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白磁のアイアンメイデン 第4話〈10〉 #白アメ

<9>   <目次> 

 異形は、人の姿を模していた。

 だが背丈は、人を遥かに超えていた。異形は右手に持つ円錐螺旋状の刃物を高速回転させながら、一直線に降下してくる。どうやらその武器で地面を掘りながらここまでたどり着いたものらしかった。全身を覆う重装甲が、わずかな明かりを照り返し輝く。
 異形は片膝を立てて着地すると、ティパを庇うように魔術師たちの前に立ち塞がった。
『婆様、やめてください。妹は、妹は……あれでも、まだ、私の愛する妹なのです!』
「領主様……なのかい? こりゃ驚いた。なんだいその格好は」
「こ、こんな事もあろうかと、密かに開発していたのです。これぞ対脅威強化外骨格装甲――『メイルストローム』!」
 ウイリアムは高らかにそう告げ、円錐螺旋刃を魔術師たちに向けた。両者の間に僅かな緊張が走る。
「……気持ちは分かるがね、領主様。あれはもう、あんたの妹どころか人間ですらない、肉の塊さ。意思があるかどうかすら定かじゃない……」
『……』
「たとえば、この場から連れ戻したとして、それでどうするんだい?」
「させませんよ」
「黙りなって言ってんだろう!」

『何か……』
「ん?」
『何かできる……と、思うんです。それが何なのか、まだ分かりませんが……でも、何かが』
「何かって、あんた」
『……いえ、できるできないじゃない。必ず、必ず妹を救います。私が救ってみせます――婆様、ご存知でしたか? 実は私、こう見えて百年に一人の天才って呼ばれているんですよ。ええ、そうです。私になら――できる』
 厚い装甲に覆われたウイリアムの表情は、一切見えなかった。だが何故だろうか。ティパにはウイリアムがどんな顔をしているのか、はっきりと理解ったのだった。
 そして人間は、他人がそんな顔をしていたとき、何も言わずその意志を汲むものなのである。
「……仕方ないねえ。分かったよ領主様。腐れ魔女共をぶっ飛ばして、シャーロット嬢ちゃんを救ってやるとしようかね」
「婆様!」

「させませんよ」

 瀑布の如き音と共に突如、蒼い竜が襲いかかった。蒼龍はその顎(あぎと)に『メイルストローム』を捉えると上昇、遥か高み、天井に叩きつける。大空間が揺れ、欠片が舞い散る。
 ティパは動けなかった。瞬速の一撃に反応できなかったということもある。だがそもそも水竜の一撃と同時に、彼女の首から下は鈍く光る金属に覆われ、完全に拘束されていた。
 超高速の錬金術。ティパは、ひらひらと手をふる金髪の女を恨めしげに睨む。
「ティパさん」
 ルベットは掌から数多の水竜を繰り出し、次々と『メイルストローム』に食らいつかせる。強化外骨格装甲が、みるみるうちに歪んだ鉄屑へと成り果てていく。
「いかがですか。高速、無詠唱でこのレベルの魔術を駆使することがどういうことか、貴女ならお分かりのはず。これこそが『奇跡の石』の力なのです」
 ルベットは、ティパの頬にそっと手をやりながら語りかける。
「私は、あなたの才能を高く評価しています。それが潰えてしまうのは本当に惜しい……もう一度だけ問います。我々と共に、魔術の果てを目指しては見ませんか?」
 ティパは答えず、ルベットの顔に唾を吐いた。
 流れ落ちるそれを拭うと、ルベットはイェリンに静かに告げた。
「どうぞ」
「えー、いいの? お友達なんでしょそのお婆さん」
「どうぞ」
「はいよー。ごめんねお婆さん、たぶん、かなり痛いと思うよ?」
「――ぎっ!?」
 針。全身を覆う金属の内側から突き出された無数のそれが、音もなくティパをめった刺しにした。金属に覆われぬ首元の隙間から、赤黒い血が滲み出してきた。
 途切れそうになる意識を、なんとか繋ぎ止めようとする。だが二度目、三度目の針が無慈悲にティパを苛(さいな)んだ。四度目の針で、彼女は死を覚悟した。

 覚悟したのであれば、やることは一つ。

 ティパの横に、無残な姿の『メイルストローム』が落ちてきた。ルベットの意識が一瞬そちらに向く。今だ。ティパは静かに素早く、術を行使した。
(領主様。生きてるかい。アタシの声が届いているかい。届いてるなら指で床を二度叩くんだ。奴等に気取られぬようにね)
 反応は即座。鋼の骸の指先が、ほんの僅か、二度動く。
(アンタが着ている鎧を直接震わせて声を届けてるから、奴等には聞こえない……あのね領主様。今からアンタを……いや、アンタたちをここから逃すための、取っておきの術を行使する)
 ルベットがティパの唇に手をやり、飛び散る血を拭いとる。惜しむような手つきで。
(二度とはできない大魔術だ。しくじったら、もう後はない。だから今から言うことをよく聞いてほしいのさ……いいかい、アタシが合図したら……)
「残念ですティパさん。下らない意地を張らなければ、こうはならなかったでしょうに」
「もう死んだかな?」
「でしょうね。イェリンさん、拘束を解いても構い」

