見出し画像

白磁のアイアンメイデン 第4話〈9〉 #白アメ

<8>   <目次>

朝が巡り 昼が巡り 夜が巡り 巡り巡り また朝へ
この地より乙女が一人去ったとて
天陽が歩みを留めるはずもなく
世はなべて、こともなし

◇ ◇ ◇ ◇

 シャーロットが王都に送られてから、十と二日。
 王城を中心として四分割された王都、その北東部。俗に『灰燐区』と呼ばれるその区域の空を小鳥が一羽、優雅に羽ばたいていました。小鳥は何かを探すようにゆったりと王都の上空を廻っていましたが、やがて目当ての場所めがけて舞い降りていきました。
 小鳥が目指すのは、高くそびえる白亜の塔。その周りを様々な建物が取り囲み、更に周りを高い壁が覆う、そんな場所でした。建物も壁も、塔に負けず劣らぬ白さに輝いていましたが、それは歴史ある『灰燐区』の古々しい様子と比べると、妙な収まりの悪さを感じさせるものでした。
 小鳥は塔の周りをくるくると廻りながら、まるで何かを確かめるかのように、一つ一つの建物に黒い瞳を向けました。
 やがて、小鳥は一つの建物めがけて一直線に降下します。あわや地面に激突、というところで、小鳥の体が不可思議な靄に包まれました――気がつけば小鳥はそこになく、かわりに風変わりな老婆が立っていたのでした。一部始終を近くで見ていた若い女が、目を丸くしながら突っ立っているのに気づくと、老婆は軽く鼻で笑い、その女性に告げました。
 アタシはティパというんだ。あんたらの先生――『たゆたう水のルベット』の古い馴染みさ。さて、アタシはそいつに会いに来たんだが、一体どこにいるね? よければ、ちょっと案内を頼みたいんだがねえ。
 言いつつティパ婆さんは、耳からぶら下げた飾りを指で弾きました。とたんに、ごくごく小さな声が婆さんの耳に届きます。
『こちらウイリアム。感度良好です』
「……『遠視』と『聞き耳』を、こんなちっぽけな耳飾りで再現とはね。領主様、あんたやっぱりすごい人だったんだねえ」
『褒めても何も出ませんよ』
「さてと、それじゃあ蛇共の巣へと乗り込むよ」
『お気をつけて。私も空から見守っておりますので』
「……空から?」

 ここは王都第3魔術研究施設。通称『白蝋館』。
 後に「魔術アカデミー」と呼ばれることになる場所でした。

 ◇ ◇ ◇ ◇

 白蝋館の誇る大書庫に案内されたティパを出迎えたのは、全身を目の覚めるような、それでいて見る者を不安にさせるような、そんな蒼色のローブに身を包んだ若い女性でした。流れる水のような長い髪を、不思議な形に結い上げているのが印象的でした。
 ティパ婆さんは彼女を一目見ると、露骨に顔をしかめました。何だい、そのなりは。アンタ、アタシとそんなに年は変わらなかったはずじゃないか。若作りも大概にしちゃあどうかね。
 そう言われ、女性は――王都第3魔術研究施設長たる『たゆたう水のルベット』は、軽い微笑みをティパ婆さんに向けました。久しぶりに顔を見せて、開口一番それですか。全く、口の悪さは変わりませんね。
 それで? いったい、何の御用ですか?
 ルベットは微笑みを崩さず、ですが何の感情も載せぬ冷たい声で尋ねました。聞く者によっては背筋も凍る口調でしたが、婆さんはと言えば、全く気にする様子を見せずに続けます。
 いやなに、数日前、ここにシャーロットという子が連れてこられただろう。すごくいい子なんだが、まあ可愛そうな目に合っちまった子でね。で、その子とは多少縁があるんで、ちと様子を見に来たのさ。なにせ……。
 ティパ婆さんは、ルベットをぐっと睨みつけました。
 なにせ、この婆はアンタを、アンタたち王都の魔術師共を、床の塵ほども信用していないもんでねえ。いや、確かに魔術師としてはアンタたちに勝るものはいないだろうよ。人間が『魔力の坩堝』になるなんて未曾有の事態、アンタたちでなけりゃあ対処できやしないからね。
 そうですね。ルベットはあっさりとそう言いました。我々でなければ、正しい対処はできなかったでしょうね。
 ふん……だがね。ティパ婆さんはぴしゃりと打ち付けるように言いました。そう、アタシが信用ならないのは、アンタたちの実力じゃあない。アンタたちの性根さ。アンタたち王都の連中は、魔術の深奥を極める、という目的のためなら、妥協すること無く「何でも」やる連中だろう?
 当たり前です。それこそが魔術師の魔術師たる所以ですから。その点に関して妥協することなどありえませんよ。
 ルベットは、ほんの僅か誇らしげな色をにじませた声でそう告げました。ティパ婆さんは内心で舌打ちし、重ねて問いかけます。
 シャーロット嬢ちゃんは無事なのかい。彼女はねえ、それはそれはいい子なんだ。決して、本人のあずかり知らぬクソッタレな理由で苦しむべきじゃあないんだ。ましてや……アンタたちの玩具として、好き放題扱われていい子では絶対にないのさ。さあ、彼女はどこにいるね? そこまで案内してもらいたいんだがねえ。
 ああ、構いませんよ。胸元に揺れるペンダント――真っ赤な宝石があしらわれた、なかなかの逸品に見えました――を指で弄びながら、ルべットはあっさりと言いました。お断りする理由はありません。それに、もしお断りすれば、それこそ力づくで要望を押し通そうというおつもりだったのでしょう? 『荒れ狂う光のティパ』の二つ名の由来を、こんなところで披露されてはたまりませんからね。
 あいかわらず、感情を欠片も感じさせないルべットの物言いに、ティパ婆さんは今度こそはっきりと舌打ちで応えたのでした。

