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白磁のアイアンメイデン 第4話〈8〉 #白アメ

 <7>   <目次>

<前回までのあらすじ>
 ハンク王国に広がる禁忌の地、”忌み野”。魔術師へリヤは、彼の地に眠る”忌み野の竜”が握る魔術の深奥を探るべく”忌み野”を訪れる。困難な旅路の果て、慣れぬ旅路に疲労困憊だった彼が出会ったのは、ドレスを身にまといつつ魔物を蹴散らすご令嬢、その名をベアトリス。そして彼女に付き従うオートマタ執事兼強化外骨格のアルフレッド、そしてオートマタメイド兼恐るべき破壊槌の使い手たるフローレンスという珍妙な一行だった。彼女らの目的は一つ。”忌み野の竜”を「打ち倒し、平伏させ、最後に足で踏んでやる」ことだ。
遂に真の姿を現した”忌み野の竜”。圧倒的な巨躯を前にして、打つ手がないかに思えたその時、ベアトリスは彼方の世界から白磁の巨神「ホワイト・ライオット」を召喚する。機神と邪竜、”忌み野”の大地を揺るがす両者の死闘の果てに、「ホワイト・ライオット」は”竜”を粉砕するのであった。

 ”竜”は2、3度痙攣した後、ぴくりとも動かなくなった。

 ラシュ平原を”忌み野”と化した竜魔王、”忌み野の竜”。人智及ばぬ暴威は、一組の”人”の手によって物言わぬ骸と化したのであった。

「……ようやく」
 魔術師へリヤが、感情の混ざりあった灰色の声で問う。
「ようやく、終わった……のか」

「ええ――ですが、”竜”どもにとっては終わりの始まり、最初の一歩というところですわね」
 それに答えるベアトリスの声は、感情を白く塗りつぶしたような、そんな明るさの声音で響く。
「記念に、立派な碑でもお立ていたしましょうかしら?」

「……いいかもな」
「……」
 ぎこちない両者のやり取りは、そこで途絶える。

 沈黙が辺りを支配する。忌み野の空を、雲が流れ行く。”竜”の呪縛から逃れた始めたらしい獣の、間延びした鳴き声が彼方から響いてくる。

 ぱきぱきという音がした。”忌み野の竜”の体が、乾き朽ちていく音だ。

 風が吹く。
【チチチ】
 緊張感に耐えられなくなったのか、フローレンスがぷるぷると体を震わせ始める。そのとき。

「喉が……」
「え?」
「喉が、渇いたな」
 沈黙を破ったのは、魔術師のほうであった。

「渇きがひどいんだ……血やら何やら、体から色々と出ていったものでね。なにか飲めるものがもらえるとありがたい。例えば、そう……淹れたての紅茶とか、な」
 そう言って、ヘリヤは不器用に笑ってみせる。 

「ええ……ええ! ご用意いたしますわ!」
 嬉しそうに微笑むと、ベアトリスはくるりと振り返り、彼女の忠実な従卒達に向き直った。

「勝利を記念して、今からお茶会といたしましょう。アルフレッド! フローレンス! 急ぎのご用意、お願いできますかしら?」
『イエス、マイレディ。早急に』
【チチ、チチチチ】

 てきぱきと準備を始める執事とメイドを満足気に見やると、ベアトリスは軽く息を吐いた。再びくるりと身を翻し、魔術師に向き合う。
「さて……準備が整うまで、少々お時間をいただかなくてはなりませんわね。その間、少し座ってお話でもいたしませんこと?」
 ベアトリスは、例によっていつの間にやら準備されていたテーブルセットを手で示す。

 ――「いつの間にやら」か。
 今ではヘリヤにもそのカラクリがわかる。”召喚”されたのだ。おそらくは白磁の機神と同じ場所から。馬車だの、メイドのハンマーだのも、きっとそうなのだろう。

 だとすると彼女らは、召喚術式などという相当に高度な魔術を完全に使いこなしていることになるな。それも戸棚からカップを取り出すほどの気安さで、術の発動を気づかれることもなく。

 全くどうなっているのやら、だ。

「……そうだな、聞きたいことはあるな。色々と」
「……ええ、お話させていただきますわ。色々と」

 ◇ ◇ ◇ ◇

~スノーホワイト家の物語~

その昔、王都より西、馬車で7日の辺境に、とある兄妹が住むお屋敷がありました。兄の名はウイリアム、妹の名はシャーロット。それはそれは仲の良い兄弟だったといいます。両親を早くに亡くした彼らは、総父母の代から仕える老執事や、僅かなメイドたちと一緒に暮らしていました。