「掻っ攫え!」

 骸同然だった強化外骨格が、弾かれるように跳び上がった。軋む金属の耳障りな音が、盛大に響き渡る。ウイリアムは距離を取るように長机の方へ跳ぶと、そのままティパとルベットに向かって突進してきた。
「な」
「危ない!」
 離れたところにいたグリンが、咄嗟に防御術式を展開した。張り巡らされた光の壁は、大質量の突撃を揺らぐことなく受け止める。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……正直、驚きました。グリンさん、ありがとうございます」
 無表情で礼を言うと、ルベットはウイリアムに向き合った。
「追い詰められた小鼠は、狩人たる猫にも牙を剥くとは言いますが。破れかぶれで奇跡が起きるのは、陳腐な英雄譚だけの……」
 言いながらルベットは、ウイリアムの手元を見た。そこに抱えられた、小さな円筒を見た。中に浮かぶ肉片と、「目」が合った。
 その瞬間、ティパの全身が弾け飛んだ。
 肉と血が、まるで意思あるかのように宙を舞い、紋様を描く――転移魔法の発動式を。
 ルベットの表情が、醜く歪む。
 発動。目も眩むほどの光が、部屋中に弾けた。

 輝きが収まったときには、ウイリアム達は忽然とその姿を消していた。

「転移魔法か。大魔術だな。しかも、自らの命を代償としての発動とは。あんたの言うとおり、たいそうな魔術師だったようだ」
「ええ、本当に――それはそうとレブロさん」
「ああ、分かってるよ」
 レブロが腕を一振るいする。その軌跡に産まれた焔が、何かを象(かたど)るかのように形を変えていく。
 現れたのは、捩じくれた赤黒い棒の先に、不死鳥の燃える羽をあしらった魔道具(アーティファクト)――「魔女の火箒(ひぼうき)」。
「逃しはしないさ」

◇ ◇ ◇ ◇

 目を覚ましたウイリアムは、自分がすり鉢状にえぐれた穴の中心に横たわっていることに気付いた。体中が痛む。頭の方も、霧がかかったようにはっきりしない。
 煙を吐く強化外骨格を解除し、脱ぎ捨てる。きしむ体で起き上がり、辺りを見回してみた。見覚えのある景色だ。ここはどうやら領地の外れ、他領へと通じる街道沿いの空き地のようだ。ああそうだ、ここいらにはよく連れてこられたものだった。あいつめ、私は乗馬が苦手だということを知っているくせに。視察の名目で嫌がる私を無理やり――。

 そうだ……シャーロット!? 
 シャーロットがいない! 無くなっている!

 慌てふためいて穴から這い出す。自らの頬を両手で打って、意識を覚醒させる。その音が赤茶けた空に溶けていった。もう夕刻か。
 妹は、私の妹は一体何処へ行った? もしや、転移の衝撃で吹き飛ばされてしまったのか。いや、それならばまだいい。探せば良いだけの話だ。もしや、もしや私だけが転移されて、妹はあの悪魔どもの巣に取り残されたのではないだろうか。いや、そんなことはない。婆様が命を懸けて成し遂げた大魔術。失敗することなどあろうものか。いや、しかし――。
 混乱する頭で必死に考えを巡らせながら、ウイリアムは辺りを探し回った。無い、無い、無い! どこだ、一体何処に――!
 ふと、目をやった先の木々が薙ぎ倒されているのに気づく。転がるように駆け出す。ウイリアムはおそらく生まれて初めて、意思通りに動こうとしない己の手足を呪った。
 
 たどり着いた先でウイリアムが見たものは、夕陽を受けて鈍く輝く円筒と、そこに満たされた溶液の中で単眼を閉じ揺蕩(たゆた)う肉塊であった。
 夢見るように微睡む姿を目にしたウイリアムは、深く息を吐くと、危なっかしい手付きで容器を抱え上げ、囁いた。
「帰ろうシャーロット。我が家へ。皆の元へ」

 
◇ ◇ ◇ ◇

 降り出した雨が雷雨に変わるのに、そう時間はかからなかった。重い容器を抱えながら家路を急ぐウイリアムにも、滝のような雨が容赦なく降り注ぐ。
 だが、足を止めるわけにはいかない。一刻も早く我が家に帰ろう。帰ったら忙しくなるだろうな。すぐにでも研究室に篭りたいが、領地のこともある。そうだな、いとこのリチャードに来てもらうか。彼ほどの男なら、領主代理として上手くやってくれるだろう。研究は何処から取り組むべきか。彼女を元に戻すことは本当に不可能なのか。いや待て、それよりも婆様を弔うのが先ではないか。返せない程の大恩を受けてしまったことだしな――。