◇ ◇ ◇ ◇

 『白蝋館』の地下深く。魔力で動く昇降機はそれなりの速度で縦穴を降りていきましたが、それでもじれったくなるような時間を掛けて、ようやく底へたどり着きました。そこに広がるのは、目と鼻の先すらわからぬ濃い暗闇でした。
 足元から響く微かな衝撃から到着を悟ると、ティパ婆さんは闇に踏み出すと同時に『暗視』の術を唱えました。術の効果はすぐに現れ、婆さんの視界が昼のように明るく染まっていきます。
 闇の中から浮かび上がってきたのは、巨人族ですら楽に通れそうな造りの通路でした。『暗視』の術を使っているにも関わらず、先が全く見通せない――その事実は婆さんをげんなりとさせました。ああ全く、むだに暗いむだに広いむだに遠い、年寄りに優しくないねえ。
 この先です。少し歩きますよ。そんな婆さんを気にする様子もなく、すたすたと歩き始めたルベットを見て、婆さんは小さなため息をつきました。

 どれほどの距離を歩いたのか。いい加減にしろと大声で愚痴りそうになったティパ婆さんは、前から歩いてくる人の気配に気づいて言葉を飲み込みました。
 おや、どうしたのですか。ルベットが気配に声をかけると、それは――赤い一輪の花を濃緑色の髪にあしらったその少女は、おどおどしながら口を開きました。
 あ、あの、ルベットさんが来るのが遅いからって、レブロさんが様子を見て来いって、それで。
 そう、ごめんなさいねグリンさん。客人をご案内していたので、少し時間がかかってしまいました――ああ、この子はグリンさん。結界術の扱いに関しては右に出るものの無い魔術師で、私の『同志』です。
 グリンさん、この人はティパさんといって、私の同僚だった魔術師です。『荒れ狂う光のティパ』の二つ名、聞いたことがあるのではありませんか?
 ティパ婆さんは鼻で軽く笑い、グリンと呼ばれた少女をじろりと睨みつけました。少女は軽く悲鳴を上げそうになったのか、慌てて両手で口を抑えました。
 お仲間の紹介も結構だけどね、まだ嬢ちゃんのところにはつかないのかい? いい加減にしてくれないと、建物に大穴開けて近道こしらえたくなってくるよ。ティパ婆さんがあからさまに苛々した声色でそう言いましたが、ルベットはやはり気にする様子もなく、もうすぐそこですよ、と淡々と告げるだけでした。

 その言葉どおり、それほど歩かぬうちに、一行はこれまた人の背丈の数倍もある大扉の前に立っていました。
 婆さんは扉を一目見るなり、短い唸り声を漏らしてしまいました。扉には、緻密にして複雑極まりない、多層結界が張られていたからです。
 こいつは驚いた……正直、アタシには何がどうなっているのやら、さっぱりわからん程の複雑さだ。グリン、て言ったかい? アンタだろう、これを組み上げたのは。いやはや、とんでもない魔術師だねえ。
 あ……ありがとうございます! あ、あの、これはですね、十八種の正格結界式と、五種の変格連結式を組み合わせて、さらに――