兄のウイリアムは下級貴族。彼はその地方の領主としてさほど広くはない一帯を治めてはいましたが、正直なところ、領主としてあまり優秀とは言えませんでした。

領民は口を揃えて彼をこう評します――「領主様は、雲の上にお住まいでいらっしゃる」と。これはその地方で、良く言えば超然とした、悪く言えば浮世離れした者を言う言葉でした。領民に、人としての権利が十分に認められていたとはとても言えないこの当時において、半ば公然とこのような物言いが許されていたところに、彼の人柄が垣間見れるかもしれません。

そもそも、そのように彼が言われてしまうのは彼が言うところの「真理の探究」――書物の収集と、「人類への貢献」――錬金術研究に、文字どおり己の全てを注いでいたからなのでした。

彼の書庫には万書が収められていました。『神々の御代』『石と錬金術』『神話の中の”竜”』『万象の根源や何処(いずこ)』『王都周辺の生物相より類推される魔力流に関する考察』『歌と精霊魔術』『魔術史概論』『生きている海』『クピドの矢~心を掴んで離さぬために』『ガナン陶片文字私家解読、および超古代文明の可能性について』『秘祭』『”気”~<遥けき東(ファー・イースト)>の神技』『読心術大系』『モンド・カーネ』『ホムンクルス精製は成るか~錬金術的・魔術的・倫理的考察』『悪意の正体』『女心を掴む秘薬20選』『忌むべきものども』『サボス=ティンルゾ』『錬金術の可能性』……世に二つと無き稀覯書から、出所も真偽も怪しい四つ折り版までが、書棚に隙間なく並べられていました。

さて、彼は貴族としてはさほど裕福とは言えませんでした(もちろん、「貴族としては」でしたが)。その彼がこのような道楽に精を出せたのは、彼のもう一つの関心事のおかげでした。 

彼には、類い稀なる錬金術師の才能があったのです。

彼は、趣味の研究の副産物として生まれた様々な「発明品」を領内の商人たちに提供し、そこから領地経営以上の富を得ていたのでした。錬金術師としての彼の名は、遠く王都でもよく知られているほどでした。「スノーホワイト」の印が入ったひとりでにお湯の沸くポット、またはインクの切れないペンなどは、あなたも目にしたことがあるのでは?

そんな兄を手助けしていたのが、妹のシャーロットでした。

黄金色に輝く髪と青い瞳は、まるで精緻な人形のよう。ですが彼女は、それこそ人形のように黙って静かに座っていることなど決してありませんでした。彼女は、領主としては頼りない兄の代わりに、領主の仕事の肩代わりを買って出ていたのでした。

いえ、むしろ領主としての働きは、彼女のほうがうまくこなしていたと言えるかもしれません。華麗に馬を駆り、領地中を巡っては領民の言葉に耳を傾け、必要とあれば然るべき裁定を執り行う彼女は、領民たちからの敬愛を一身に受けていたのでありました。

そんなしっかり者の妹が心から愛するものは、兄と領地の人々、そして美味しい紅茶と――『ベアトリス』。

兄が東方の旅商人から買い求めた黒髪の人形を一目で気に入った彼女は、その人形を『ベアトリス』と名付け(兄の蔵書の中にあった、女騎士の名前だそうです)、心から大切に扱っていたのでした。『ベアトリス』がいないと、夜も眠れないほどだったのです。15歳にもなってまだ人形と一緒かい、といくら兄にからかわれても、彼女は『ベアトリス』を手放さなかったものでした。

◇ ◇ ◇ ◇

二人の運命が大きく動き始めたのは、シャーロットの16歳の誕生日。春の花咲く庭園で、彼女が血を吐き倒れ伏したときからでした。

兄は驚き、すぐさま医者に診せました。ところが、領地でも腕利きの評判高かったその医者は、シャーロットの病状に首をひねるばかりでした。というのも、下がる気配を見せない熱や、全身を苛む激しい痛みなどの症状が、何を原因として引き起こされているのか全くわからなかったからなのです。

