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【観劇レポ】今から再演待たれる ミュージカル「マリー・キュリー」

ミュージカル観劇レポ。4月の観劇ラッシュの中ですごい作品に出逢ってしまいました。ミュージカル「マリー・キュリー」のレポです。

3月の東京公演から始まり、一月空けて遂に大阪へ。韓国発で日本初演、かつ上演劇場もカンパニーもわりとこじんまりしていることもあり、東京では最初は空席もちらほらあったとか。しかし、にわかに口コミで良い評判が広がっている作品。

期待して観に行きましたが、期待以上。元々ちゃぴちゃんと上山さんが出るということで興味を持っていた作品で、大阪初日を観たのですが、あまりに良くて、劇場を出た瞬間に千穐楽のチケットを追いチケしたほど。涙、もとい塩化ナトリウムの流出が止まらない。

初日、千穐楽ともに前から一桁台の席で拝見できたということもありますが、僕史上好きな作品トップ5に間違いなくランクインする作品になりました。うん、ホンマによかった。

というわけで観劇レポです。ちょっと熱量高めです。

FACTION

このミュージカルは「FACT(事実)」と「FICTION(虚構)」を混ぜた「FACTION」のストーリーと銘打たれています。

僕はあえて「これはFACTIONです」と言って宣伝していることに意味があると思っています。

そもそもミュージカル、ひいてはエンタメなんて、事実をベースにしたものであっても、多少のフィクションが入るものだと思うのですが、特に今作のような、歴史上実在した人物をテーマにした作品は、変に事実を曲げてしまって思わぬ批判を受けることになることも想定されてしまう。
実際今作も、純粋に「マリー・キュリー」という人物を史実になぞらえて描くわけではなく、少し時代の異なる事件(ラジウム工場での労災)を混ぜてみたり、マリーが放射能の危険性を認知していたりと、ストーリーとしての脚色があります。

ここで「事実と虚構を混ぜてますよ」と、制作側が初めから言う意味は、「事実や歴史の一コマではなく、一つのストーリーとして、観た人に何かを感じてほしい」という意志を感じます。

そもそもエンタメ作品というものは、何かしらの作り手の意図、思想があるものなので、それを前提に楽しむのがエンタメというものだと、僕は思うのですが、それを踏まえた感想や批評ではなく、観たまま受けたままをどうこう言う方も一定数いるわけです。
その意味で、「FACTION」と敢えて語る意味合いは、今後エンタメが長く楽しまれるための、作り手側の「工夫」なのかなと思いました。

「よくできている」ストーリー

千穐楽のカーテンコールで、ピエール役の上山さんが仰った通り、「よくできたストーリー」でした。

男社会の中での女性の活躍に対する時代の空気感、無償の愛としての友情、夫婦の絆、夢と幸せ、科学と倫理。マリー・キュリーという人物を中心に、架空の人物であるアンヌとルーベンを使いながら、多くの人の心に何かを残すストーリーになっていました。

また観客を惹き付ける構成もすばらしいです。
冒頭では描かれないマリーとピエールの馴れ初めや、マリーがなぜ科学をするのかの答えが、あとの場面で二人の再現として描かれることで、科学ジョークを交えながら二人の絆や科学への思いを強調。
後述するピエールの訃報の直後のシーンも、一瞬観客に勘違いをさせる「間」を作り出し、感動をひときわ強めていました。

そしてこの作品は、ぜひ2回以上観るのが良い。1回目でも心打たれるものはあるのですが、全てを知った上でもう一度観ると、より一幕の明るさや健気さが心に染みる。僕自身、初回は2幕で泣きましたが、2回目は1幕から涙が止まりませんでした。

比較的フェミニズムチックで、マリーとアンヌを中心に「女性性」が前面に推しだされているので、苦手な人は苦手かもしれません。多くの作品で、例えば夫婦のように男女の愛が描かれることは多いですが、マリーとアンヌという女性同士の友情にここまでスポットが当たる作品も珍しいのではないでしょうか。僕は、パンフレットを読んでこの作品が韓国で生まれた背景などに思いを致すと、ふむふむなるほどと考えさせられるところがありました。

