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白磁のアイアンメイデン 第1話〈3〉 #白アメ

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【告知】この作品は、「逆噴射小説大賞」に投稿した同名作品のリライトです。ストーリー自体は変わっていません。それでもよろしければ、どうぞお楽しみくださいませ。初見の方は、どうぞよろしくおねがいします【鈍器】

 それは、巨大な槌(つち)であった。

 全長は人の背丈の倍ほど。鈍色に輝く金属で構成された長柄の持ち手。その片端に、重厚な立方体が、その威力を誇示するように据えられている。表面に施された浅浮彫は、精緻な文様の中心に、得物の無骨さにいささか似つかわしくない双子の女神――”光陰の女神の宗教”のシンボルだ――の横顔を描いていた。

 フローレンスはそれを、まるでホウキのように両手で大事に抱え持ち、小走りでリザードマンの軍団に駆け寄る。

「フローレンス」
 ベアトリスがドラゴニュートから目を離さず声を上げる。
「お掃除、お願いしますわね」

【チチチチ】フローレンスはぺこりと頭を下げると、リザードマンたちに向け、手に持つ槌を無造作に振り回し始めた。

 途端に、死の嵐が巻き起こる。
 先頭のリザードマンの上半身が爆ぜ、赤い飛沫となった。次のリザードマンは左半身を削ぎ落とされた。次のリザードマンは受け止めた盾ごと潰され、血肉と金属の混合物となった。

【チチチチチ】微かな音とともに顔の光点を明滅させながら、フローレンスは「掃除」を遂行する。リザードマンたちの濃緑色の血で、女神の横顔が瞬く間に染まっていく。メイドの姿をした屠殺装置は無心に、着実に、主人の命令を実行し続けていた。

 その凄惨な光景を目にし、ドラゴニュートもさすがに僅かな瞬間、意識を奪われた――その隙を見逃すベアトリスではない。

 次の瞬間、ドラゴニュートがベアトリスに意識を戻したときには、彼女はすでに間合いに踏み込んでいた。大地からベアトリスの足が跳ね上がる。十分に加速の乗った左回し蹴りが、ドラゴニュートの胴を狙う。かろうじてガード――したと思ったその眼前で、ベアトリスの足が奇怪な軌跡を描く。瞬間、ドラゴニュートの右側頭部を衝撃が襲った。変幻自在に変化する蹴り足で相手に打撃を叩き込む、薫風(クン・フー)が技巧の一つ、「燕(つばくろ)」である。

 したたかな打撃が入ったかに見えた。しかしドラゴニュートは、「ぬ」と僅かな声を上げるのみ。ベアトリスの攻撃を意に介さず反撃に移る。空間を切り裂くが如く繰り出される左右の拳。ベアトリスは姿勢を低くしてそれらをくぐり抜けると、更に一歩、至近距離、ドラゴニュートの鼻先まで踏み込む。危険な距離。だがベアトリスは意に介さない。踏み込んだ足に力を込める。踏みしめた大地から足へ、足から腰へ、腰から上体へ、上体から腕へ、腕からドラゴニュートの胴体に添えた両の掌へ、必殺の威力が伝わる。

 双掌打、「獅子吼(ししく)」。死の衝撃がドラゴニュートに叩き込まれる。並の相手ならば耐えられるはずのない一撃。しかしドラゴニュートはこれにも耐え、丸太のような脚で前蹴りを放った。今度はベアトリスがガードする番だ。交差させた両腕で蹴りを受け止める。響く轟音。蹴りの威力を物語る。そのまま両者は程よい距離に離れた。仕切り直しだ。

 一連の攻防をテーブルに座ったまま眺めながら、ヘリヤは驚嘆の念を抱かずにはいられなかった。竜の力を受けたドラゴニュートと、素手で渡り合える人間がいるとは……。

『魔術師殿、紅茶を楽しまれてからで構いませんが』そんなヘリヤに、アルフレッドが紅茶を注ぎつつ声を掛ける。『お嬢様やフローレンスをお手伝いいただくことはできますか』
 のんきすぎないか。

