【考察】『さよーならまたいつか!』〜女性の地位向上と決別の物語〜
はじめに
皆さんこんにちは、TAiRA(たいら)です。
2024年4月8日、米津玄師さんの新曲『さよーならまたいつか!』が配信リリースされましたね。
私は米津さんのファンです。『あつまれどうぶつの森』で米津さんのライブ会場を作るレベルで(笑)。
↓ファンアート集にその写真があります↓
私は米津さんの曲を聴くと大抵泣いてしまうのですが、歳のせいでは片付けられない理由があると思うんですよね。もちろん歳のせいもあるんですけどね。
なので今回は、『さよーならまたいつか!』の歌詞・ミュージックビデオの魅力を考察します。偉そうに分析するのではなく、曲を聴いて素直に感じたこと・考えたことです。
↓米津さんご本人のインタビュー記事も参考にさせていただきました↓
米津さんのファンの方、NHK朝ドラを観ている方、いずれでもないけれどこの曲が気になっている方…この先もご覧いただけますととっても嬉しいです!
「女性の地位向上」というテーマに米津さんがどのような姿勢で臨んだのか、この歌がどういう物語なのか、分かりやすくまとめています。
最後にはきっと、手が勝手にミュージックビデオのリンクをタップしているはずです(確信)。
是非ご一読ください!
女性の地位向上をテーマにした物語
『さよーならまたいつか!』は、2024年4月スタートしたNHK連続テレビ小説『虎に翼』の主題歌です。
『虎に翼』は、日本で初の女性弁護士・判事・家庭裁判所長を務めた三淵嘉子さん(1914年-1984年)をモデルにしたストーリー。
当時は民法に「婚姻状態にある女性は無能力者」という文言が記載されていたほど、女性の権利が制限されていました。
そんな時代を切り拓くことは、現代を生きる私たちには想像できないほどの茨の道だったはずです。
主題歌の依頼が来て、米津さんは制作統括の方に「女性の地位向上の物語の主題歌を歌うのが男性の自分であるのはなぜなんですか?」と質問したそうなんです。
制作統括の方は、「米津さんなりに、俯瞰した目線で、広がっていく世界を描いてほしい」と回答したとのこと。
しかし米津さんは、客観的な視点で…つまりこの物語の女性たちから一歩離れたところで『応援してるよ』というのは無責任だと感じ、腹をくくって主観的に曲を作る方を選んだそうです。
そのため、『さよーならまたいつか!』は、女性目線の曲になっています。
イメージ写真が公開された時は、米津さんがおさげ髪を結っていたので驚いた方もいると思いますが、監督の山田智和さんと米津さんの、この曲に込めた覚悟をうかがうことができます。
でもおさげ髪めっちゃ似合ってて、もはや違和感ないですね!
『さよーならまたいつか!』歌詞の全体像〜絶対に歌詞カードを見よう
さて、「曲は何回も聴いているよ〜」という方、それとは別に歌詞カード見ていますか?絶対に歌詞カード見たほうがいいです。ネットで検索したのでもいいんで。
…急にまくしたててすみません。しかし、曲を聴いているだけでは、米津さんの歌詞の真髄を理解することはできないと思うんです。
私はまず曲を聴いて、その後歌詞をチェックするんですが、毎回「え?こんな歌だったの!?」と衝撃を受けています。曲だけ聴いていた世界と、歌詞まで読み込んで理解した世界では、見える景色が全く違います。
ということで…ここで『さよーならまたいつか!』の歌詞を引用させていただきます。
『さよーならまたいつか!』のタイトルの通り、この曲は「女性目線の決別の歌」だと読み解くことができます。
あなたとはここでお別れだけれど、またいつか会えるといいね。
その「いつか」がいつなのか…歌詞の中では「100年先」という言葉が繰り返し出てきます。え?100年先にはもうお互い生きていないじゃない、と思った方、その通りです。
今生ではもう会うことはない、今生の別れを告げる歌なんです。
何かを得ようとするならば、何かを捨てなければならない。
しかしそれを悲観して泣き伏せるのではなく、立ち上がり意志を貫き、未来に向かって歩んでいく、どっしりとした女性の強さ。
生まれ変わってまた会うかもね、と、本気なのか冗談なのか分からない女性の明るさ・爽やかさ・軽やかさ。
この両極端な性質を絶妙にMIXした曲に仕上がっているんです。
前者が「虎」の部分として歌詞の2番、後者が「翼」の部分として歌詞の1番の軸を築いています。
最近の米津さんが書く歌詞は、「1番は誰でも入り込みやすい普遍的な歌詞」、「2番はディープで心がひりつく歌詞」という傾向があるように思います。
私の場合、米津さんの曲の2番の歌詞が自分の心を突いてくることが多く、よく泣いています(泣)。
朝ドラのオープニングでは1番しか聴けませんから、「1番の歌詞しか知らない」という人も多いと思います。
是非2番も!世の中に浸透してほしい!!
『さよーならまたいつか!』歌詞の深堀り〜1番「翼」パート
さて、1番と2番に分けて歌詞を細かく見ていこうと思います。
まずは1番の「翼」パートから!
燕へ憧れる「力を持たない女性」
女性が悲しみに暮れている。そこから逃げ出すための翼がほしい…「土砂降りも構わず飛んでいく」燕に憧れを抱いています。この女性は、土砂降りのような環境に身を置いていると考えられます。
「その力が欲しかった」ということは、「今はその力がない」ということ。ここでは、女性の弱さを表現していますね。
1番のハイライト「空に唾を吐く」
そんな弱い女性が恋に破れ、「失恋して泣きはらしている」…のではなく、「口の中に滲んだ血を吐き出す」という吹っ切れた行為が描かれます。
1番は全体的に綺麗な表現なのですが、この「口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く」の一文が何とも刺激的で、米津さんにしか書けない歌詞だと思います。
米津さんは、この「空に唾を吐く」の部分を、『虎に翼』の主演・伊藤沙莉さんの声をイメージして歌っているそうですよ!