ミュージカルとして

一幕は比較的希望のある明るい場面が多く、二幕は号泣必至の辛さ悲しさ温かさがある、という具合に舞台・ミュージカルとしてまとまっていました。ちなみに2幕は、僕延々と泣いてました。泣きすぎて頭痛い。

ストプレも多く、長台詞や科学の専門用語も多いですが、アニメーション的なダンス、難易度の高そうな音楽で、展開に退屈することのない程よい物語運び。カンパニーが少数精鋭なのに登場人物はそこそこ多いので、アンサンブルの表現力が活きてくるようにも思いました。

楽曲としては、一幕の「ラジウム・パラダイス」がいわゆる西洋ミュージカル的な、華やかさのある楽曲。元素であるラジウムが人に扮して歌い踊るという擬人表現ですが、ラジウムという元素の性質が化学の素人にもわかりやすく描かれていました。

また1幕で工員たちがアンヌの手紙に仮託して歌う「元気です」は、初回こそ微笑ましい楽曲として観ていましたが、2幕で工員たちが辿る運命を知った上で観る2回目は、もうこの時点で涙が止まらない。

少しテイストの異なる楽曲では、マウス実験のシーンは結構強烈。アンサンブルがネズミに扮して歌い、チューチュー言ってるのは一見可愛らしくもあり、狂気じみた気持ち悪さも感じてしまう何とも不思議な楽曲。

2幕は感動と涙の嵐で、アンヌとマリーが衝突を経て屋上で互いへの想いを歌う「あなたは私の星」、マリーとピエールの魂の別れを紡ぐ「予測不能で未知なるもの(リプライズ)」。一曲一曲が泣かせにくる感動ナンバーな上に、これが怒涛のように続く、まさに観客泣かせの2幕後半。劇場中からすすり泣く声が、あちこちから漏れ聞こえる作品はなかなかありません。

マリー

愛希れいか演じるマリー・キュリー。

冒頭は臨終間近のシーンから始まりますが、年老いたマリーを演じる表現から一転、場面転換後の大学入学時のシーンでは若い少女の声。さすが前作(エリザベート)で10代から60代まで演じただけはある、さすがの演じ分け。さすがちゃぴちゃんですわ…。

一幕冒頭は、科学の才あるがゆえの堅物感や、どこか人馴れしてないような雰囲気が目立ちますが、物語が進むにつれ、好奇心が使命になり、科学と自分の存在がほぼイコールになる、ある種の狂気のような探究心も出てきます。

二幕では、放射性元素の可能性と危険性の間でのジレンマ、ピエールとの固い愛情、アンヌと向き合うことで表に出てくる弱さや人間味など、マリーの人間らしいところにフィーチャー。ちゃぴちゃんは演技に感情を乗せるのがナチュラルで、特に激しめの感情はとても映えるので、もう二幕は観てるこちらが辛かった。

「マタ・ハリ」、「エリザベート」とちゃぴちゃんを追いかけてきましたが、間違いなく歌唱力がアップしている。高音の伸びも含め、まさにマリーのように爆発力もある。あーほんまにちゃぴちゃんの歌すてき。

ピエール

上山竜治演じる、マリーの夫で共同研究者でもあるピエール・キュリー。

千穐楽カテコで「前作では暗殺させていただいてましたが」と仰っていた通り、ちゃぴちゃんとは前作(エリザベート)で暗殺する・されるの関係なんですよね。ルキーニのお道化た演技や歌も好きでしたが、この愛情深いピエールの歌声もまた、上山さんの魅力だと思うんだ、僕は。好き。

そう、とりあえず言いたいのは、上山ピエールの愛が深すぎる。途中何回かノックアウトされた。史実のピエールがどうだったかは知りませんが、とにかく上山ピエールは優しさの塊。歌も声もセリフも笑顔も全部が優しい。尊い。

