【考察】米津玄師『毎日』〜ガムシャラな日常・自問自答のループ〜
はじめに
皆さんこんにちは、米津玄師さんファンのTAiRA(たいら)です。
4月に公開した『さよーならまたいつか!』考察記事は、大変多くの方に読んでいただきました。読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました!
まだ『さよーならまたいつか!』の興奮冷めやらぬ中ですが、
2024年5月27日、米津さんの新曲『毎日』がリリースされましたね〜!
ばんざーいヽ(=´▽`=)ノ
「米津玄師に便乗してビュー数とスキ数を稼いでいる奴」というレッテルを貼られたくないので、『毎日』の考察記事を書くかどうかは正直悩んだのですが、
愛が溢れて書かざるを得ないので書かせていただきます。
(大して悩んでなさそう)
ということで、今回の記事では『毎日』の歌詞&ミュージックビデオの魅力を考察します!
↓ 米津さんご本人のインタビュー記事も参考にさせていただきました ↓
米津さんファンの方、「ジョージア」CMで聴いた方、いずれでもないけれどこの曲が気になっている方…この先もご覧いただけますととっても嬉しいです!
「毎日って、けっこうドラマだ。」というコンセプトに米津さんがどのような姿勢で臨んだのか、この歌がどういう物語なのか、分かりやすくまとめています。
そして最後は、是非ミュージックビデオもご覧ください!米津さんが新しいダンスを披露してくださっています!!!
では、どうぞ〜。
【米津玄師『毎日』】『LADY』との差別化を図る困難の中で生まれた曲
『毎日』は、日本コカ・コーラ「ジョージア」のCMソングです。
米津さんが「ジョージア」のCMソングを手掛けるのは、1作目の『LADY』(2023年3月21日リリース)に引き続き、今回が2作目。
既にCMをご覧になった方もいらっしゃると思います。
↓ 『毎日』が流れる「ジョージア」CM ↓
どうですか?思わず踊り出してしまいそうな、テンション高い曲ですよね!
「ジョージア」の「毎日って、けっこうドラマだ。」というコンセプトは同じであるものの、『LADY』と『毎日』は全然曲のイメージが違うと思いませんか、皆さん。
『LADY』はスローテンポで、恋人と過ごす何気ない日常を噛みしめる歌。『毎日』はアップテンポで、働く人のガムシャラな日常を切り取った歌。
米津さんも今作では、『LADY』との差別化を意識したとのこと。しかし、その制作はかなり難航したみたいなんですね。インタビューで下記のように語っていらっしゃいます。
制作過程で米津さん自身が「毎日毎日何やってるんだろう、俺はけっこうがんばってるつもりなんだけどな」と感じ、そこから「これを曲にしよう」と思いついたとのこと。
つまり『毎日』は、「米津さん自身のその時の精神状態」を深く反映した曲なんです。
クールな印象の米津さんが、インタビューで「ヤケクソになって書いて」、「勢いでゴリ押そうと思った」、「破れかぶれの空元気」、「途方に暮れてた」、「ある種の開き直り」などと仰っているんですよ…。
米津さんにもそんな一面があるなんて、意外ですよね。私は親近感がわいてもっと米津さんが好きになりました。
そんな米津さんが書いた『毎日』…一体どんな歌詞なのか、気になりませんか?気になりますよね〜。
ということで、お待たせしました。次の項から『毎日』の歌詞を考察していきます!
【米津玄師『毎日』】歌詞の全体像
ここで『毎日』の歌詞を引用させていただきます。
私は、「米津さんはどんなに明るい曲でも哀しみを込めている」と思っています。
人間の感情って複雑ですよね。楽しいのに涙が出てしまう、哀しいのに笑ってしまう。誰にでもそういうことがあると思います。
米津さんは、そういった人間の心の機微を曲に落とし込める特殊能力者。私は割と本気で「米津さんってリアル聖☆おにいさんだよね」(人間界で暮らしている神)とか思っています。
(でも米津さんは神格化されるの嫌らしいです)
↓ 『聖☆おにいさん』は、キリストとブッダが人間界で暮らすコメディ漫画↓
今作の『毎日』は、サビを聴いただけでは「陽気な応援歌だな〜」という感想を持たれる方が多いかと思いますが、
インタビュアーの方が「高揚感と切迫感のようなものが同居している曲」と表現していらっしゃった通り、
電車のガタンゴトンという環境音と不吉なピアノの低音で曲が始まり、
自分の生きる日々に対する絶望感を余韻に、曲が終わります。
「…ええーーーっ!やめてよ、怖い!!」と思われる方もいるかと思います。
でも、私はむしろこの終わり方がとてもリアルだと感じました。米津さんが「働く人」に誠実に向き合った結果、こういう表現になったのだと思います。
米津さんも、インタビューで下記のようにお話しされています。
では、次の項から、歌詞を深堀りしていきますよ〜まずは1番から!
