邪鬼=天皇 の使い魔の日本人が消えてなくなる日が近い。

より

上記文抜粋
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1956年、中国で行われた日本人戦犯裁判のビデオ

日本軍が中国で行なった残虐行為は
第三者によっても証明されているのに、
時間の経過とともに、
中国のでっち上げだという日本人が
日増しに増えている。

日本人の特徴として
加害者だったのがいつの間にか被害者になるパターンがある。

「なんと人間性を無くした残忍な姿であったかということがひしひしとわかります。」「どんなご処分でも私はお受けします。どうぞ処分してください」*なのに死刑や無期刑を課された戦犯は一人もいなかった。この動画は初めて見ました。


薛剑XueJian@xuejianosaka
#鬼を人間に戻した中国の戦犯改造 。「(私は)なんと人間性を無くした残忍な人だ」「何の処分も喜んで受ける」。1956年に中国で行われた日本人戦犯裁判のビデオだ。多くの戦犯が跪き、頭を下げて自白し、自ら死刑判決を求めた。各国の戦犯裁判の中で見れない珍場面。然し、死刑や無期刑を課された戦犯は一人もいなかった。





宋 文洲@sohbunshu
9月18日、「日本侵略の日」
昨日の中国各地。警報が鳴り響く中、中国国民が足を止め犠牲になった同胞に黙祷を捧げた

@x__ok
台湾での中国の大きな軍事演習があるのは、日本で歴史的な規模の日米共同軍事訓練があるからだろう。こっちがやっているからあっちがある。
日米共同訓練「実戦」を意識=中ロ念頭、地元調整難航も
https://www.arabnews.jp/article/japan/article_99945/

宋 文洲@sohbunshu
その通り。日米訓練のほか日韓訓練も行われている。その外側で中国が訓練している
日本マスコミはいつものように、原因である米国側に触れず「中国脅威」を強調。犬マスコミだからもう…

Nekohige🇯🇵 ₿ NFT@Ryuzo6333
その通りです。日本国内にいると情報が入って来てないです。僕も北京に15年住んでたので、この状況よくわかります

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抜粋終わり

「天皇」という「カルト」から逃れえない限りに、妄想で死に絶えていくのが、「日本人」っていう偽ニホンザル。


より

上記文抜粋
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No. 1920 G7とBRICSの未来像:強圧的な一極主義か、協力的な多極主義か

1975年11月ランブイエ城での第1回G6サミット – Public Domain

1991年に冷戦が終結した時、西側諸国、特にアメリカは岐路に立たされた。一方の道は、平和、正義、協力、核軍縮、国連の活性化、包括性、多元主義、人権、多国間主義、公正な貿易、規制された市場、食糧安全保障、エネルギー転換、持続可能性、人道的統治へと続いていた。

もう一つの道が向かったのは、軍国主義、介入、戦争挑発、核主義、紛争、制裁、政権交代の介入、不平等への複数の傾向、略奪的な新自由主義グローバリゼーション、覇権主義、地政学的優位性であった。

残念なことに冷戦の勝利国は、すぐに慣れ親しんだ覇権主義的な地政学の道を選び、 核軍縮や拒否権のない国連を含む、人道的なグローバル・ガバナンスを追求する歴史的な機会を放棄したのである。

このような地政学的判断の重大な過ちがもたらす長期的な弊害を今、未解決のウクライナ危機や世界的な警告への対応を怠ることにより経験している。

ソビエト崩壊から10年後、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は、この選択のイデオロギー的正当性を、自信に満ちた言葉で要約した:

自由と全体主義の間で繰り広げられた20世紀の大闘争は、自由勢力の決定的勝利で終結し、国家の成功のためのひとつの持続可能なモデルが確立した。自由、民主主義、自由企業・・・。 私たちはすべての大陸で自由で開かれた社会を奨励することで平和を広げていくだろう」。[公式文書『アメリカ合衆国の国家安全保障戦略』(2002年)のカバーレター]

このような声明が世界貿易センタービルとペンタゴンへの9.11テロ攻撃の数カ月後に発表され、国境を越えた協力的な反テロ法執行の重要な実験の機会をつかむのではなく、「テロとの戦い」を宣言することによって地政学的な継続性を選択することを再確認したのである。

ウクライナ戦争は、高価で問題の多い勝利の追求ではなく、妥協と外交という、あまり馴染みのない道を選択するもうひとつの機会を提供した。気候と国内の改革のための機会のコストは覇権へのより一層の投資と長期間の戦争によって増加したが、今回もまた妥協のない軍国主義を受け入れることにためらいはなかった。