二幕で、馬車の事故に遭って亡くなってしまうのですが、そのシーン描写はなくて、マリーとアンヌのもとに訃報が来るところで舞台暗転。普段の研究室の様子にワープするのです。
普段通り、マリーがピエールに実験道具を取ってくれとお願いするシーンから始まるので、初見では「回想シーンかな?」と思ったのですが、ここで三角定規を渡すピエールは、亡霊なんですよ。
夫が亡くなってもなお研究を続けようとしているマリーも、さすがに夫の死は受け入れられない。それを亡霊ピエールが優しく笑顔で諭す。このシーン、音楽もなく静かなシーンで、マリーの沈黙とピエールの微笑みが全てを物語る、ミュージカル史に残る名シーンだと思います。マリーとアンヌの「あなたは私の星」でさんざん泣かせた後にこのシーンですから、もう涙枯れ果てるくらい泣く。

ちなみに夫婦の仲を「塩化ナトリウムの結合のように安定している」と言ってみたり、科学者同士の夫婦でしか成り立たない会話が出てくるあたり中々キュンキュンする。いいよね、二人だけが分かる世界って。何の話。

アンヌとルーベン

アンヌとルーベンは、本作のオリジナルキャラクター。史実上も架空の人物ですが、立ち回りや役割を見ると、マリーの頭(心)の中の想像の人物のようにも思えます。マリーの(あるいはラジウムの)性質・内面を表した象徴的存在としても捉えられます。

アンヌはマリーとラジウムの夢と可能性を信じながらも、身をもってその危険性を味わう。マリーにとっての希望や好奇心、そして危険性に目を背けてきた罪悪感の象徴。最後のシーンも、マリーは老いた姿ですが、アンヌは若い姿のままで登場。ピエールの死後はめっきり会っていない、とマリーが語っていますが、この最後のシーンを見ていると、ますますアンヌがマリーの想像上の人物のような感覚を覚えます。

ルーベンはその危険性を察知しながらも、その危険性を隠して夢と可能性だけを世界に広げる。マリーへの支援は、マリーが研究を進める推進力を象徴するのかもしれないし、マリーだけでなく、人間の欲そのものを体現しているようにも見えます。終盤の「遠い世界へ(リプライズ)」の最後の一音である爆発音は、原爆を想起させる音。放射性元素の…厳密に言うと科学を利用する人間の…負の面を体現する人物像です。

アンヌ役の清水くるみさん。初めての拝見でしたが、ちゃぴちゃんの声との相性も良く、とても心地の良い歌声。そして無邪気さ、愛の深さ、絶望と怒り、感情の振れ幅が激しい中で、その演技力は心にダイレクトに刺さってくる。ちゃぴマリーもですが、涙を流して感情をこれでもかとぶつけながら、よく声がぶれずに歌えるなあとしみじみ関心。プロってそういうことですよね。

僕とそんなに年も変わらない方ですが、同世代に素晴らしい役者さんが出てきたもんです。7月の「FACTORY GIRLS」にも出演されるようなのでチェックせねば。もっとたくさんミュージカルに出てきてほしい役者さん。

ルーベン役の屋良朝幸さん、こちらも初拝見。狂言回し的な良い感じの胡散臭さ。一方で、ブレイクダンスやアニメーションダンスなど、ボディを使った表現も印象的。余談ですが、宣伝ビジュアルでは黒髪で青のスーツでピシッとした感じなので、金髪にキラキラのシルバースーツで出てきて、初見時はちょっとびっくりしました。

アンサンブル

みんな大好き、もとい僕が大好きアンサンブルさんのコーナー。今回は9人という小規模なアンサンブルです。

アンサンブルではありますが、ラジウム工場の工員としては全員に名前があり、アンヌがラジウムの危険性を訴える「死んだ工員に捧げるボレロ」や、ラストシーンで一人ひとり名前が呼ばれていくシーンは涙ものです。マリーと彼らに直接的なかかわりは、少なくとも描かれるストーリーの中ではありませんが、彼らもまたマリーの中での、「生きたかったのに生きられなかった人々」の象徴的な存在なのかもしれません。