【米津玄師『毎日』】歌詞の深堀り〜1番
1番の歌詞は下記の通り。
「何も変わらない日常」を愛せる自信がない男性
皆さんは、「毎日、自分なりに頑張った結果、何一つ変わらない」と聞いて、ポジティブな印象を受けますか?ネガティブな印象を受けますか?
「自分を貫く信念」とかだったらポジティブに感じますが…ほとんどの方は「自分が頑張ったって無駄じゃん」とネガティブに感じてしまうのではないでしょうか。
この歌の主人公である男性は、「何も変わらない日常」を愛せる自信がない。不安な心の内が表現されています。
ドタバタでカッコ悪い日常
この男性が過ごす、ドタバタでカッコ悪い日常を表現しています。
雨の中、ボロい自転車で急いで職場に向かって、転んでしまった…周囲の人は、そんな自分に目もくれない。
私は”アナーキスト”という言葉の意味を知らなかったのですが、「権力から解放された個人の自由を理想とする者」とのこと。(超ムズい)
ここは「みんな自分のことが一番大事、だから転んだ人のことはどうでもいい」というニュアンスですね。
”目もくれない”周囲の人とは打って変わって、猫はこちらに”ガンくれている”。どっちも辛いですね(笑)。
『毎日』のジャケットも猫ちゃんですよね〜!スタッフの方に「ねこふんじゃったみたいな曲」と言われて、猫の絵にしたらしいです。
私は米津さんが描く動物が大好きです。米津さんは昔、干支にちなんだ年賀状イラストを描いて、X(旧Twitter)にポストしてくださっていましたよね。あれ嬉しかったなあ。
月曜日〜日曜日まで、順々に七転八倒の様子を表現するのかと思いきや…「あとの金土日言うまでもないほどに 以下同文」とするところ、コミカルでめっちゃ好きですね!
この男性の「説明してる余裕ないから以下略!」としたくなる気持ち、とても自然だと思います。
”ダーリン”とは誰のこと?
”ダーリン”という言葉が出てきますが、実際にはこの男性にはパートナーはいないと推測できます。私は”運命の女神様”のような、空想上の人物に訴えかけているのではないかな、と思います。
何故ならば、「この日々を踊りきるにはただ一人じゃあまりに永いのに」の部分は、「あまりに永いのに、ただ一人で踊っている」という風に言い換えることができますからね。
この男性の渇望感が伝わってきます。
「アイシー」の部分は、私は「Icy」なのか「I see」なのか悩んだのですが、「レイニー(Rainy)」と並んでいることを鑑み、意味が似ている前者の「Icy」だと考えました。
「光るだけが全て」の世界で「あまりに暗い」と感じるということは、こんな社会では輝けない人がたくさんいるということ。この男性もその一人である自覚があるのでしょうね。
【米津玄師『毎日』】歌詞の深堀り〜2番
さて、2番の歌詞は下記の通り。
石川啄木『一握の砂』からの引用と、心の叫び
「じっと手を見る」のではなく、「ぢっと手を見る」。これは石川啄木『一握の砂』からの引用です。
米津さんは、この「はたらけどはたらけど」の愚直な感じがこの曲に似合っていると思ったそうです。
自分の手を見てみたら、思っていたよりも燻んでいた...働き詰めで疲れた手だったということでしょうね。
本当に、毎日頑張って働いているのに、全然生活が楽にならないですよね〜…(ぼやき)。マレーシア在住なんで、円安は困りますね。
「意味がない?くだらない?それはもうダサい?無駄でしかたない?グダグダグダグダグダ」でとにかく”だ”を連呼していますね!なんか”だ”って、マイナスイメージの言葉によく用いられている印象があります。ダメとかマダオ(銀魂)とか。
周囲の人から一方的に浴びせられるダメ出しに、「わかってんだクソボケナス!!!」と絶叫。この男性の心の叫びですね。痛快・爽快です!
ここ、この曲のハイライトですよ。米津さんがどういう風に歌っているか、よく聴いてみてくださいね!
そして、ここで挿入された「ハイホー」...ディズニー『白雪姫』で七人の小人が歌っていたことは皆さんもご存知だと思います。
この「ハイホー」、『白雪姫』では「仕事が終わったぞ、おうちに帰ろう」という意味とのこと。「働く人」にぴったりの言葉だったんですね!
この伏線なのか、『毎日』のアーティスト写真で、米津さんが『スノウホワイト』(著:諸星大二郎)を持っている一枚があるんですよ。是非探してみてください!