疑問が生じたのは、この地政学的な色彩を帯びた戦争行為、つまりロシアを打ち負かし、中国に警告を発し、そのような戦略の付随的な重大なコストを、ロシアからの攻撃だけでなく、地政学的な優先順位がウクライナの幸福と衝突しているにもかかわらずワシントンの政治的指導を受け入れ、自国政府の超ナショナリズムによって犠牲になっているウクライナ国民に冷笑的に押し付けることについてであった。

この地政学の一般的なパターンは否定しがたく、5月に広島で開催されたG7首脳会議と8月にヨハネスブルグで開催されたBRICS首脳会議の長くて複雑な成果文書を比較することで鮮明に示される。G7の文書には3つの注目すべき特徴がある。ウクライナがロシアに対する戦場で勝利するための無条件のコミットメント、国連の関連性の軽視、そして国連憲章、核軍縮、国際法に盛り込まれた平和のアジェンダへはリップサービス以上のことをしないことである。2030年までに国連の持続可能な開発目標(SDG)を達成するためにもっと行動をするという「気分のいい」陳腐な言葉も強調されている。

G7諸国は核兵器禁止条約(TPNW)に反対し、引き続き抑止力、核不拡散、そして暗黙のうちに米国の「全領域支配」に依存することを確認した。西側のエリート安全保障のサークルでは「決してしない」と解釈されているものをミスリードして穏やかにすることで、核軍縮を「最終的に」受け入れる意向を冷酷に表明している。冷戦が終結した1990年代初頭、 世界情勢は地政学的な対立が一掃され、思いのほか平穏だった。しかしワシントンは核軍縮や国連平和維持能力強化のための注目度の高い動きを提案し、水面下を試すような動きすら一度も見せなかった。

G7とは対照的に、BRICSヨハネスブルグ宣言は、平和的競争と世界的協力の世界を展望し、ウクライナ戦争を、軍国主義的な戦争行為ではなく外交的な平和創造を行う契機となるべき挑戦として扱っている。BRICS文書の最も顕著なテーマは、ソ連の崩壊後に国際社会により厳しく課せられた覇権的なグローバルな安全保障、貿易/金融/投資体制への依存を減少させ、一極集中という新たな帝国主義に対抗し、アフリカ、ラテンアメリカ、アジアでの「植民地主義」に対する闘いがまだ終わっていないという現実に世界を目覚めさせた、独立後のさまざまな対立状況と連帯行動をとる決意である。

ニジェールにおける7月のクーデターから生じた最近の緊張は、アフリカ諸国が「植民地主義の後の植民地主義」という有害な現実に陥っていることを物語っている。この現実は、脱植民地化された国家の矛盾、腐敗、無能を反映している。1960年まで直接的な植民地支配下にありながら、国家経済、教育、統治能力の開発を意図的に妨げられ、それ以降は非公式な支配体制によって搾取されてきた。これらの国々、特に西アフリカの旧フランス植民地は、自活の道を任されたとき、協力的な市民エリートという外見を装ったフランスの指導という新たな屈辱的な局面を受け入れる以外によりよい国内統治の方法を見つけられないことを発見した。

BRICSはまだ自身のアイデンティティを確立する初期段階にあり、その内部矛盾を考えると複雑な取り組みである。たとえば、インド、ブラジル、南アフリカは西側との関係をほとんど断つことは望んでいないが、一極集中の覇権主義的側面に対する対抗軸を作りたいと考えている。また、BRICSのメンバーに6ヶ国が加わることでその基盤が全体的に拡大し、覇権に対する影響力を高めるのに役立つのか、逆の効果を持つのか(つまり、現在のところ覇権や地政学的な優越性に挑戦する意思がないように見える国々がメンバーに加わることでBRICSの形成の主要な理由を希釈化することになるのか)は明確ではない。

2023年半ばの時点で、2つの集団の見解のトーンと中身の違いは重要な意味を持っている。G7は、平和と開発に関する決まり文句を述べた後、直ちに軍国主義への取り組みに移行する。これは文書全体を通して「ロシアのウクライナに対する侵略戦争」という言及によって強化されている。広島の首脳宣言の冒頭の言葉がそれを示している:https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100507034.pdf

我々G7首脳は、現在のグローバルな課題に対処し、より良い未来に向けた方針を定めるとの決意において、これまで以上に結束し、2023年5月19〜21日に開催される年一回のサミットのため、広島で一堂に会した。我々の取組は、国際連合憲章の尊重及び国際的なパートナーシップに根ざしている。

全文を見ると、引用された文の中での決意とは、時間がかかろうともウクライナでの勝利を確保することに、象徴的かつ実質的に関連していることは明白である。この解釈は、文書がウクライナでの勝利に関連して具体的な手順を明示し、外交や政治的な妥協の兆候がないことを強調することで裏付けられる。