 グリンさん。

 ルベットの声が、今までにない冷たさで響きました。グリンはその一言で、凍ったように固まってしまいました。
 グリンさん。皆が待っています。はやく扉を開けてくれませんか。
 グリンは、ぎこちない動きで自らの術を解呪しはじめました。祝祭の花火のような光とともに、複雑な術式が解けていきます。
 やがて術式が消え失せると、大扉が少しずつ開き始めました――。



「「「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」」」

 中から飛び出してきたのは、音の奔流だった。
 音。音。音。捻じくれた叫び。錆びた金属。歪む悲鳴。果実の腐り落ちる音。怒号。羽音。豪雨。破砕。音。音。音。それらを混ぜ合わせ、無造作にぶちまけたような、そんな、音――いや、声。
 声? 
 ティパは心に浮かび上がったその言葉に驚いた。なぜ、アタシはこれを声だと思った……?
 そんなの決まっているだろう。どう見たって「あれ」が出している声じゃあないか。

 ティパの目の前には、大扉にふさわしい広大な空間が広がっていた。手前側にはぽつんと置かれた長机。術式や計算式がびっしりと書き込まれた紙の束や、液体、固体、様々な色の薬品が詰められた瓶が無造作に置かれていた。机の周りには、様々な大きさの円筒状の物体が設置されていた。物体は半透明の硝子状の物体でできており、ほのかに輝く液体で満たされていた。液体の中には、かすかに動く何かが浮かんでいた。
 そして奥側の床には、巨大な四角い穴。
 穴には、醜く蠢く肉の塊がみっちりと詰め込まれていた。
 肉塊はおぞましい色の液体を体中から染み出させながら、絶えずその形を波打つように変化させていた。時おり触手状の物を伸ばしては、穴の縁に張られているのであろう結界に焼かれ、そのたびに聞くに堪えない悲鳴を上げていた。
 肉塊の表面に眼球状の組織が産まれ、すぐに汚らしい液体を撒き散らしながら弾けた。眼球だけにとどまらず、無数の手や、耳や、鼻や、乳房や、臓器が浮かび上がり、そのたびに弾けて消えた。そうやって浮かび上がる大小様々な口が、「口々に」耳障りな叫び声を上げているのであった。
 立ちすくむティパを尻目に、ルベットは先程までと変わらぬ足取りで部屋に歩みいると、『静音の場』の術を唱えた。途端に音がやみ、部屋は静寂に包まれる。
 ルベットはため息をつくと、長机の側に立つ二人の人影に向かって話しかけた。
「なぜ、『静音』を解いていたのですか」
 二人のうちの一人――ところどころ赤く染まった白衣をまとった女性が、にこやかな笑顔を見せた。
「ごっめーん! いやね、これからいよいよジッケンカイシってときに、あんまり静かだと、こう、気分が盛り上がらなくってさあ……ほら、『やるぞ!』ってときには、派手な音楽の一つも必要ってもんじゃない? だから、つい、ね?」
 ボサボサの金髪を振り乱しつつ、派手な動きで話し終えた女は、ずり落ちた眼鏡を指で押し上げた。それを見たルベットは、再びため息をつく。
「つい、ではありませんよ。あれではうるさすぎて会話もままならない……レブロさん、あなたが居ながら、なぜ彼女に好き勝手な真似を許しているのです」
「……」
「レブロさん」
「……ん?」
 燃えるような赤髪を短く刈り揃え、いかにも戦士然とした格好に身を包んだもう一人の女は、そこで初めて自分が呼びかけられていることに気づいたらしかった。両の耳を弄ると、そこからコルク状の物体を取り出しつつ、ばつの悪い顔をルベットに向けた。
「すまん。だがイェリンが、私に何か言われて止まるとは思えなかったんでね。彼女を止めるなら暴力しかないが、まさかここで殺し合いをするわけにもいくまい?」
「当たり前です」
「おや? おやおや? そこのお婆さん、一体どちら様かな?」
「ああ……彼女は私の古い知り合いです」
 ルベットは後ろを振り向くと、顔を青くしたまま立ちすくむティパに話しかけた。
「ティパさん、ご紹介しますね。イェリンさんとレブロさん。彼女たちも、私の考えに賛同していただいた『同志』なのです」
「……お前ら、どういうつもりだい」
「何のことです」
「とぼけんじゃあないよ!」
 ティパは目を見開き叫んだ。彼女の体を、青白い光が包み込み始める。
「アタシが知りたいのは、アンタたちの汚いオモチャじゃ無く、シャーロット嬢ちゃんがどうなったかなんだよ! それとも何かい? まさかあのでかい肉塊が、嬢ちゃんだとでも言うつもりかい!?」
「ええ、そうですが」

