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「美文字探し」の街歩きワークショップ

1. 「美文字探し」の街歩きワークショップの概要

咏字肇法(えいじはっぽう)のプロジェクトの1つとして、「美文字探し」の街歩きワークショップを行います。

■ 目的
日常の身近にある文字を書道家の視点で観察・分析する経験を通して、自分の感性・美意識を引き上げていく。
■ イベント概要
時間:2〜3時間程度
場所:参加メンバーと話し合って検討
人数:3〜5,6名
参加費:テスト期間中は無料

イベントのフロー(パターン①)
・街歩きをする地域を決めて、街中にある綺麗な文字を探し歩く
・見つけた綺麗な文字に対して、なぜ綺麗だと思ったのかを解説

イベントのフロー(パターン②)
・街歩きをする地域を決めて、街中にある綺麗な文字を探し歩く
・綺麗な文字を見つけたら、写真を撮る
・撮影した美文字に対して、自分はなぜ綺麗だと思ったのか?を考え言語化する
(・時と場合によって、金子からフィードバック)

2. このイベント実施する背景

 すごく当たり前のことですが、私たちはたくさんの文字に囲まれて日常生活を送っています。しかし、そこに綺麗な文字があるかどうかでいうと、”ほとんどない”というのが私の意見です。もちろん綺麗な文字も稀にあります。

 「日常に綺麗な文字がほとんどない」と感じているのは、書道を長年続けてきた私の感性(フィルター)を通した時に見える景色です。街を歩いている時に視界に入る文字が、全然美しくないので結構気持ち悪くなります。(吐き気あるとか、そういう類ではないです。)

 ちなみに、この感覚を他の人に話すと、全然共感を得ません(笑)


 一方で、書道や文字に興味がない人には、この判別するためのフィルターが全くと言っていいほどありません


どういうことかと言うと

「綺麗(良い)」とも「汚い(悪い)」とも思わない、ということです。

これが文字だけの話であれば良いのですが、他の場面でもおおよそ当てはまるはずです。

日常生活を送る中で、私たちは「自分の意思で物事を選択している」と認識していると思いますが、はたしてそうでしょうか??

■外食
グルメサイトで情報を調べて、おすすめされているお店ばかり行っていませんか?

■動画
YouTubeで動画を見る時、おすすめで出てくる動画ばかり見ていませんか?

■買い物
Amazonでおすすめされているも、評価が高いものばかり買っていませんか?

■旅行
旅行サイトやインスタでおすすめされている場所に行って、おすすめされていることだけを経験していませんか?

全員が、全てに当てはまる訳ではありませんが、世の中の仕組みとして、自らの頭や感性で選ぶことができない環境(悪くいうと、選択を他人にコントロールされいている)が増えてしまっています。自らの感性や頭で判断していないので、そいうった感覚は鈍くなる一方です。

そうして気がついたら、”良い”とも”悪い”とも思わない感覚が自分の中に刷り込まれている・・・これって結構異常なことだと、私は思っています。

 こちらの「感じない子ども こころを扱えない大人」という本の中に、「感情をあとまわしにしてきた大人たち」という項目があります。

 私が問題だと認識していることと、この本の作者が問題だと認識していることは少し異なりますが、結局のところ、”良いと感じる”、”悪いと感じる”、そういった感情と向き合うこと後回しにせざるを得ない環境が私たちの周りには蔓延しており、それが様々な問題を引き起こすことに繋がっているのだと思います。


3. ”良い”・”悪い”の判断基準が何で必要なのか?

 「人は何のために生きているのか?」ってということから話がスタートするのですが、”嬉しい””気持ちが良い””楽しい””ワクワクする””好き”といったポジティブな感情や、”やりがい””生きがい”などの、自分の存在意義を明確に認識していて、そのために色んなことにトライし続けている人が、きっと幸せな生き方をしている人なんだと思います。「何のために生きているのか」ということの解は人それぞれですが、”自分の内側から発するもの”からしか、答えは出てこない気がしています。

 そういう人は、おそらく自分が死ぬ直前に「我が人生に一片の食い無し」って思って死ねるんだと思います。

 逆に、そういったことを考えず、組織のため、社会の歯車の一員としてのみ生きた人は、死ぬ直前に、「自分の人生って一体何だったんだろう・・・」と思いながら死を迎えるような気がします。

 死際に、”後悔するのか” それとも”悔いを残さないのか”

 この境を分けるのが、”自分の感性を大事にして生きたかどうか”だと私は考えています。

 しかし、自分の感性を磨く環境って、一般的なレールに乗ってるだけでは、あまり磨けないのが現状だと思います。教えてくれる人もあまりいません。


 日本の小学校、中学校の義務教育では、「良い高校・大学に行きなさい」と言われて、そのための勉強を一生懸命やります。

 大学では、「良い企業に行きなさい」と言われて、一生懸命就職活動をします。 

 会社に入ると、「一生懸命働いて利益をあげなさい」と言われます。会社の中であまり強く強調されませんが、それはつまり株主のために働きなさい、ということ。

 家庭でも、良い高校・大学に入って良い企業に就職しなさい、と言われるのがセオリー 。家庭を持ったら、子どもを育てるために働く。

 結局、こういった王道のレールの上に乗ってるだけだと、楽ではありますが、「何のために生きているのか?」という根本的なことを考える余地がありません。日々の生活に追われて、このルーティンを繰り返していくと、気がついたら定年になって退職して、終活の準備を進める、っていうことになりかねません。(定年退職って概念は、今やないに等しい気もしますが・・・)


 話を戻しますが、嬉しい、気持ちが良い、楽しい、ワクワクする、好きといったポジティブな感情や、やりがい、生きがいなどの、自分の存在意義を明確に認識するためには、”自分が何に感動するのか””何を幸せだと思うのか”、という価値基準を明確にすることが不可欠です。


4. 結局、このイベントに参加することで何が得られるのか?

 ”自分が何に感動して”、”何を幸せだと思うのか”という生きていく上での自分の物差しを見つけるためには、自分の中にある「”良い”・”悪い”の判断基準を明確にすることが大切だ」ということを上で説明しました。

 ただ、良い・悪いを判断するには、いくつかの要素が必要だと考えます。

1つ目は、”良いもの”を体験すること

結局、良いものを体験しないと、何が良いのか、なんてことは分かりません。この経験をたくさんすることで、違いを認識することができます。(分かりやすい例でいうと、格付けのGACKTさんみたいな感じです。)

良いものを経験するなら、別に文字じゃなくても、食事、ホテル、サービス、何だって構いません。ただ私は、書道の魅力も伝えたいで、文字という切り口で、”良いもの”を提供できればといいなと考えています。

2つ目は、知識

知識がある人と、知識がない人、二人が同じものを見た時に得られる情報には天と地ほどの差があります。「知らないから気づきようがない」といったところでしょうか。

街歩きのイベントでは、この2つを体験することに価値を置いています。


 この2つの要素は、自分で経験することも、身に付けることもできますが、詳しい人(プロ)に教わるのが、最も手っ取り早いです。他のことでも同じですよね。(スポーツや勉強とか・・・)

 どの分野においても、その人が長年かけて磨いて蓄積してきた情報のエッセンスをそのまま貰えたら、最短で実りある時間が過ごせるはずです。(100%ではないですが・・・)


 全体的にすごく偉そうな文章になっている気がしますが、「美文字探し」の街歩きイベントを何となくやっているのではなく、意図を持って実施しているんだ、ということをお伝えしたくて、長いですが文章を書かせていただきました。

 このイベントにちょっとでも興味を持った人は、ぜひコメントください!




 

 

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