この疑わしい行動の方針は次のように確認されている。「我々は、次に掲げる具体的な措置を講じている。ロシアの違法な侵略戦争に直面する中で、必要とされる限りウクライナを支援する」 。このような具体的な措置の一覧は、平和と正義の問題に関しては曖昧な一般論とは対照的である。一方でBRICSはパレスチナの状況の悪化に注意を払い、移民の問題について懸念し、気候変動に対する公平なアプローチの緊急性に焦点を当てており、これらの問題についてはG7が無言または後退的な姿勢で対処していることと対照的である。

核の危険を危機的なレベルに高め、気候変動、貧困削減、食品と栄養の安全保障、自己決定権、紛争の平和的解決、国連の能力向上、多国間主義などの国際的な公共財から注意と資源を逸らすことで、人類の将来に明らかに危険をもたらすというこれらのG7の選択を我々はどのように理解すべきだろうか?なぜ西側の政治指導者たちは、地球規模の非常時に一貫して人類の利益に背を向けるのだろうか?

最初の対応策は、歴史的状況は前例のないリスクをはらんでいるが、地政学的優位性は長い間、世界を組織する方法の一部であったことを理解することだ。第二次世界大戦の影響下でも、国際連合(UN)は最も危険な強国を憲章の枠組みから拒絶し、拒否権を行使することで、戦勝国には国際犯罪の免責を与える一方で、敗戦国の生存指導者を訴追し処罰してきた。核兵器に関しては、核を廃絶する代わりに、核保有国の戦争計画における核兵器の役割を秘密裏に開発する無制限の裁量によって強調される核寡占への核不拡散の追加制限を組み合わせるという解決策が見出された。事実上、グローバルな安全保障システムは1945年、国際法と国連を周縁に置くために設計された。設計されていなかったのは、ベルリンの壁が崩壊した後に初めて出現した一極構造である。

この構造が、現在、地政学的な統治を終わらせる用意までできていないロシアと中国によって挑戦を受けている。多極化への挑戦はまた、アメリカ主導の西側NATOの冷戦後の覇権主義的で機能不全に陥った構造にも向けられている。一極性への挑戦もまた、地政学的な挑戦者である2つの国と共同して、あるいは別々に行動するグローバル・サウスによってますます強まっている。西側諸国が「第二次冷戦」の宣言に近づいている一方で、南側諸国が目指しているのは「第二次バンドン」である。

新しい、もっと希望に満ちた世界的な雰囲気の重要な表れの中には、以下のものがある:ウクライナとイランの外交的融和に対する世界の人々の大多数を代表する政府による広範な支持と、制裁による強制的な外交に対する全体的な反対。BRICSが開発途上国に対する国際貿易と金融取り決めの「脱ドル化」を通じて、新自由主義的グローバリゼーションへの直接的な挑戦を開始したこと。世界銀行やIMFが課しているような条件付き支援による衰弱を招くことなく、開発途上国の経済進歩を促進するための新開発銀行(NDB)の運営。核兵器禁止条約(TPNW)に対するグローバル・サウスの国々の幅広い支持で、NATOーの核主義に挑戦すること。パレスチナの自己決定権への支持と、ポスト植民地主義国家の植民地主義的な特徴に向けられたアフリカのクーデターへの支持。

世界的な展望は、アメリカの覇権主義に対する認識からそれに敵対するようになってきているが、国際連合憲章と国際法に敬意を払ったガバナンスの枠組みにより関心を示している。これらの進展は、矛盾や不一致の要素があるにもかかわらず、より穏やかな地政学、より軍事的でなく、紛争の平和的解決に専念し、世界経済における公平さに関心を持ち、共通の国際的な問題の協力的な解決に専念する可能性を生み出している。もしこれらの傾向が続けば、進行中の歴史的な変革は勢いを増し、その覇権的で単極的な特徴を弱め、より穏やかで規制された多極的な地政学への移行の早い段階へと移行する可能性がある。全体として、暗くなりつつある空に希望の光が見える。

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抜粋終わり

強圧的な一極主義は、アホでもわかるし強者の媚れるだけで生きれる。天皇と外資に脳が破壊された「日本人」って偽ニホンザルが、その強圧につぶされていくのを楽しむ発狂したゴミなのである。

協力的な多極主義は、難しいし、賢明さが居るし、根気もいる。でも自由でのびやかに楽しく生きれる。
でも、「偽ニホンザル」に天皇と外資に脳が改造された日本人は、それを畏れて「放射能」「殺人ワクチン」に縋って死んでいく。

まあその「偽ニホンザル」に成らなかった、希少な日本人は、天皇と外資と偽ニホンザルに、取り殺され行くのです。

偽ニホンザルではない日本人=天皇を斬り新コロワクチンを打たない日本人は、隠れて生き延びてください。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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