「日本の学校」は牢獄ですから、それを祖型の一つとする現代日本はダサくなる。


より

上記文抜粋
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日本人の「ダサさ」に影響を与えたのは「学校」だった…アメリカの教育との決定的な違い
中川 淳一郎 の意見

国際的な存在感を失い安く買い叩かれる日本。アメリカ、タイ、ラオス、唐津で暮らした中川淳一郎氏が怒りと共にダサさ脱却を考える『日本をダサくした「空気」 怒りと希望の日本人論』(徳間書店)から一部抜粋して紹介する。

校則・横並び教育が「他人の目恐怖症」を作る

日本人の特質はいかにして培われたのだろうか。大きな影響を与えたのは校則と教育である。コロナ騒動では、商業施設や公共交通機関でのマスク着用強制に異議を呈すると「ルールはルール」「施設管理権があるから店の決めた通りにしろ」と猛烈に叩かれた。

子供の頃から画一的な人間を作り出すのに、日本の初等教育は存分にその力を発揮した。

授業の開始時刻や終了時刻を守るのは当然重要だが、どうでもいいことに制限が多過ぎたのである。ここから先は、あくまでも私が神奈川県川崎市宮前区と東京都立川市の公立小中学校と、アメリカ・イリノイ州の公立中高に通った時の例である。

まず、日本では男子小学生は長ズボン禁止だった。冬、どんなに寒くても雪が降ってもそれは絶対である。児童は自衛のため、サッカー用の膝近くまである長いソックスを冬ははいていた。太腿はシモヤケだらけになる者が続出した。

筆記用具の場合はボールペンの使用が禁止されていた。鉛筆とロケットペンシルと呼ばれるものだけは許されていた。これは今考えても本当に謎である。なぜボールペンがダメなのかの説明がなかった。マークシート方式のテストなどをする時に鉛筆なのはよく分かるし、テストの時も鉛筆の方が修正できるから合理性はある。だが、ノートにメモをするにあたっては、ボールペンでも何も問題はない。

どうも、今考えるとボールペンは大人が使うもので、鉛筆は子供が使うもの、といった

空気感があったのではないだろうか。仕事にはボールペンが相ふ さ わ 応しいが、勉強をする場合は鉛筆の方が「小学生らしい」「中学生らしい」というどうでもいい階級設定だったとしか思えないのである。

給食でも、嫌いなものがある生徒は残すことが不可能で、本来の給食の時間が終了して掃除が始まっても給食を食べさせられ続けた。教室の掃除は、すべての机と椅子を一旦後ろに集めて、教室の前方の雑巾がけをする。

埃ほこりが舞う中、哀れこの子は机と椅子に挟まれた窮屈な場所で苦手な食材を食べ続けさせられるのである。同じものを皆で食べる一体感醸成や、食べるモノも同じがいいという教育なのか。金持ちの子供も貧乏人の子供も同じものを食べるというのは、教育面で良い点はありつつも、選択肢がないという意味では苦痛に思う生徒もいただろう。

少し融通を利かせられたらよかった、と今でも思うことはある。私は「ポークビーンズ」という献立が大嫌いだった。トマトベースの汁にキッドニービーンズと人参とジャガイモとハムが入ったものである。キッドニービーンズとハムがとにかく苦手だったのだ。

しかし、残すわけにはいかない。そんな時、この2つの具材をこれらが大好きなクラスメイトに全部食べてもらい、こちらは代わりにパンを少しもらう、という物々交換だって可能だったはずである。

最も能力が低い者に合わせる「全員平等」のいびつ

あとは、体育の授業でも謎の一体感は常にあった。跳び箱は、所定の段数を全員が飛ばなくては授業が進まない。鉄棒の逆上がりができない生徒は放課後に特訓を課される。そして、この一体感を強制させられても、将来の人生において跳び箱を跳ぶ能力も、逆上がりの能力も一切役立たない。さらにひどかったのが中学2年時の体育の授業である。

新任の若手熱血教師が、ハードルでかなり有力な選手だったということから、我々の学年は全員が1ヶ月半ほどハードルの授業だけをしたのである。そりゃ、日本屈指の実力があったかもしれないが、運動の苦手な生徒に英才教育を受けさせても意味がない。ただ、教師は各生徒のタイムが上がると喜んだのである。