 思考を高速で巡らせていたウイリアムは、己の上空、遙か高みを翔ける影には気づかなかった。

「旦那様が、旦那様がお戻りだ!」
「湯を沸かすんだ、それから替えのお召し物を、早く!」
「酷い怪我……! おい! ベル先生のところに人をやって、急いで来てもらってくれ!」
 屋敷に辿り着いたウイリアム達を、使用人たちが慌ただしく出迎える。そんな中、壮年の執事が静かな口調で語りかけてきた。
「旦那様」
「ああ、アルフレッド。心配かけてすまなかったね」
「いえ、ご無事で戻られて何よりでした……それで、お嬢様はいかがでしたか。一緒にお戻りではないのですか」
 その質問に、邸内の空気が一瞬凍りついた。傷だらけで単身戻ってきた主人の姿を見て、何も察しなかった者はいなかった。慌ただしさを言い訳に、誰もが最悪の想像を頭から追い出そうとしていたのだ。
 ウイリアムは何も答えず、静かに首を振るのみであった。
 怒号やすすり泣く声が至る所から聞こえ始めた。ああ、妹は、シャーロットはこうも愛されていたのだな。ウイリアムは小さく笑うと、円筒を抱える両腕に力を込めた。必ず、必ずなんとかしてみせるからな。大丈夫だよ、きっとうまくいく。なにせお前の兄はこう見えて、百年に一人の天才だからね。そりゃあ色々と問題はあるけれど、まあ考えても仕方ないことは考えないようにするよ。まずはできることから、少しずつ積み上げていくさ。
 ウイリアムはぶつぶつと呟きながら、第三実験室、兼、第二書庫である地下施設へ足を運んだ。やれやれ、地下から地下へ、か。嫌になるね。

 そうこうしているうちに、夜が明けた。

 ――誰しもがそう思った。だが誰しもが違和感を覚えた。おかしい、日が落ちたのはつい先刻のことじゃないか。夜が明けるにはいくらなんでも早すぎる。
 領民たちは外に出て、空を仰ぎ見た。空の高みで輝く太陽を見た。そして自分の目を疑った。スノーホワイト邸の直上で輝く太陽。我らに恵みをもたらす、慈愛の光。それがいったい何故、12個もあるのか!
 太陽の作る輪、光と熱の中心。レブロは「箒」の上に立ち、腕を組み静かに目を閉じていた。命ある者ならば瞬時に焼滅するであろうその中空で、しかし彼女は何一つ意に介さぬ風であった。
 やがてレブロは組んでいた腕を解くと、右手をゆっくりと上げ、ゆっくりと下ろした。右手の中指に嵌められた赤い指輪が、妖しく光った。それと同時に、12個の太陽のうちの一つが、スノーホワイト邸目がけて落下していった。
 地上に落ちた太陽は、スノーホワイト邸とその周囲のことごとくを、そこにいた者たちもろとも吹き飛ばし、焼き尽くした。文字通り、塵一つ残さず。
 レブロは残りの太陽を、スノーホワイト領に満遍なく叩き込んだ。森は焼け、地は裂け、湖は乾き、山は割れ、そして生きとし生けるものは、皆死んだ。死に尽くした。
 否、皆ではなかった。
 事を終えたレブロが飛び去って後、今度こそ本当に朝を迎えたとき、爆心地に重苦しい音が響いた。激しい衝撃でひどく歪んだ鉄扉を苦労して開けると、ウイリアムは恐る恐る地下から顔を出し――周囲の惨状を見て、全てを悟った。

「――何もかも、なくしてしまったよ」
 地下実験室に戻ったウイリアムは、暗い室内に安置された円筒容器、その中で微睡むシャーロットに語りかけた。
「残ったのはこの薄暗い地下室と、第二書庫の黴臭い本がわずかと、そして――お前だけだ、シャーロット」
 ウイリアムは、円筒の表面をゆっくりと愛おしそうになでた。
「お前だけだ。お前だけなんだ。だから私は私の全てを掛けて、お前を元の”人間”に戻してみせるよ。だから頼む、どうかお願いだ。そのときが来たら、また私の前で微笑んでほしいんだ。あの、私の大好きだった、柔らかい日差しのような微笑みで。お願いだシャーロット……どうか頼む……お願いだ……頼むよ……」

 「頼む」と「お願いだ」を繰り返しながら、ウイリアムはその場にずるずる崩れ落ちた。
 しばらくそうしたのち、ウイリアムは勢いよく立ち上がると、第二書庫に赴いた。抱えきれないほどの書物を実験室に持ち込み、それらを紐解き始めた。目は鼠のように頁(ページ)を駆け、口からは途切れぬ呟きと共に小さな泡が漏れ続けていた。
 このとき、彼は半ば狂いかけていた。だが皮肉なことに、この狂気こそが、人のように振る舞うオートマタたちを創り出し、世界を渡る大魔術を再現し、白磁の機神を異界より見出し、そして何より、彼の遺作にして最高傑作たる『ベアトリス』を産み出すための原動力――才気という炉を死ぬまで燃やし続けた、決して尽きぬ薪だったのである。

 以上、これが「スノーホワイト家の物語」。そして、かつてスノーホワイト領が存在したラシュ平原が、”忌み野”と呼ばれるようになった顛末である。

第4話 「白磁のアイアンメイデン」 完 第1部終章へ続く

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