見出し画像

祖父のよみがえり

神道では、人は亡くなると家のまもり神になると信じられています。

一家を見守ってくれている心強い存在です。私も亡くなった祖父に見守られていると日々感じます。

私は、大阪府豊中市に鎮座する服部天神宮を実家とし、生まれた当時は祖父が宮司として神社を守っていました。

祖父は厳格な人で、あまり関わりもありませんでした。

しかし、そんな祖父も当時野球で活躍する従兄弟のことを褒めていた事がありました。従兄弟と比較されることが凄く悔しく、私もいつか祖父から褒めらたいと思っていました。そんな私の想いも叶わず中学三年生の時に祖父は亡くなります。

亡くなる前に祖父が入院していた病院へ行った際に痩せ細った祖父に手を握ってもらいました。言葉はありませんでしたが、私の手をぎゅっと握りしめる祖父は中学生の私に「服部天神宮の跡を頼むよ」と伝えようとしていたのではないかと思います。

第22代目の神職として務めるようになった今、見守ってくれているであろう祖父を思いながら、今の私が在ることへの感謝を実感します。

つい最近、神職である私の大叔父(祖父の弟)と食事をしている際に、こんな素敵な言葉をいただきました。

「もし、ともえ(祖父)が生きていたら、あんたの立派な姿を見て、自慢気に喜んでるやろうな。」

神職であった祖父ともう会うことはできません。でも、大叔父の言葉を通して、祖父の思いがよみがえり、強くつながりを感じられました。

肉体的には亡くなっているかもしれませんが、念として祖父が思い起こされることによって、新しくいのちが吹き込まれ、蘇ってくる感覚。

直接対話できなくても、大叔父を通して感じられる祖父の温もり。

まさに、祖父は、どこでも、いつでも、いつまでも、私をまもってくれる存在です。

私のまもりがみである祖父と先祖に感謝しながら、神職の道を歩んでいきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?