「何だって……?」
「あ、お婆さんあの子の知り合い? いやーごめんなさい! 『坩堝』になっちゃった人間なんて珍しくてさあ、いろいろと弄っ……調べてたら止まらなくなっちゃってね? こう、実験に邪魔な部分を取り除いてみたり、逆に色々と足してみたりしちゃったら、結局あんな感じになっちゃったってわけなのよ。でも彼女すごいよねえ、あんな姿になっても、自分の形を取り戻そうとして必死でもがいてるの。あそこまで行っちゃったら絶対元になんか戻んないのにね? よっぽど自我が強いのか……うーん興味深い、これぞ人体の神秘!」

「何て……何てことを……」
「勘違いなさっていらっしゃるようですが」
 ルベットが、やはり変わらぬ口調で告げた。
「彼女……シャーロットさん、でしたか。彼女はここに運び込まれた時点で、もはや手の施しようがない状態でした。人の体は、あれ程の量の魔力を受け止められるほど強靭にはできていませんから」
「……」
「あのままでは、ただ迫りくる死を待つのみでした。いいですか、彼女はあの姿になったからこそ、今もああして生きながらえているのです。我々は間違いなく、『正しい』処置を施したのです」
「……だからと言って! あれが生きていると言えるってのかい!?」

「もちろん生きていますよ。死なれては困ります。魔力を集める力が消えてしまっては意味がありませんから」
「……どういう意味だい?」

 ルベットはすぐには答えず、胸元のペンダントを指で少し弄ると、イェリンに目で合図を送った。
「あれ? 部外者に見せちゃっていいの? それとも新しいお仲間候補なのかな、そのお婆さん」
「……そうですね。ティパさんは老いたとはいえ、超一流の魔女。資格は十分、私が保証します。ですから、我々が何をしようとしているのか、見てもらった上で彼女自身に判断してもらおうと思います」
「何の話だい! 勝手に話を進めてるんじゃないよ!」

「イェリンさん」
「あいよー」
 イェリンは浮かれた足取りで、ずらりと並ぶ半透明の円筒、その一つの前に立った。円筒に付属する装置を弄くり始める。すると、円筒の中に満ちる液体がにわかに泡立ち始めた。
 激しく撹拌されたように泡立つ液体の中で、何かが――こぶし大の肉片が、苦しみもがくかのように身を捩らせる。
 やがて肉片は圧縮されていき、最後には小さな宝石状の塊へと形を変えていた。
「やったやった。やっぱり、これくらいの大きさなら成功率高いねえ」
「そのようですね」
「大きくなればなるほど、圧縮がうまくいかなくなる……組織を生かしたまま結晶化するのが難しくなる……正直あと一歩、ほんのちょっとの切っ掛けでなんとかなりそうな気はするんだよね―。うーん……まあいっか! 実験に焦りは禁物だし、幸いなことに『材料』は無限にあるわけだしね!」
「期待しますよ」
「まーかせてー!」