『さよーならまたいつか!』歌詞の深堀り〜2番「虎」パート
文学作品の引用
これは俳人の種田山頭火の作品のオマージュだと考えられます。
鹿間孝一さんは、下記の記事でこの句の意味を「冷たい雨が降ろうが、気にしているわけにはいかない。生きるためには、雨でぬかるむ山道だって歩いて行くしかない」と書いていらっしゃいます。
1番で土砂降りにさらされた女性が、2番でも「時雨(しぐれ)」の中を歩んでいる。過酷な環境を表現しています。
「そこかしこで袖触れる」ということは、多くの人がいるということ。1番で目にした燕を探したが、もうここにはいなかった。人の波に揉まれているにも関わらず、女性の孤独を感じます。
米津さんの歌詞には、文学作品の引用がなされることが度々あります。米津さんがたくさん本を読んでいるということがよく分かりますね。
私は文学に詳しくないので、米津さんの歌詞で引用された文学をその都度調べ、勉強させていただいています!世界が広がって、とても楽しいんですよね。
女性が受けてきた数々の暴力
この部分には、「これまで女性がさらされてきた周囲の無理解・数々の暴力」が表現されていると思います。そこには「性暴力」「身体的暴力」「言葉の暴力」が含まれます。
それでも、地獄の中でもわたしは春を見る。つまり希望を失っていない。
これはなかなかできることではないですよね。
愛することは痛いこと
うん…誰かを愛するって痛いことですよね(泣)。
恋愛が上手くいかずボロボロになった女性の辛さを感じますが、それでも「繋がれていた縄を噛みちぎる」「貫け狙い定め」と激しいほどのエネルギーで突き進む姿が描かれます。
なんて猛々しい…さすが「虎」パートです!
米津さんはインタビューでも、下記のように仰っています。
私は女性医師ですが、現代でもやはり「医師という仕事のために恋愛が上手くいかない・結婚できない」女性はとても多いです。男性医師は鬼のようにモテるんですが、女性医師は悲惨なほどモテませんからね。
下記のように「女性医師の1/3の法則」というのがあるくらいです。
女性医師の1/3は生涯独身
女性医師の1/3は結婚しても離婚する
女性医師の1/3は結婚を維持する
うん…つまり、女性医師は結婚しても半数が離婚に至るんですね。結構当たっています(汗)。
米津さんは、「誰でも聴きやすいように」と恋愛要素を盛り込んだのかもしれませんが、実際弁護士を目指す女性たちは恋愛・結婚が上手くいかず悩んでいたのではないでしょうか。
「100年先のあなたに会いたい」という、今世で叶わない夢を未来に託して。
自分らしく今を生きる
1番で「誰かと恋に落ちて…」「瞬け羽を広げ…」だったのが、ラストでは「今恋に落ちて…」「今羽を広げ…」になっています。
主人公の女性が生きている「今」を鮮やかに描き出していますね。100年先ではなく、「今」を生きる覚悟ができたことをうかがえます。
また、「生まれた日からわたしでいたんだ」と気付いたということは、「わたしはわたし。自分らしく生きていいんだ」と気付いたということ。
自分を肯定して、今生の別れをして、おしまい。これがこの女性の物語でした。
男性の合いの手
歌詞は全体として女性目線なのですが、ところどころ「これって男性?」と思われる言葉が差し込まれています。
「知らねえけれど」
「消え失せるなよ」
「知らなかっただろ」
いずれも「さよーならまたいつか!」の直前に入ってくるので、この歌詞の主人公である女性が別れようとしている男性である、と推測します。
この男性、ぶっきらぼうなようでいて、主人公を鼓舞する存在でもありますね。
サビの「瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ」や「貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ」は、命令形なので、もしかしたらこの男性から女性への応援メッセージなのかもしれません。
まとめ 絶対にミュージックビデオも観よう
さて、4月12日には『さよーならまたいつか!』のミュージックビデオも公開されました!
前日にアナログ時計の動画がアップされ、ミュージックビデオの告知ではないかと噂されていました。このアナログ時計、「8時14分」と「8時15分」を行ったり来たりしているんですよね。一体どういう意味なのか…。
ミュージックビデオを観て分かりました。このミュージックビデオ、逆再生を駆使して物語が行ったり来たりするんです。
それなのに米津さんは、ちゃんと歌を歌っているんです。
え?どうやって撮影したの?と、今でも頭がこんがらがっています…。すごい技術ですね。
女性に扮した米津さんは、ミュージックビデオの冒頭では「暴力的な世界」に身を置いています。しかし、逆再生をしてまた冒頭と同じ場所に戻ってくると…世界が一変しているんです。
これは、「1歩進んで2歩下がるような困難な世界を進んできた女性が、結果的に世界を変えた」ということを表現したのでしょうね。
どんな世界になったのか、是非ミュージックビデオで確認してください!
米津さんが可愛すぎてキュン死にしそうになるんで気を付けてくださいね…!
では、また次の記事でお会いしましょう〜ヽ(=´▽`=)ノ
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【余談】
私は更紗(さらさ)という名義でブログ運営もしています。
そちらにも米津玄師さん関連記事があるので、ここでご紹介しておきます(照)。
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