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自分の中の深くて遠い世界

今日は朝から瞑想の時間を作ることができた。
いつもなんとなく気にしながらもやったりやらなかったりやらなかったり、主にやっていなかったのだけれど、今日の体験は今後も続けるのに値するような体験だった。

最近腰の調子が悪くて、ぎっくり腰の手前のような状態がつらつらと続いている。今日も朝起きて腰回りが固まっていたので、太陽礼拝と股割りと簡単なストレッチをした。
10代の終わりの頃、ヤマト宅急便で手押し車での配達のバイトを福岡のど真ん中でしていた頃、めちゃくちゃストレッチにハマっていて夜の時間30分以上、朝もバイトが始まる前までに入念なストレッチを欠かさなかった。
おかげで開脚で頭がしっかりついていたし、前後に足を伸ばした状態で地面につけることができていた。
朝仕事前にストレッチしていた時、今はガンで亡くなってしまった愛すべき高校の頃の吹奏楽部の副顧問のような位置の先生が、ふと通りかかって手を叩いて爆笑されたことはとてもとてもいい思い出。
今では全くストレッチをしていなかったのでバキバキの硬さだ。

ストレッチをして身体に呼吸が入りやすくなった頃、ワンルームの窓の前に腰掛けて外の光を感じる。完全呼吸から瞑想に入っていった。
僕は瞑想のやり方とか全くバリエーションを持って知っているわけではないので、ゲリーボーネルさんが最近動画で教えてくれていた瞑想とマントラをやっている。
マントラを頭の中で唱えているとだんだん身体の周りが暖かいような、何かを帯びているような感覚を感じる。
下半身が昔から緩んだり意識が行きにくいので、上半身で感じている感覚を下半身におろしていく。
膝や股関節がふっと緩み、座る姿勢が気にならなくなってくる。

ふっと身体の感覚が今感じていることが全てになってくる。匂いや風の音、ひぐらしが鳴いている。微細な感覚を感じ取れる場所に入った。

五感で感じる感覚や、身体を纏っているようなものに対する感覚を感じているうちに、白い映像がサブリミナル映像のようにパキパキと変わり続けている。
いつもよりも身体の感覚から離れて、遠いところにいるような感覚。
だけどそんなには離れていない。
その感覚に慌てないように呼吸を続けながら、ゆっくりと白い映像の方に向かっていった。

入っていくとそこは全てが白。自分も凹凸の少ない白い何かに変化していた。僕は自分が黒めの存在だと思う部分があったので、白い自分に喜んだ。
白いものの中は明るくて、心地いい空間だった。
触ってみたり、じっくり眺めてみたり、ただ感覚を味わう時間を過ごした。

だんだんそこにいるのに無理が生じてきた感覚があったので、ゆっくり戻っていった。
目を開けると深い海に潜った時よりも、飛行機で飛んでいる時よりも、遠くに行ったような感覚があった。
目で見るものを触っているような共感覚が余韻のように残っていたので、横になって天井や火災報知器の紐などを触って過ごした。

僕らの内側はどのくらい広大に広がっているんだろうか。
どんな美しいものが眠っているんだろうか。

MUSO culture festival のermhoi の映像を聴きながら、果てしない自分の中と、宇宙と石たちについて、世界を抱きしめるような気持ちで想っていた。

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