 ヘリヤは気を取り直して答えた。
「できなくはないが、無意味だろうな」
『無意味とは?』アルフレッドが問い直す。

 衝撃音が響く。ベアトリスの蹴りとドラゴニュートの拳がぶつかりあう。そのまま至近距離での攻防へと雪崩れ込む。威力を込めた拳が、致死の蹴りが打ち込まれ、それらを紙一重にて躱(かわ)し、鉄壁の受けにて留める。速度ではベアトリスが上回るか。目にも留まらぬ連撃がドラゴニュートに撃ち込まれる。だが竜人の強靭さ、そして全身を覆う竜の鱗に阻まれるのか、ベアトリスの攻撃が効果を上げているようには見えなかった。
 再び間合いを取る両者。
 ドラゴニュートの口元が、嘲けるように歪む。
 ベアトリスが軽く息を吸い、息を吐く。

「……そもそも私は、いわゆる攻撃魔法というものを使えないし、使おうとも思わない」
『なんと』
 情感のこもらぬ口調でアルフレッドが言う。
『驚きました』

「偏見だな。魔術師といえば火炎、氷雪、電撃、とでも思っているのだろう? だが、魔術とは本来、世界に秘められた真理を解き明かす、高尚な学問、知的営みなのだ。<火焔球(ファイア・ボール)>だの<雷嵐(サンダー・ストーム)>だのは、その副産物に過ぎない。よって私はその必要を認めない」
『なるほど、しかしそれでよく、この”忌み野”で生き延びてこられましたな』

 その言葉を聞いて、ヘリヤは改めて周囲の風景を見回した。乾いた土と岩、そして捻じくれた木々のみが目に入る。命の気配すら感じさせぬ人外魔境、”忌み野”。

「……確かに、厳しい二週間だった。できれば二度と訪れたくない場所だな」

 衝撃音が響く。再度の攻防。ヘリヤの目には、先ほどと何も変わらないようにしか映らない。
 だが、ドラゴニュートは奇妙な感覚を覚える。先程の攻防と、何かが異なる、何が――意識が違和感に染まったほんの一瞬、ドラゴニュートを再び「燕(つばくろ)」が襲う。頭部を狙うがごとく振り上げられた左足は、瞬時のガードを嘲笑うようにその軌道を変え、竜人の左膝に叩き込まれた。

 その膝が、爆ぜた。

 ドラゴニュートが驚愕に目を見開く。否、爆ぜてなどいない。主より賜りし我が竜鱗は、小娘の猪口才な一撃を間違いなく受け止めてみせた。

 爆ぜたのは、「内側」だ。


 竜鱗は確かにその役割を全うしていた。傷一つ、ついてなどいない。しかしそれを貫く衝撃が、竜人の膝の内部に至り、その肉を、骨を、腱を、喰い千切ったのだ。
ドラゴニュートが膝から崩れ落ちる。
ベアトリスが静かに息を吸い、息を吐く。

『そんな場所に、なぜいらしたのです?』
ヘリヤはそれを聞くと自嘲気味に笑い、アルフレッドに顔を向けた。

 衝撃音が響く。二度目の「獅子吼(ししく)」。先刻同様、双掌打が竜人に叩き込まれる。違うのはその後だ。ドラゴニュートの口が苦痛に歪み、その端から血のあぶくが吹き出す。そのまま地面に膝を、続けて両手を着いた。片肺を始め、幾つかの臓器が体内で挽肉と成り果てたのだ。
 ベアトリスは竜人から間合いを取り、残心する。
 静かに息を吸い、息を吐く。

「まあ、色々あるのさ。しがらみ、面子、そういった下らないものがな。個人的にはそんなもの放り捨てて、魔術の研鑽に身を捧げたいものだが、そうも行かないのだ」

 ドラゴニュートの脳内では、混乱と驚愕と屈辱が三拍子のリズムで踊り狂っていた。彼が見上げる対象は唯一つ、偉大なる主君、”忌み野の竜”のみ。
それがこんな、人間の、小娘ごときの足元に、跪(ひざまず)かされている! 跪かされているぞ! 一体、一体何をされたのだ!?

