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東大とシリコンバレーの文系教育は何が違うのか

“ICTと文系”というテーマ

私のnoteでは、(まだ記事数は多くないのですが)ICTについての色々なデータを紹介しています。先日書いたこの記事が一部で話題になったようで、朝起きると一晩で12,000PV以上も集めていてびっくりでした。

2ちゃんねるの時代から文系vs理系というテーマには少なからぬ人々が関心を寄せていたように思います。この記事を書いた趣旨は、決して文系vs理系論を語りたかったわけではなく、日本の大学(院)教育について少し問題提起をしてみたかったというものです。

ただし、“ICTと文系”というテーマに関心を持たれている方もいらっしゃると思います。ICT(Information and Communications Technology)はその名が示すとおり本来は技術を指しますが、ビジネスや文化さらには社会全体に影響するものであるとともに、ICT自体が今や存在感の非常に大きいビジネスであり、経営・経済・法律といった伝統的に文系と呼ばれる領域と切っても切り離せない関係にあります。むしろ、優れた技術が必ずしも市場を席巻するわけではないことからしても、特にビジネスとしてのICTを考えるときには、文系的なスキルが重要であることを否定する人はいないでしょう。

そこで今回は、“ICTと文系”というテーマのうち、あくまでも私が自分自身の経験から書くことができる範囲内で、文系教育の話をしたいと思います。

シリコンバレーのロースクールではICTにまつわる法律だけでなく技術も学べる

“文系教育”と大きく書いてしまいましたが、その中でも私が大学・大学院で専攻した法律という分野について書きたいと思います。具体的には、大学は東京大学、大学院は米国のカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)という所で学んだのですが、その教育内容の違いです。

最初にUCバークレーという学校について紹介しておきますと、米国カリフォルニア州サンフランシスコ近辺のベイエリアと呼ばれる地域にあり、スタンフォード大学と並んでシリコンバレーに大量の人材を供給している大学(院)です。有名な卒業生としては、Intelの共同創業者でCEOを務めたアンドリュー・グローブ、Appleの共同創業者スティーブ・ウォズニアック、GoogleのCEOを務めたエリック・シュミットなどがいます。日本人ではソフトバンクグループの孫正義さんが有名ですね。大学発の技術という点でも、UNIX系OSのBSDや、ディープラーニングのフレームワークのCaffeなどが有名です。

そのUCバークレーのロースクールも、やはりシリコンバレーの法律家の主要な供給源となっている点に特徴があります。シリコンバレーで有名な卒業生としては、現在Mozilla CorporationのCEOを務めているミッチェル・ベイカーなどがいます。私自身仕事上GAFAの公共政策や法務の担当の方々とお付き合いする中で、卒業生の方にお会いすることもしばしばあります。

私はそのUCバークレーのロースクールに通っていたのですが、結論から言いますと、ICTにまつわる法律はもちろんのこと、それ以上に技術や経済・経営の基本的な知識や理論について学ぶことができ、総務省でICT政策に携わる上での大変貴重な財産となりました。電波の周波数の仕組み、通信ネットワークの仕組み、コンピュータとソフトウェアの仕組みなどの技術的な話の基礎は、ここで身につけ、その後総務省での仕事の中でブラッシュアップしていったという感じです。

東大の授業科目との違いは一目瞭然

それでは、具体的にどのようなことを教えているのでしょうか。ロースクールでの知的財産・テクノロジーに関連する授業科目について、東京大学との比較表を作ってみました。

このように、提供している科目の数が全く違いますし、教えているテーマの具体性・特定性についても全く違うのが科目の名前を見るだけでも分かると思います。

東大は必ずしもICT界隈で働く人材の輩出を目的としているわけではありませんので、この比較はフェアではないのかもしれません。それでも、私としては東大(ロースクールではなく学部でしたが)で学んだことが今の仕事にどのぐらい役に立っているのかと聞かれても、すぐに答えが出てきません。東大とりわけ法学部は官僚養成学校などとよく言われますが、(少なくとも私がいた頃には)例えば法案を作る上での実践的なノウハウを教えるようなことも全くなく、あまり養成された気はしないところです。このような実践的なことは、国家公務員になってから内閣法制局での審査を通じて学ぶものでした。ひょっとしたら、小手先のノウハウではない何か大所高所の大事なことを教えていたのかもしれませんが、実感はありません。

このような違いが生まれる理由

法学教育についての日本と米国の違いとして、米国には法学部はないといういうことがまず挙げられます。学部で経済学や工学などを学んだ人が、ロースクールという大学院に進学して法学を学ぶことになります。そして、教える側もそのような経歴ですので、そもそも法学+他の分野という専攻が当たり前ということになります。

したがって、法学と技術が組み合わさるのはある意味自然といえます。また、日本の法学教育では、”公平性”や”合理性”が論点となったとき、それってただの主観では?と思ってしまうような説明で丸め込まれることもしばしばですが、UCバークレーでは、”公平性”や”合理性”の説明に経済学的な論証が求められることが多かったです。

ただし、このようなことは、違いを生む一つの理由ではあるはずですが、必ずしも本質ではないと思っています。

本質と思われることの一つとして、UCバークレーでは、大学の教員の中で、大学の外で実務経験を積んでいる人が少なくないということが挙げられます。例えば、通信政策を教えていただいたHoward Shelanski先生という方は、その後オバマ政権で閣僚級のポストも務められた今や競争政策の大家の一人ですが、連邦最高裁調査官や法律事務所の弁護士という経歴のほか、経済学のPh.Dでもあり連邦通信委員会や大統領経済諮問委員会でエコノミストとして勤務した経歴を持っています。また、コンピュータやソフトウェアを巡る法律について教えていただいたMark Lemely先生という方は、知的財産法の分野では全米トップクラスの研究者ですが、シリコンバレーの法律事務所での実務経験があります。

日本でも、官僚出身者が大学の教員になるというケースが増えてきていますが、実務は知っていても理論はあまり知らないという方も多いように思われます。先日書いた記事は、競争政策の理論を簡単に説明したものですが、もとはUCバークレーで1984年のAT&T分割に関連して教わった話であり、このように最新の出来事にも応用できる思考や分析のフレームワークになるというのが理論の良いところだと思います。日本では、理論と実務の両方に足場を持つ専門家は決して多くないといえるでしょう。

そして、更に本質的と思われることとして、米国はジョブ型雇用の社会ですので、新卒学生であっても、採用するポジションのジョブ・ディスクリプションにふさわしい専門性を大学(院)で身につけておかなければ採用されない、ということが挙げられます。

日本でもジョブ型雇用を導入する動きが出てきていますが、霞が関も含め、ポテンシャル重視、コミュ力重視の新卒一括採用は依然として広く行われています。これは、日本独特のメンバーシップ型雇用の表れではありますが、大学の教育に即戦力となる人材の育成という機能が期待されていないことの表れでもあるでしょう。

シリコンバレーの文系教育は、大学で教えていることが産業界の求めるものに直結しているとともに、産業界もまた大学で学んだことを重視する、という好循環ができていると実感します。また、そもそも実務経験を持つ大学教員が多いのは、組織を渡り歩いて専門性を磨くジョブ型雇用の社会が前提になっています。

大学・大学院は、決して就職予備校ではないものの、日本では特に文系の場合、そのまま大学に残って研究者を目指す一部の人を除くと、何のために安くないお金と長い時間を費やして通うのでしょうか。就職活動が大学の勉強に支障をきたすということが言われますが、就職活動よりも大事な何かを提供できているのでしょうか。こういったことを、雇用の在り方と併せてトータルで考える必要があるのではないかと強く思っています。

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