科学という制度
懐疑的な「右派」と破滅を予言する「左派」が、どちらも現実をトンネル越しに見るような確証バイアスに囚われているのなら、私たちは真ん中へ、つまり気候変動の標準的な物語に戻った方が良さそうです。これは居心地の良い場所で、私たちの社会では知識の最高権威である科学の縄張りです。
問題なのは、二つの極端な立場を苦しめる力学に、中央も苦しめられていることです。ここ2〜3年の間に、科学の内部からの批判の声が高まった結果、資金、出版、研究には深刻な欠陥があることが露わになり、「科学は壊れてしまった」とまで言う人も現れました[20]。
指摘されている機能不全には次のようなものがあります。
このシステムは、合意形成ずみの既存理論を限りなく研ぎ澄ますことを奨励しますが、もし理論に間違いがあっても、それを覆すには乗り越えるのがほとんど不可能な壁があります。これはクーンが提唱したパラダイム・シフトへの抵抗をはるかに超えるもので、「パラダイム保護」と批判者が呼ぶほどです。アメリカ国立衛生研究所の元所長でノーベル賞受賞者のハロルド・ヴァーマスはこう書いています。
すぐに分かるのは、気候科学という何十億ドルもの政府予算を受け取る政治色の濃い分野に、このような力学がどう影響するかということです。懐疑論者のウェブサイトを見れば、「否定論者」として村八分にされたくないので気候正統論に反する結果の公表を恐れる気候研究者の嘆きや、大学院生がデータの不一致について調べるのをやめるように言う教授、公式な立場をやんわりと批判しただけで研究資金も研究職も失った著名な科学者の逸話などが収められています。
反体制気候学者のジュディス・カリーは、気候変動をめぐる科学的合意の形成について次のように疑問を投げかけます。
この全てが積み重なると、科学の内部に一種の集団的確証バイアスができますが、これは多くの気候懐疑論者が明らかに陥っているのと同じ、認識の障害です。言い換えれば、確証バイアスは科学支配者層の外側にいる人々だけに限られるものではありません。本来なら確証バイアスを取り除くはずの査読制度があるにもかかわらず、確証バイアスは科学の中にも制度化され組み込まれているのです。私の父は引退した教授ですが、査読についてこう語っています。
ここで私は急いで付け加えておきますが、気候(その他あらゆるテーマ)についての科学支配者層の見解が間違っていると言っているわけではありません。ですが、もし間違っていた場合でも、私たちには簡単に分からないかもしれません。私たちが科学の間違いを知ることができるのは、制度としての科学がもつ自己修正メカニズムが正常に機能したときだけです。
私が「反科学」ではないかと疑う人に、ひとつ告白させてください。地球温暖化をめぐる合意を中心として、巨大科学と各国政府、世界の支配層の大部分が結束しているのを見ると、私には標準的な物語があまり信用できなくなってくるのです。
遺伝子組み換え生物や、原子力、抗がん剤、一般向け殺虫剤の安全性を支持するために作られた合意を私が拒んでいるというのに、なぜ気候変動をめぐる同じような合意を受け入れなければいけないのでしょうか[29]。
そういうテーマについての合意は、気候変動の合意に比べれば弱いものだと、読者は異議を唱えるかもしれませんし、それは正しいかもしれません。しかし、疑わしい科学的合意のさらに強力な例を示すというのは、ちょっと苦し紛れの様相を帯びてきます。もし私が、たとえば標準的なビッグバン宇宙論、ダークマター、動脈硬化症のコレステロール仮説、細胞膜生理学のポンプ・チャネル・モデルを疑っているなどと明かしたなら、私が自分の意見を主張しようにも信ぴょう性は台無しになってしまいます。読者は私のことを、知性に欠けているとか、基礎科学を知らないとか、気違いじみた理論にかぶれているとか思うでしょう。私のことを、聖書の天地創造説支持者、地球平面説支持者、月着陸陰謀論者と同列だと見なすでしょう。あるいは多分、私の反対意見には精神病理学的な原因があって、父親に反抗しているとか、反抗的行為障害を患っているとか結論するでしょう。