 ベアトリスの体が、柔らかな金色の光をまとい始めた。
静かに息を吸い、息を吐く。
 光は呼吸に合わせて揺らぎつつ、その輝きを増していく。
 静かに息を吸い、息を吐く。
 輝きはさらに増し、ドラゴニュートの苦々しい表情を照らす。
 静かに息を吸い、息を吐く。
 暖かさすら感じる光の中、ドラゴニュートの目に入ったものは、自分を見下ろすベアトリスの静かな嘲笑であった。
 ドラゴニュートの混乱が決意に、驚愕が怒りに、屈辱が殺意に反転した。

 ひときわ激しい衝撃音が響く。慌ててそちらに顔を向けたヘリヤの目に飛び込んできたのは、強烈な竜尾の一撃を喰らい、こちらに吹き飛ばされてきたベアトリスの姿であった。
「だ……大丈夫か!?」
「平気ですわ、魔術師殿。少々油断しましたけれども」
 言いつつ、ベアトリスはドラゴニュートから視線を外さない。視線の先のドラゴニュートは、肩で息をしながら徐々に姿を変えつつあった。

 腕が、脚が、体躯全般が膨張し、力をみなぎらせていく。頭部に双角が生える。みりみりと音を立てて顔の前方に伸びていく口には、獣の如き乱杭歯が二重に並ぶ。人の背丈を三、四倍ほど重ねた巨躯が、圧倒的な存在感を放つ。蠢く尾が、鞭のごとく叩きつけられ大地を揺らす。

 咆哮を一つ。”忌み野”の大気が、詠(うた)うように震える。それはこの地に相応しき姿を取り戻した物への讃歌か。

 竜。ドラゴニュートが、その真の姿を表したのだ。
 ヘリヤは驚愕のあまり、持っていたティーカップを落としてしまった。

「…恐るべき女よ」竜が、歪んだ歯をぎしりと軋ませながら唸る。
「まさか、我が主の御前以外でこの姿をさらすことになろうとは」

 熱い息を吐きだす。竜の口内、軋む歯列の向こう側に、凄まじい熱量が溜まっていく。竜の咆哮、ドラゴン・ブレスの予兆だ。

「なれど、強者には相応の態度を示すべし。敬意を込めた我が咆哮にて、灰も残らぬほどに焼き尽くしてくれよう」
「あら、お褒めいただいているのでしょうか? お言葉、ありがたく頂戴いたしますわ」
 ベアトリスはさほど嬉しそうでもない口調で答えた。

「のんきなことを言っている場合か! ブレスが来るぞ!」
 ヘリヤがたまらず叫ぶ。魔術師の背中を、冷たい汗が流れる。
「ご心配なさらずに、魔術師殿」
 ベアトリスがヘリヤの方を振り向く。勝ち気な笑み。アイス・ブルーの瞳が、眩い黄金(きん)色に染まっていく。
「私に竜殺しが能(あた)うこと、間違いなく証明いたしますわ――アルフレッド!」

『はい、お嬢様』
 アルフレッドがベアトリスに歩み寄リながら答える。
「舞闘会(おでかけ)の支度はよろしくて?」『無論です』「ならば」
 ベアトリスが、アルフレッドに手を差し出す。アルフレッドが、主人の手を恭しく取る。

「エスコートを!」『With Pleasure, My Lady』

 アルフレッドの服が、ベアトリスの眼前で閃光(ひかり)と共に弾け飛ぶ。中に潜んでいたのは、それまでの紳士的な装いからは想像もつかぬ、無骨極まるシルエット。鈍色の金属で構成された全身鎧(フルプレート・アーマー)。その全身を、黄金色のラインが奔っていく。