少しだけ前向きになれた男性
1番のサビと同様に、この男性は”運命の女神様”に訴えかけます。
「日々共に生き尽くすにはまた永遠も半ばを過ぎるのに」は、「あなたが一緒に生きてくれたら、果てしなく永い時もあっという間に半分過ぎ去ってしまうよ」という高揚感を表していると考えます。
1番では「逃げるだけ逃げ出してレイニー 捨てるだけ捨てようぜアイシー」だった部分が、2番では「駆けるだけ駆け出してブリージング 少しだけ祈ろうぜベイビー」になっています。
1番よりも、この男性が少し前向きになったと思いませんか?
「転がるほどに願うなら七色の魔法も使える」という夢を見る男性。「転がるほどに願っているのに七色の魔法が使えない」現実の裏返しとも言えますね。
自問自答で終わる静かなラストシーン
月曜〜日曜を歌いながら、米津さんが「毎日!!!」と怒りを込めて叫んでいます(笑)。自分が過ごす”毎日”に、いい加減嫌気がさしている男性の心境が表現されていますね。
最後のパートでは静かなトーンになり、「毎日 毎日 毎日 毎日 僕は僕なりに頑張ってきたのに…」と冒頭と同じ、男性の自問自答が繰り返されます。
しかし、「頑張ったとしても変わらないものを この日々を」の部分は、1番にはなかった。2番で加えられた…男性の悩みが深くなったようにも受け止められます。
そして、「まだ愛せるだろうか」と、愛せる確信がないままに、この男性の物語は静かに幕をとじることとなります。
【米津玄師『毎日』】ミュージックビデオ
2024年5月29日0時に『毎日』のミュージックビデオが公開されました!
きゃっほーいヽ(=´▽`=)ノ
主人公の男性に扮した米津さん。自宅で鬱々と過ごしていると、カラフルな衣装のダンサーの皆さんに外に連れ出されます。これは多分空想の世界です。
車が事故って困った顔をする米津さん、ポップコーンが爆発する米津さん、りんごを30倍返し(推測)で投げつけられる米津さん、顔面でパイを受け止める米津さん。男性の踏んだり蹴ったりな日々を表現していますね。
そして先述しましたが、久々にダンスをしている米津さんが見られます!このダンスが、今までの米津さんのゆらりとしたダンスとはまた違う、コミカルで決めポーズもあるダンス。米津さんの新しい一面が見られますよ!
また7人のダンサーがキレキレのダンスを披露しています。
このダンサーの意味するところは、
各曜日を表している
歌詞の「七色の魔法」を表している
7人の小人を表している
など諸説あるのですが、きっと全部当たりですね。伏線張り過ぎ!(笑)
このキレキレダンスは男性が無理にでもテンションを上げようとしている様子、空元気を表現しているのではないかなと思うのですが、愚鈍な私には到底無理な動き・表情、とても素晴らしいです!こちらも必見です。
↓ 是非、『毎日』のミュージックビデオを楽しんでください⭐︎↓
さいごに
私はマレーシアに移住したばかりで、ひとりで家事・育児・仕事をしていて、正にドタバタの毎日を過ごしています。
日々のタスクに追われ、良いことも悪いことも次々と波のように押し寄せてきて、「息ができない」と感じることも。
でもだからこそ、『毎日』に込められた優しさに深く感じ入ることができます。
心身ガタガタだけど、みんな無理やり自分を鼓舞して頑張っている。みんな「このままでいいのかな...」という漠然とした不安を抱えて生きている。
だけど、一週間ってあっという間に過ぎ去っていきますよね。それが唯一の救い。この曲の疾走感は、時の流れの速さも意識しているのかなと思いました。
私は『毎日』は、「人生の明るい面も暗い面もありのままに受け入れていこう」と、ある意味の”諦め”を私たちに許してくれている気がします。
毎日頑張るは頑張るけれど、その先どうなるかは誰にもわからない。私たちは結局、「人事を尽くして天命を待つ」しかないんですよね。
泣いて笑って、転んで弾けて、喜怒哀楽いろいろあるけれど、それでもここは愛しい世界。私は『毎日』を聴くようになって、明らかに心がスッと楽になりました。
米津さんがこの曲を書き切ってくださったこと、こんなに体当たりな演技をしてくださったこと…私のためにファンのみんなのためにありがとう…という気持ちです。
ただ最近の新曲ラッシュで、絶対に疲弊しているはず。体調が心配です。美味しいもの食べてたっぷり寝て好きなことしてください。ファンは、米津さんが幸せならそれだけでいいんですよ。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。皆さんもどうぞ『毎日』を楽しんでくださいね。
また次の記事でお会いしましょう〜。
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【余談】
私は更紗(さらさ)という名義でブログ運営もしています。
そちらにも米津玄師さん関連記事があるので、ここでご紹介しておきます(照)。
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