この教育手法の問題は、最も能力が低い者(実際は、苦手な者)に合わせることである。

すると、能力が高い者・得意な者は暇になるのである。だが、「全員平等」の精神を植え付けられているから「もうハードルやめましょうや。オレが学年1位ってことで、『他の皆はオレを抜けないから別の運動をしましょう』ってことでいいでしょうや」とは言えない。物足りなくても、彼は鈍足の同級生のためにハードルを跳び続けるのである。

「できないことはできない」「やりたくないことはやらない」ということではなく「みんなができることがなぜできない」というのが日本の教育の原点にあるのだ。それをキレイに表現すると「脱落者・落伍者・落ちこぼれを作らない教育」となるだろうが、人間なんて個々人の得意分野があるのである。

一体、社会人になってから大谷翔平レベルの野球の能力を求められるだろうか? そんなワケはない。社会人、特に非組織人は個々人の強みと興味を元に仕事をし、カネを稼ぐのである。フリーランスは仕事で成功するため、ひたすら尖りまくる必要がある。

そう考えると、日本の公立小中の教育はこのやり方でいいのか? 従順な兵隊を作るには素晴らしいかもしれないが、アイディアとイノベーションと個々人のギラギラした欲望を発揮させなくては成功できない世界では間違ったやり方である。

ただし、優秀な外国人上司が日本人を管理したら、その従順さと言われたことだけはできる能力から、案外良い組み合わせになるかもしれない。だが、これは奴隷を使っていたプランテーション時代と同じである。

得意と苦手を自分で判断させるアメリカ

一方、アメリカの教育はまったく異なった。4年制の高校に入ると、得意不得意に応じて明確なクラス分けがされる。数学の場合は、学年の異なる生徒が同じ教室にいるのが普通だった。ザッと分けると私の高校では数学の授業についてはBasic ‒Algebra(代数の基礎)、Pre ‒Algebra(代数の初級編)、Algebra(代数)、Geometry(幾何学)、Algebra 2(代数2)、Pre ‒Calculus(微積分の基礎)、Pre ‒Calculus Accelerated(微積分の基礎上級編)、Calculus(微積分)となっていた。

 受講する授業は各人の判断と将来なりたいもの、そして頭の良さに従っている。この数学については、数学が不得意な者は4年間数学の授業を取り、なんとかGeometryまでいって終わりになれる。数学が得意な者は1年次にAlgebraを取り、2年次にGeometryとAlgebra 2、3年でPre ‒Calculus Accelerated、そして最終年にCalculusを取る。

だが、Calculusにまでいける生徒は300人いる1学年の生徒の内、20名程度だった。さすがにこの科目は4年生しか受けられない。まさに数学エリート達が受ける授業だったが、他の生徒は「オレは数学は苦手だが、体育は得意だ」と自信を持っていた。

秘書になることを決めている生徒(ほぼ全員女性)は、こうした数学の授業は最低限取得し、簿記・タイプライティング・ワープロなどの授業を取っていた。

こちらの方がよっぽど多様性を尊重しているし、その分野で極めて優秀な者が同じようなレベルの者同士で切磋琢磨でき、能力を高められるのだ。もちろん、日本でも高校以降は偏差値に応じ学校のレベルが変わっていくが、市に数校しかないようなアメリカの小都市(ただし面積はバカでかい)では、居住地域に応じた公立高校へ行くしかなくなる。

するとその中で各人の得意分野を自分で判断し、自分の道を自分で切り拓くしかなくなるのだ。不得意な者を得意な者が待つような教育はここにはない。さらに、この公立の高校教育で、「オレが得意なものはあるが、オレができないものもある」は明確に培つちかわれる。

デブの数学オタクはスポーツが得意な人間とは接しない。逆も然しかり。だから、アメリカは、一芸に秀でた人材を次々と輩出し、世界の覇権を握ったのであろう。

日本の人材は基本的には都会であれば、人気の大企業を志望し、地方であれば地元のより名の通った企業や公共機関・役所やインフラ企業で働くのが黄金コース。そこに乗れた人々は「いいところにお勤めで……。お父様、お母様も鼻が高いでしょう」と言われるものだ。或いは、地元の人から「お前がオレらの中の出世頭!」なんて言われる。