何人もの医者に診せ、またウイリアム自身も原因を追求しようと試みましたが、成果は上がらず――シャーロットは日に日に、目に見えて衰えていったのでした。

ウイリアム以外の誰もが匙を投げかけられ原因を突き止めたのは、領地の外れに住むティパという名の老婆――「魔女の婆さん」と呼ばれていた魔術師でした。

老婆は突如お屋敷を訪れ、驚くウイリアムに告げました。シャーロットの嬢ちゃんは、【魔力の坩堝】になっている、と。

【魔力の坩堝】。ウイリアムは記憶からその名を引っ張り出し――顔を青ざめさせました。【魔力の坩堝】とは、この世界に遍く存在する神秘の力――魔力が、大量に収束する場を言う言葉です。たとえば大樹や清泉、遺跡や古戦場跡、はたまた神殿や祭壇などが【坩堝】と化すのはよくあることでした。しかし、人の身が【坩堝】とは! もしかしたら、この世界が世に産み落とされて以来、初めての出来事であったかもしれません。

老婆は言葉を続けます。嬢ちゃんに集まっている魔力、途方も無い量じゃ。とてもとても、一人の人間が抱え込める量ではないよ……。

ウイリアムは恐る恐る尋ねます。抱え込めなければ、どうなるのですか。

魔術師は何も答えず目を伏せると、ただ静かに首を左右に振りました。

ウイリアムは、からからに乾いた喉から声を絞り出して尋ねました。では、ではどうすれば、どうすればいいんですか、と。

魔術師は厳しい声色で答えました。魔術師に任せるべき、だろうね。だがこの婆めにも、正直手の施しようのない事態さね……そうだね、実に不本意だけど、王都の魔術師どもに依頼するしかないかもしれん。実はこの婆は、まだ婆でない頃に王都で小さな工房を営んでいたことがあってね。王都の連中には多少の伝手(つて)があるのさ……正直、奴らを頼りたくはないんだが……。

ウイリアムはティパにすがりつきました。婆様、なにとぞ、何卒宜しくお願いしますと、涙ながらに何度も繰り返しました。

老婆はウイリアムの頭を不器用に撫でると、優しい声色で告げました。他ならぬシャーロット嬢ちゃんのためだ。なんとかしてみようじゃないか。

ぐしゃぐしゃの顔で何度もうなずくウイリアムに、ティパはそっと告げます。

だがね、気をつけるんだよ領主様。王都の魔術師どもには、決して心を許してはならないよ。奴らは、人にして人にあらず。文字どおりの「魔術の使徒」そのものなのさ。比類なき知識と技術を有しちゃいるが、魔術に関してならばそれこそ「何でもやる」連中でね……婆がやつらと袂《たもと》を分かったのもそのあたりが理由だ……。
 だから気をつけるんだよ領主様。奴らに心を許しすぎないようにね。

◇ ◇ ◇ ◇

それから3日。お屋敷の前に、黒尽くめの怪しげな馬車が停まりました。訝しむ使用人たちに対して、馬車から降りてきた黒尽くめの男は陰鬱な声で告げました。ティパ殿よりのご要請に応じて、王都よりまかりこしました。シャーロット殿は何処におわす?

しばらくして、薄い幕で隠されながら、数人の使用人たちの手によってシャーロットが運び出されてきました。その姿は、かつての彼女を知る者が見れば、等しく心を痛めるものでありました。そこにあったのは、かろうじて人の姿を保っているだけの「脱け殻」でした。何もかもが汚く、色あせて見えていました。

日の光浴びて輝いていた金の髪は、醜く萎びた枯れ草のように。
隠せぬ聡明さを映し出していた青い瞳は、昏く虚ろな夜闇のように。
人を癒やす微笑みを浮かべていた赤い唇は、風に乾いた骸のように。

黒尽くめの男はそんなシャーロットを一瞥し、ですが特に何も言うこともなく、彼女を馬車に積み込むように指示しました。

『ベアトリス』を抱きしめたまま馬車に乗せられるシャーロットを見ながら、ウイリアムは男に言いました。どうか妹を、シャーロットを助けてやってくれ、と。

男はそこで初めて笑みを浮かべると――ウイリアムには、何故かその笑みがひどく穢らわしいものに見えました――やはり陰鬱な声で答えました。

つつがなく執り行いますゆえ、万事我らにお任せあれ、と。

男は笑みを打ち消すと、馬車に滑り込むように乗り込みました。男が馬車の中に消え、やはり黒尽くめの格好をした御者が手綱を一振りすると、馬車は音もなく走り始めました。

呆然とその姿をみやっていたウイリアムは、馬車が視界から消えた途端、屋敷の中に駆け込みました。脇目も振らず書庫に入ると、そこから数冊の本を抱え出し、そのまま研究室に引きこもってしまいました。

続く

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