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経験すると、「したことがない」という経験をなくす。

今日は、社内で実施する予定の「ママパパ向けのキャリア研修」の研修の資料を作成していました。

研修を実施することは少し前から決まっていたので、どんな内容がいいかな?と考え、ちょうど今春の緊急事態宣言中に学んだ整理収納アドバイザーの考え方を取り入れて、「タスクと思考回路の’整理収納’」というテーマでやってみよう、とパワポをちょこちょこ作っていました。整理して大切なものが何か分かると、優先順位がつけやすくなって気持ちがラクになるよ、という内容です。

イメージしやすいように、家の中が散らかっていて片付ける場合どうする?という例を取り入れながら作っていたのですが、はたと、

「わざわざこんな内容研修にしなくても、みんな分かるんじゃ?」と思って手が止まりました。部屋の片づけや考え方の整理のつけ方なんて、みんなもう知っているかもしれない。

でも、ちょっと考えて、「いやいや、私はこの春お金を払って勉強するまで、ある意味ちゃんとした部屋の片づけ方が身についていなかったから何度も’うまくいかないな~’と悩んだり、片付けたはずの部屋がリバウンドしたりしていたんだ。学んで以降は部屋もリバウンドしていないし、身についたものがあったはず。それを言語化しよう」とまた資料作成に戻りました。

どうしても、こう、自分視点で見てしまうというか、自分の思考回路がスタンダードでみんな同じだろう。とか、自分に分かることはみんな分かるだろう、と勝手に考えてしまうことがあります。

それは最近、仕事関係で他者と話している時にも感じたことがありました。過去にも何度もしたことのあるコミュニケーションですが、「なんで分からないんだろう」とか「やればいいのに」とか、そんな言葉です。他者の口から聞いたことも、自分が口にしたこともあります。

それを口にできちゃう人は、もう自分が「分かる、という経験をして自分の中に取り入れることができた」状態なのですよね。そしてそれがもう身になっているので、他者も同じ状態になれるはずだ。そこに至るプロセスは、自分の努力で取りに行けばいい、と。そんな解釈です。

それはもうその時点で、「経験したことがない、という経験を失くしてしまっている」からだと思います。知らず知らずに、上書き保存されてしまっている。人はいつも自分の視点を中心に見ているし、自分の感覚が自分にとっては一番インパクトがあるのが普通ですよね。

ただ、その時に他者視点にたって、「なぜ今(彼、彼女は)それが難しいと感じているのか」「なぜ、それをやらないのか」考える想像力を持っていたいです。その手前に、上書き保存ではなく、名前をつけて保存、にもしておきたいです。できれば、「まだしたことがない自分」に、名前をつけて保存してあげることができればいいなと思います。それは悪いことでも、だめなことでもないから。それもまたまる、なのです。

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