とは言っても地方であれば、将来的に家業を継ぐための準備ができるところへいくこともあり、これは実に地に足が付いた生き方である。決して「周囲を見て自分もコースを決める」ではないので、立派だと思う。

変人を認め、レールを外れても後ろ指をさされない社会

アメリカ時代、よくつるんでいたのは数学・物理好きで優秀なnerd(うすのろ、ダサいヤツ、陰キャ)達だ。当然私もnerdだった。彼らと一緒に数学や物理等の学校代表として州大会にも出たことがある。彼らは一人を除き、全員大学へ行ったが、その後の進路が面白い。物理の大学教授、整形外科医、引きこもり、ペットフード工場社員である。

一人だけ大学に行かなかったジェフは、大学に行くための奨学金を得るため、海軍に入る。するとそこで優秀だと認められ、結局海軍に残り、幹部になってしまったという。そして、イリノイ州では優秀とされるイリノイ大学に行ったスティーブは、実家に戻ったと言っていた。

彼は一切勉強しないが、毎度数学のテストの点は良かった。テストが開始す

ると、「E=mc2」とだけテスト用紙に書き、問題を見る。当然公式は分からないのだが、アインシュタインの相対性理論を理解しているため、そこを起点に自ら公式を作り出し、問題を解いていくのである。

しかし、致命的な欠点があった。それは「e」と「i」のスペルを間違えるのだ。たとえば、「ウナギ」を表す「eel」は「iil」となってしまう。「空気」である「atmosphere」は「atmosphire」で、こちらは一つのeは正確だが、一つは間違えてしまう。江戸っ子が「ひ」を「し」と発音してしまうのと同じと考えていいのかよく分からないが、とにかくスティーブに関しては「なぜお前はあんなに頭がいいのに、そんな簡単なことはできないのだ!」といつも思っていた。

そんな彼が実家の地下室で取り組んでいたというのが、ビールの醸造である。その地下室には何度も行ったことがあるが、相当広い。確かにここなら醸造所にできそうだ、と思うものだった。会ったのは32歳の時だったが、「毎週シカゴに樽を持って行くんだよ。そしてカネをもらう。翌週もビールを売りに行ってまたカネをもらう。これの繰り返しだ」と語っていた。

スティーブ・ジョブズとジェフ・ベゾスもそうだが、とかくアメリカの偉人は「自宅ガレージで制作を開始した(創業した)……」的なエピソードが多い。私の友人のスティーブの場合は「地下室で醸造を開始した」のだが、残念ながら今検索しても彼のビールはメガブランドにはなっていなかった。というか、アメリカ人はあまりにも同じ名前が多過ぎて検索できないのである。

同じように数学・物理好きであっても、こうしてその先の道は多様な国の方が変人は認められるし、レールを外れても後ろ指をさされない社会である。何しろ「かくあるべし」が、よっぽど保守的な家に育った人間以外は、特に決められていないのである。

日本は社会全体で「かくあるべし」を規定し、そこから外れた者は徹底的に糾弾の対象になる。だから周囲の目を気にし、怒られないことを仕事の最大のモチベーションにしてしまうのだ。

「失われた30年」になるのも当然の話なのである。

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抜粋終わり

日本は社会全体で「かくあるべし」を規定し、そこから外れた者は徹底的に糾弾の対象になる。だから周囲の目を気にし、怒られないことを仕事の最大のモチベーションにしてしまうのだ。

一致団結のエモさしか、日本人を組織化できない。

ので、「天皇」とかいう邪鬼を「神」と崇拝させもする。

物事の本質を考える・・・・など日本の庶民がしはじめたら、豚程度の知能しかない指導層・天皇とその閨閥が、優秀な日本の庶民を支配できないからね。

無論、「一致団結」や「集団生活」も大事とは思う。

けど「発達障害」が15人に一人なのが社会で、それを強行すると、死人が確実に出るし、現に学校では「死体」がつきものですよね、「いじめ自殺」という死体が。

まあ、日本人の生存は、「天皇日本」の滅亡しか道が無いのは、確実な話です。

天皇家を根絶やしにして  日本人を救う

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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