誤った科学的合意の例として、科学的合意に信頼を置く人が納得するようなものを持ってくるのは不可能です。もちろん、科学的合意が間違いだった歴史上の例を挙げることはできるかもしれません。光の媒質としてのエーテル、人類を遺伝子劣化から救えと呼びかける優生学、そして月並みな例ですが天動説の宇宙論が心に浮かびます。しかし科学を信奉する人はそういう例をひっくり返してこう言うでしょう。「ほらね、科学は上手く働いています。間違った理論は退けられ、最終的に私たちは真実へと落ち着くのです。」言外にあるのは、大きな誤りは全て過去のものだから安心していいという含みです。
これで、私が目にした科学の異端説を、私が全て信じると言っているわけではありません。結局のところ、科学の異端説の多くは互いに矛盾しています。多くの問題について私が特に強い意見を持たないのは、衛星温度データ論争で説明したのと同じように、私には評価できない対立する主張の渦に飲み込まれてしまうからです。
読者はそういうウサギの穴に出会ったことがあるかもしれません。あなたが9.11陰謀論、ケムトレイル、ミステリー・サークル、ワクチン被害について調べている時でも、あるいは考古学、宇宙論、生物学、地質学の標準から外れた理論を調べている時でも、パターンは同じです。一方の側が主流科学者の権威を振りかざすのに対し、もう一方の多くは隅に追いやられた異端者です。反体制派の人々は、研究資金の獲得が難しく、論文誌への発表が難しく、自身の主張を真面目に受け止めてもらうのが難しいと不満を露わにします。その一方で正統主義の擁護者は、異端の理論を真面目に受け取らない理由として、毎度のように査読論文誌への発表がないことを挙げます。彼らの理屈はつまり、「このような理論は認められていない、だからこのような理論は認められない」というものです。端的に言えば、それが確証バイアスです。
権力に裏付けられた正統主義が社会的に無視された異端論に対抗する論争のほとんどで、支配者層は「否定論者」、「陰謀論者」、「疑似科学者」といった脅し文句や蔑称を総動員し、意見を決めかねている一般人が、愚か者だと思われたくないところを突いて、心理的圧力をかけてきます。こういう戦術は「身内」対「よそ者」の社会的な力学をかき立てるので、同じ力学が主流科学者の仲間内にも蔓延し、集団思考を押し付け、異論を封じているのではないかと疑いたくなります。しかしまた、その型破りな理論は、おそらく本当は馬鹿げた話で物笑いの種にされて当然なのです。私たち素人には知り得ません。またもや、それは私たちが権威を信頼するかどうかに行き着くのです。
科学であれ何であれ、従来の権威への信頼をもとにしない、生態系の癒しという物語を、私は前へ進めたいと思います。それでも科学は私たちの味方になり得ます(私は続く2章で科学を大いに利用します)が、それが私たちの主人である必要はありません。
極度に二極化した気候論争の中で、私が人為的地球温暖化を否定するインチキな主張を組み立てようと思ってなどいないというのは、なかなか読者にとって信じ難いことかもしれません。私にはそんなつもりは全くありません。繰り返します。私の意図は、論争の参加者全員が共有する隠れた合意を暴き出し、どちらの側が正しいかに関係なく、最後には破局へと向かって悪化してゆく危機を生んでいる合意を、暴き出すことです。
注:
[20] ベルズ、ホフマン(2015)。
[21] フリードマン(2010)。
[22] ベーカー(2016)。
[23] 『エコノミスト』誌(2013)。
[24] スミス(2006)と『ニュー・アトランティス』誌(2006)。
[25] マクニール(2014)。
[26] ペプロー(2014)。
[27] アルバートら(2014)。
[28] カリー(2016)。
[29] ミッチ・ダニエルによる「ワシントンポスト」の論説「遺伝子組み換え生物を避けるのは非科学的なだけでなく不道徳だ」(2017)は、このジャンルの代表例。私の反論、アイゼンスタイン(2018)も参照。
(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/the-institution-of-science/
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸
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