「ブラック・ミス・ポーランド」や「ラジウム・パラダイス」など、アンサンブルらしい匿名性のあるシーンも好きなのですが、一人ひとりのキャラクターが立っているのも素敵ですね。

私が誰かではなく

1幕でのマリーのセリフ「私が誰かではなく、私が何をしたかを見てください」。女、ポーランド人、そうした属性ではなく、ただ功績を、やろうとしている偉業を見ろという言葉。これ、現代と全く逆じゃないでしょうか

今って、「私が何をしたかではなく、私が誰であるかを見て」という社会のような気がします。
フォロワーやチャンネル登録者数が多い私。この会社で自分にしかできない仕事がある私。親、上司、妻、夫といった役割ではなく名前のある個人としての私。

誰もが何者かになりたがっている現代。何をしたか以前にその人の属性で判断され、何をしたか見てすらもらえないかつての時代。マリー・キュリーが生きた時代は、たかだか100年ほど前ですが、そこに生きた人の真逆のテーゼが、何かハッとさせられるものを投げかけているように思いました。

別に現代の個の尊重(強調)が悪いわけではないのですが、人を評価するときに、自ずと「その人がどんな人か」を判断材料にしてしまう場面もよくあるよな、と感じました。

ミュージカル興行の難しさと希望

余談なのですが、ミュージカルを商業として見た時、コロナの影響によるエンタメへの打撃というのを除外しても、なかなか厳しい業界だと思うのです。

「レ・ミゼラブル」「エリザベート」くらいのビッグタイトルであれば、チケットも即完売レベルだと思いますが、日本オリジナルの作品や、海外から輸入されてきたばかりの作品など、いわゆる新作ミュージカルは、満員御礼は相当ハードルが高いように思います。今作も日本初演ということ、かつ劇場のキャパが小さめということで、興行としては「様子見」的なところもあったのだと思います(誤解があるといけませんが、カンパニーが手を抜いているとかそういう意味ではありません。決して)。

だからこそ、作品の良さが口コミで広がり、公演を重ねるごとに座席が埋まっていくというのは凄く稀有なことで、そして商業としてのミュージカルの希望でもあると思うのです。

ミュージカルの客層は、キャストのファン、作品のファン、作曲家のファン、ミュージカルという物自体のファン、色々だと思いますが、やはり今日「キャストのファン」というのはかなり大きな要素。僕自身はミュージカルそのものが好きというタイプですが、今作を見るきっかけは、「ちゃぴちゃんと上山さんが出るし」というのが最初のきっかけではありました。

推しキャストを追うことが悪だと言いたいのではないのですが、この作品が「これは良いぞ」と拡散されたのは、作品自体が評価されたということだと思います。単純に集客しようと思えば、とにかく有名・人気な豪華キャストを固めるとか、やたらグッズを販売するとか、いくらでもやりようはある。その中で、「作品のメッセージを届けたい」という思いが結実して、それがちゃんと観客に届いていて、しかもそれが拡散されていくということがどれだけ素晴らしいことか。「マリー・キュリー」はそれを体現した作品ではないでしょうか。

早く再演が待たれる

いつもに増してまとまりのないレポになってしまいましたが、タイトル通り、とにかく再演が早くも待ち遠しい作品。

今回の興行がビジネス的に成功だったのかは、僕は消費者側なのでわかりません。千穐楽のセンターブロックのチケットが、追いチケットで手に入ったくらいですから…。まあ、大阪では裏番組で「ジキル&ハイド」が全く同じ公演日だったのもあるでしょうが…。

でも、ミュージカルとしては間違いなく「良作」として口コミが広がっていて、作品のメッセージも伝わっている。これはミュージカルとして「成功」だと思います。

とにかく、日本初演完走、おつかれさまでした!再演はもちろん、音源化や映像化もいつでもお待ちしております。

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