 アルフレッドの腕が、足が、胴体が、腰部が、頭部が、空気を裂いてバラバラに弾け飛んだ。

 彼の主人の周りを護るように旋回するアルフレッドの腕、足、胴、そして頭。天文学者であれば、そこに星々の営みを見るか。

 主星たるベアトリスは、迎え入れるように両手を広げる。四分の三拍子、ワルツのリズムで体を回転させる。

 そのしなやかな腕に、アルフレッドの腕が装われる。力が満ちる。
 その艶めく足に、アルフレッドの足が装われる。覇気が満ちる。
 その胸に、腰に、全身にアルフレッドが装われていく。
 彼女の体の線に合わせ、タイトに締め上げる。ベアトリスから、微かな吐息が溢れる。

 眼前で繰り広げられている、崇高な儀式めいたなにか。見つめるヘリヤの心には何時の間にか、崇敬に近い感情が生まれていた。

 アルフレッドの頭部が主人のもとへ飛ぶ。その表情なき顔が、左右に分かれて開いた。ベアトリスは両手でそれを柔らかく受け止めると、何かに捧げる祈りのように天高く掲げ、自らの頭にまとった。

『全魔導回路を、内功増幅回路に切り替えます』アルフレッドの頭――今は、主人を守る頭部装甲だ――が、ベアトリスの耳元で声を響かせる。
『各部接続状態、全て良好。お嬢様、着心地はいかがでしょうか』
 ベアトリスは、黄金色の瞳を煌めかせながら答える。
「パーフェクトよ、アルフレッド」『恐悦至極。ならば』「ええ」

 ベアトリスは、両の拳を胸の前で打ち付けた。響く轟音。同時に、彼女の顔、下半分がスライドしてきた装甲で覆われる。
「後は我らが敵を打ち滅ぼすのみ、ですわ」

 ベアトリスが構えを取る。半身を引き、両足を前後に開くと、軽く腰を落とす。左腕を敵に――竜に向け、まっすぐに伸ばす。右腕を、強弓を引き絞るがごとく、後ろに引く。
 息を吸い、息を吐く。
 息を吸い、息を吐く。
 彼女の呼吸に合わせ、彼女のまとう装甲が、全身が、脈動するかのように金色の光を放つ。威力が、蓄積されていく。

 誰知ろう、それは内功の輝き。<遥けき東(ファー・イースト)>に神代の昔より伝わる、神秘の光。内息を全身に巡らすことで増幅せしめ、その威を持って天地(あめつち)を動かし、悪鬼羅刹を討つ、或いは悪鬼羅刹と成るための力。山を砕き、海を割り、空を裂くことすら能う、至天の技術。
 ――故に、装甲越しに勁を撃ち込み、その内部から破壊せしめるなど、内功の使い手にとっては児戯である。

 魔術とは明らかに違う圧倒的な力の現れ、その神々しき光。ヘリヤの抱く崇敬の念が、確固たるものに変わっていく。ブレスの恐怖すら忘れさせるほどに。

 反して竜は、微かに瞳を揺らがせるのみ。あの威容、如何ほどの威力を秘めるのか。なれど、もう遅い。こちらとて、必滅の閃光、敵を塵一つ残さず消滅させるには十分!

 光が、奔った。暴力的な熱量を伴い、ベアトリスに襲いかかるドラゴン・ブレス。光の洪水が、一帯を白く染め上げる。

 勝利を確信した竜はそのとき、

 届くはずの無い冷笑を、確かに耳にした。

 ベアトリスが、両の足を踏みしめる。全身にまとう装甲が、ブレスに劣らぬ光を放つ。踏みしめた足を捻り込む。捻りは黄金色の光を伴い、腰部に伝わり、肩に伝わり、前腕に伝わり、拳に伝わっていく。

 これぞ<遥けき東(ファー・イースト)>より伝わりし薫風(クン・フー)が極意。踏み締めし大地より伝わる威力は内功を得て一迅の光る風となり、風は巻き、旋(つむじ)となり、嵐となり、颶風と成る。
 暴虐の風が、ベアトリスの拳から放たれた。
 これぞ、薫風の奥義が一つ、秘拳『獲麟(かくりん)』。

 ――竜が最期に目にしたものは、ブレスを真っ二つに裂きながら飛来する、巨大な黄金の回転拳であった。

続く

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