「あんたら……一体何を……」
「これを、御覧ください」
 そう言うと、ルベットは掛けていたペンダントを外して手に取り、ティパの目の前に掲げてみせた。子供のこぶしほどの大きさの赤い石が、ぼんやりと妖しい光を放つ。
「それは、まさか」
「ええ、そのとおりです。これは彼女の――シャーロットさんの一部から作り上げた、生きた結晶体……我々はこれを『奇跡の石』と呼んでいます」
 ルベットは驚愕に見開かれたティパの目を見据えながら、言葉を続ける。
「残念なことに、この大きさの結晶化に成功したのはただの一度きりですが……しかしこれならば、私の肉体の時を50年ほど巻き戻し、固定するのに十分な魔力を集め得るのです」
 ティパは一瞬、ルベットの言葉を「デタラメだ」と捉えた。人の肉体を不老不朽にする魔術は、理論上は可能とされていた。だが実際は、必要とされる魔力量が途方もなさすぎて(国一つを焼き尽くせるほどの量だと言われていた)、実現不可能だというのが魔術師の間の共通理解だったのだ。
 デタラメだ、出来るわけがない――だが、今ティパの目の前にいるのはその不可能を可能にした、生きた実例なのだ。
「この程度の大きさで、たやすく限界を覆せるのです。であれば、もっと大きな結晶が作れれば……一体、どうなると思います? 今はまだ、失敗の連続ですが……イェリンさんは天才です。必ずや成し遂げてくれるでしょう。その暁には」
 ルベットは夢見るような顔つきになった。
「その魔力を使って、一体何が出来るのか、一体どこまで出来るのか……。そうですね、不自由極まりない人の肉を捨て、遥か高みに……そう、たとえば我が身を、神話に謡われるような超越的存在と化す、そんなことなども叶うのではないでしょうか? いや、それだけには留まりませんよ!」
 ルべットの口調が、徐々に熱を帯びてくる。
「例えば、例えばですね! 我々の手で、『神』を! 『歴史』を! 『世界』を! 創造することすら可能になるかもしれません! それほどの可能性が、『奇跡の石』には秘められているのです! 魔術にどこまで出来るのか! その高みはどこまでなのか! 魔術師ならば誰でも夢見るその場所に、辿り着けるかもしれないのです!」
 一気に言い終わると、ルベットは急に冷めた顔つきに戻った。
「これは正直に言いますが、あなたが王都を去ってから後、私の研究は行き詰まっていました――『魔術の深奥』を極めるには、人の身に許された時間はあまりにも短い。そして人が身に宿す魔力程度では、『深奥』になど決して至れない……何度絶望に身を捩ったことか。ですが、そこにやってきたのが彼女でした。私にはこの出来事、なにかの意思が私の背を押したのだとしか考えられませんでした。『ルベットよ、決して躊躇うな。汝の為すべきことを為すが良い』……と。ええ、実際彼女のおかげで、研究は飛躍的な進歩を遂げたのですから」
「……」
「ティパさん。あなたが今日ここにいらっしゃたのは偶然でしょうが、もしかしたら必然だったのかもしれません。昔、あなたが王都を去ってしまったとき、私の心には途方も無い空白が産まれたものでした……私に匹敵する力を持つ魔術師は、結局後にも先にもあなただけでしたから」
 ルベットは手にしていたペンダントを首にかけ直すと、微笑みを浮かべながら問いかけた。
「あなたには我々と――私と歩む資格がある。いかがです? 共に遥かな高みを目指してはみませんか?」

「……なるほど、確かに面白そうな話だねえ」
 そう答えるティパの目に映るルベットの顔が、ほんの少しだけ歪んでいく。老婆の声色に、確かな侮蔑の色を感じ取ったからであった。
「だけどね、『たゆたう水のルベット』。あんたは忘れちまったのかい? このあたしは、そういうのが、あんたを含めた魔術師どものそういうところにつくづく嫌気が差しちまったから、王都を離れたんだってことを」
「……ティパさん」
「『奇跡の石』? はん、ご大層なことで。人様からむしり取った奇跡で成し遂げる偉業は、さぞかし心躍るものなんだろうねえ」
「ティパさん!」
「黙りな、あばずれ!」
 ティパの体から、青白い光がほとばしる。万象を灰塵と化す、破壊の力が渦を巻く。
「歴史を、神様を創るだって? 女の子一人救えない三流魔術師共が、雁首揃えて大口を叩くもんだね! 全く片腹痛いってもんさ!」
「何を……するつもりですか」
「そんなもん、決まってるだろう……嬢ちゃんがもう元に戻らないってんだったら」
 ティパは、肉塊に向かって手をかざす。光が集う。
「せめて、一思いに……!」

『やめてください、婆様!』

 若い男の声が響いた。それと共に、部屋全体が微かに振動を始める。
「わー! 何? 何なの?」
「上か!」
 レブロが大きく腕を振るう。そこから放たれた大火球が、遥か高み、部屋の天井の一点に着弾する。閃光。爆散。

 天井ごとその炎を貫いて、異形が降ってきた。

続く

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