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ものがたり受難の時代にゲームは何を描くのか

こんばんは、駆け出し眼鏡です。最近いい加減ネタ切れというか、入れる時間がなかなかとれていないせいで出せるものもなくなってきたような気がします。でも1ヶ月プロジェクトのときにチームで共有されていたブログ記事に、

書きたいネタを全部書き終えた後に、無理やりでも書いた1記事が本当にあなたが書きたかったこと。

と書いてあったので、信じてひたすらに続けようと思います。

さて今日は以前読んだちきりんさんの記事を元ネタに、ゲームについて書いてみようと思います。結論から書くと、「『ものがたり受難の時代』に対して、ゲームはフィクションを複線系で設計し、どの体験を選択するかを個人に委ねることで、対応しているのではないか」と思います。では早速みていきましょう。

ものがたりは現実を超えられるのか
例のごとくまずは内容を要約します。
現代社会は、世間を賑わせた「紀州のドンファン」、アホみたいに勝ちまくる藤井7段、羽生結弦選手の復活劇、大谷翔平選手の大活躍など、「どこもかしこもリアルがフィクションを超越してしまって」います。そして現代社会がフィクションである「ものがたり」よりもずっと面白くなってしまって結果、フィクションは現実を深ぼるようにリアルを描くようになりました。

でも大学に入った頃から、小説、もっと広く言えば「ものがたり」を読むこと自体、急激に少なくなった。それはリアル社会のほうが、ものがたりよりも遙かにおもしろいと気づいてしまったから。 
こうしてものがたりは「ワクワクできる想像を超えた世界」を見せてくれるものではなく、「つらく切ない人間と社会の実相」を深掘りするものになった。

しかしこうしたフィクションは、ノンフィクションと変わりなく、結局リアルを超えられないのです。こうした現実に対し、ちきりんさんは最後にこう締めくくります。

ものがたりはホントに受難の時代だと思う。
いつかまた、ものがたりが現実を超えられる日はやって来るんだろうか? と思えるほどに。


ゲームは複線系の道を選んだ
最近のゲームの流行として、オープンワールドゲームが増えてきていることがあげられます。例えば昨年一世を風靡したNintendoSwitchのタイトル「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」は広大なワールドをリンクが縦横無尽に駆け回るゲームでした。

その前にも有名な「グランド・セフト・オート」や個人的に好きなゲームだと「Watch Dogs 2」もオープンワールドでしたね。今年めちゃくちゃ話題の「ゴッド・オブ・ウォー」も、E3で発表された「フォールアウト」の新作もオープンワールド形式だそうです。

あまりゲームに詳しくない人のためにオープンワールドについて少し説明します。Wikiさんによれば、

オープンワールド(Open World)とは、英語におけるコンピュータゲーム用語で、舞台となる広大な世界を自由に動き回って探索・攻略できるように設計されたレベルデザインを指す言葉である(Wiki調べ

とのこと。またサンドボックス(定められた攻略手順の遵守を要求されないゲームプレイ)型のゲームもオープンワールドに含まれるようです。この種類で有名なのは「Minecraft」ですね。

さてここまでいろいろとあげてきましたが、オープンワールド型ゲームの特徴は「100人ユーザーがいたら100通りのストーリー」があることです。もちろんメインストーリーはある程度定まった流れがあるものの、その交流手順はプレイヤーに委ねられているのです。

簡単にいえば、ゼルダの伝説では、スタート直後にガノンドルフを倒しに行くこともできれば、めちゃくちゃ細かいサブクエまでクリアして最強の武器を集めまくって挑むこともできるわけです。

ここでは、今まで1つの物語を消費するものだったゲームが、多数の道を選べるようにすることで一人ひとりが自分の物語を消費するものに変換されているのではないでしょうか。つまり単線系から複線系に物語の構造が変化しているのです。


複線系は更に進化している
しかしこれまでは、あくまで主軸のストーリーは残されたままでした。つまりメインの軸はそこまで大きく変化しない中で、いくつかのイベントが飛ばされたり追加されたりするという点で、個別の物語をゲームは描いていたわけです。

ただ今回、この流れを根本的に変えそうな2つのゲームを紹介します。1つが人型アンドロイドのストーリーを描いた「Detroit : Become Human」。もう一つはスクエア・エニックスが来月発売する「Octopath Traveller」です。

Detroit: Become Human
Detroit : Become Humanは、イメージ的には日本のギャルゲに近いです(こういうと怒られそうですが)。プレイヤーは主人公のアンドロイドになり、提示された選択肢を順に選んでいきます。そして選んだ選択肢によってその後のストーリーが変わってくるという仕組みになっています。

これだけだとよくあるゲームなのですが、このゲームの面白いのは「3人いる主人公やその他メインキャラのうち、誰かが死んだとしてもストーリーが止まらない」のです。このゲーム、選択肢やコマンドを間違えると普通にキャラクターが死にます。ここで通常のゲームでは大抵ゲームオーバーになるものが、あくまで最後まで進んでいくのです。

結果最後までゲームをプレイすると、生きているメンバーが全く違うストーリーを体験することができます。これは自由に行動を選択できるオープンワールドとは違う意味で物語を個別化している例ではないでしょうか。

また複線系を強く意識している点として、選ばなかった未来を後からフローチャートで確認することが可能です。つまり自分が選ばなかった選択肢ならどうなったのか、見落とした手がかりを見つけていたら?あの人に話しかけていなかったら?という、物語が切り替わるきっかけを見せてくれるわけです。

Octopath Traveller
もう一つ、Octopath Travellerはあのスクエニが出す、来月発売の完全新作RPGゲームです。このゲーム、ただのRPGではありません。

このゲームには8人の主人公がいて、プレイヤーは最初に一人のキャラクターを選びます。そして普通にプレイをしていくわけですが、それぞれのキャラクターにはそれぞれの旅の目的があり、それぞれにストーリーを持っています。また、その後に出会う他の7人のキャラクターには、どの順番で会ってもいいらしく、行動も比較的自由な構造になっているようです。

つまりここでは、自分が操作するキャラクターすら選択ができ、その後誰と出会いどう進めていくかというストーリーも個人の手に委ねられています。まだプレイできていないので、実際どんな形になっているかはトレイラーレベルでしかわかりませんが、これも面白い物語の個別化の事例だと思います。このゲームは購入予定なので、ぜひやってみてからまた書いてみたいですね。期待してます。

まとめ
少し長くなりました。つまり何が言いたかったのかというと、ちきりんさんが指摘している「ものがたり受難の時代」に対して、ゲームはフィクションを複線系で設計し、どの体験を選択するかを個人に委ねることで、対応しているのではないかということでした。今まで1つの物語を消費するものだったゲームは、多数の道を選べるようにすることで一人ひとりが自分の物語を消費するものになってきています。他のエンタメも進化していきそうですね。

本日はここまで。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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