとされます。身体や自然という「よくわからないもの」があるから、生活はいつまで経っても合理的にならないし、効率化も進まず、人間の本来持ちうる能力を発揮することができない。ひいては社会も良くならないという発想です。

「よくわからないもの」である身体や自然をすっ飛ばして、デジタル化された世界だけのことを考えることができれば、さらに人間は自由になることができる。そうすれば経済はより速く回り、もっと生活は豊かになる。世界経済会議の意図するところはこういったところでしょう。

「シャア」の思想がヒントとなる

これを聞いて僕が思い出したのが、1979年にテレビ放送されたロボットアニメ『機動戦士ガンダム』です。この作品の舞台設定は、人類が宇宙へ移民し始めて半世紀以上が過ぎたころだといいます。

宇宙移民が住むスペースコロニーの一つはジオン公国を名乗り、圧倒的な国力差のある地球連邦政府に対して、モビルスーツなどの最新テクノロジーを導入し、独立戦争をしかけます。この対立を象徴するキャラクターがジオン公国のエースパイロットで「赤い彗星」と呼ばれた、シャア・アズナブルです。

ちなみに、『ガンダム』の主人公はアムロ・レイというスペースコロニーで生まれた少年で、父が地球連邦軍の軍事科学者であったという関係がありつつも、意図せず戦争に巻き込まれていってしまいます。

敵役であるシャアですが、三つの主要な『ガンダム』作品に登場しています。最初が「一年戦争」を扱った『機動戦士ガンダム』。その戦争の終結から7年後を描いた『機動戦士Zガンダム』。最後はその5年後にシャアが引き起こした戦争が描かれる、映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』です。

特に『逆襲のシャア』において、シャアは地球に核を落とし、人為的に氷河期を発生させ、地球に住む人類の滅亡を目論むことになります。なぜシャアは、最終的に地球に住む人類の滅亡を望んだのでしょうか。その理由を説明するにはシャアのライフヒストリーを追う必要があります。少々長いですが、お付き合いください。

合理的な判断をしない人たちへのいらだち

まず、シャアという名前は本名ではなく、元々はキャスバル・レム・ダイクンと言います。彼の父はジオン・ズム・ダイクン。「ジオン」という名からもわかるとおり、スペースコロニーを地球連邦から独立させジオンという国をつくった革命家でした。

しかし、独立後すぐにジオンは急死します。その部下のデギン・ザビが政権を握り、ジオン国はザビ家が支配することになったのです。シャアはデギンが父を暗殺したと考え、ザビ家に復讐を誓います。素性を明かさぬように仮面を被り、名前をシャアと変えてジオン軍のエースパイロットとして活躍します。

そのシャアの父が唱えた思想が「ジオニズム」です。この思想は地球連邦政府の横暴と圧政に対して提唱されたもので、全人類が宇宙に移民することにより地球環境の保全を図り、また、スペースコロニーが地球連邦政府から独立することで平等な社会を実現できるというものでした。

さらに人類は過酷な宇宙環境に進出し適応することで、生物学的にも社会的にもより進化した「ニュータイプ」になれるというものも含んでいます。シャアは、宇宙移民を差別し搾取する地球民のことを「地球の重力に魂を引かれた者たち」として、「ジオニズム」実現のためには滅ぼす必要があると考えています。

とはいえ、シャアは地球自体をなくそうというわけではありません。地球は一種の聖地として保存し、人間は宇宙に住むようにすることで、聖なる地球をこれ以上汚さないことができる。

人智の及ばないものや生命を循環させることができる地球に畏怖の念を抱きながら、同時にそれを不可侵のものだと考えるあまり、不完全な人間が独り占めしていることに我慢がならなかったのでしょう。

合理的に考えたらこうしたほうが絶対に良いはずなのに、なぜ地球に住む人間どもはその権益を手放すことができないのか。この発言の背景には、現代社会においてデジタル社会に適応できないアナログ人間たちへの「いらだち」に似たものを感じます。そしてこのような発想は、現在の欧米を支配する「テクノクラート新自由主義」を想起させます。

「低スキル=格差の原因」という思想

『新しい階級闘争』を著したアメリカの思想家マイケル・リンドによると、「テクノクラート新自由主義」は高学歴の上級階級の管理者、経営者からなり、現在の欧米のエスタブリッシュメントを占めているといいます。彼らの世界観をリンドは以下のように説明しています。

現代の北米とヨーロッパは、すでに無階級に近い社会となっており、政府が若干の低コスト介入を行えば完全な無階級社会が実現できるという仮定から、新自由主義者たちは、欧米の白人労働者階級の問題を階級制度のせいではなく、多くの不幸な個人に共通するとされる個人的な欠点のせいにすることができる。

なかでも最大の個人的な欠点は、仕事のスキルが足りないことだとされている。大不況前のバブル期に、スキル偏向型技術進歩(SBTC)理論というものが流行した。これは労働者階級の「取り残された」人々には、新しい「グローバル知識経済」の「クリエイティヴ・クラス」や「デジタル・エリート」にはもはや不要となった時代遅れの低スキルしかないことが、格差拡大の理由であると説明している。(188-189頁)

『ガンダム』シリーズの主要登場人物であるアムロ・レイやシャア・アズナブルは並外れた認識力や直感力、特殊な脳波を持った「ニュータイプ」として描かれています。「ニュータイプ」についてはさまざまな見解があり、原作者の富野由悠季氏ですら理解が一貫していないようですが、「ニュータイプ」は宇宙で成長を遂げたことにより人間の限界を突破した人類であるとも言われています。

また、『ガンダム』シリーズの中には人為的にニュータイプを創り出す「ニュータイプ研究所」があり、そこで訓練を積んだ「強化人間」がいることも設定されています。ここに至る思想も「テクノクラート新自由主義」的です。

リスキリングの機会を生かせなかった人の末路

どうしてもリスキリングを鼻白んでしまうのは、底流にある「テクノクラート新自由主義」の末に「心地よい生活」を思い描くことができないからです。スキルがないことを自己責任とし、リスキリングという機会を与えたにもかかわらずデジタル化できなかった場合、その人たちが割を食うのは仕方ないという未来が見えるからです。

テクノクラート新自由主義者たちは労働者階級の取り残された人々のことを、シャアの言う「地球の重力に魂を引かれた者たち」のように捉えていることでしょう。

最近でも「高齢者は集団自決すべき」という発言をした、アメリカの大学に籍を置く日本人経済学者がいました。この考えは既得権益を有する「地球の重力に魂を引かれた者たち」は滅びるべし、というシャアの思想と変わりません。

一方で、あたかも「地球の重力に魂を引かれた者たち」側の言い分を形にしたような条文を発表した市町村もありました。その中に書かれた「都会風を吹かせないよう心がけてください」という文言は、都市に住む人々が想像する田舎暮らしの面倒臭さを凝縮しています。

この言葉を聞けば、シャアが地球に住む人類の滅亡を決意したことほど積極的ではないにしても、「もう滅びるに任せよう」と多くの人は感じるでしょう。

両者に共通するのは、どちらも相手の言い分に耳を貸すことができていない点です。人間は地縁、血縁といった「しがらみ」から離れることで、より自由になりました。デジタル技術を用いることは、この自由をさらに追求することにつながります。

たいがいITによって財をなした成功者は、その自由の果てに宇宙を目指すようです。これは実際に宇宙を目指すというよりも、「なんだかよくわからない」身体や自然について考えるのをやめた、という態度のような気がします。この態度は、地域社会のルールを守れない人には来てもらいたくないという「閉じた態度」と同様です。

論理と非論理を同時に体験する

対立するのではなく、合理的で効率的なデジタル技術と、生命の循環を生み出す神秘的なまでに美しい地球をともに分かち合うことはできないのでしょうか。

そのヒントはリスキリングを推し進めるのと同時に、未だ人間が解明し切れていないアルゴリズムを持つ地球について、非論理的な仕方も含めて触れることにあると考えています。

少し単純かもしれませんが、IT技術を否定せず、過疎化の進む地域社会で一定期間過ごすこと。言い換えれば、リスキリングをより自然環境の豊かなところで行うことが重要です。その経験があれば、前述の経済学者や市町村のように「こじらせて」しまうことはないでしょう。

ただし、大切なのは両者の間をつなぐ「翻訳者」が必要だということです。それは例えば、スペースコロニー出身でありながら地球連邦軍に属し、気弱なところもあるけれど芯の強いところも見せる、自分では決め切れないけれど頼まれると断れず、できないと思っていたことがやってみたらできた、アムロ・レイのような人物をこれからの時代は求めているのだと思っています。

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抜粋終わり

シャアーの思想ってのが

「高学歴エリート層」はかつての貴族よりも傲慢になりうる

とか


能力主義的価値観に基づくのであれば、「成功している自分は自分の美徳のおかげ、失敗している君は君の悪徳のせい」というように道徳的な価値が社会における成功と紐づくことになります。
その様な状況下では、勝者は自分の成功に対して傲慢になって敗者を見下し、敗者は現実で苦しんでいるところをさらに侮辱をうけて勝者を憎むことになります。
その様な状況下では勝者からの同情も敗者からの尊敬も生じえず、「熟議を重ねて自分とは立場の違う他者のことも考える」という民主主義・市民社会の前提が蝕まれていきます。
具体的には、リベラルエリートからすればブルーカラーで仕事を失った貧しい白人は「閉鎖的な排外主義」であり、貧しい白人からすればリベラルエリートは「自国の仲間より他国のエリートを優先するいけ好かないヤロー」になります。

てのを想起すると、一種の「逆張りの選民思想」ってのがよくわかる。

まあ、禅宗とか仏教の「瞑想」の中で、
「超能力を得るようなこともあるけど、勘違いするなよ。それを大事とか思うと魔境~過ち・勘違い・狂気になるぞ」
ってある。

まあ一種の「禅病患者」に過ぎないのが、ニュータイプ。


アムロやジュドートビアのようなら、まだ魔界に入らんでいいが、まあ沢山魔界に行ってしまっているからな。シロッコとかハマーンとか。

カミーユなどは、魔界から現世に復帰した稀な例か。

シャアーほどではないが、能力があるがゆえに魔界に行っちゃった連中が「テクノクラートネオコン」ですは。

そんな感じ。

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