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間違った論争

(お読み下さい:訳者からのお知らせ)


ここまで読んであなたは、どちら側が正しいか私の意見を待ちきれずにいることと思います。私がここまでに書いたことは知性のトレーニングだったとお詫びして、私がもちろん気候変動を信じていると明言すれば、あなたはたぶんホッとすることでしょう。私が付いているのはどちら側でしょうか? そうですね、では私の意見をまとめましょう。それを本書で詳しく述べていきます。

私たちが実際に直面しているのは非常に深刻な気候危機です。しかし、一番恐ろしいのは温暖化そのものではなく、「気候撹乱」とでも呼ぶべきものです。この撹乱の原因は、世界中の生態系が荒廃したことです。湿地の干拓、森林の皆伐、土壌の耕作と浸食、魚の乱獲、野生生物の生息地を開発のために破壊し、空気、土、水を化学物質で汚染し、川をダムで堰き止め、捕食動物を絶滅させることなど、枚挙にいとまがありません。このような活動は、炭素循環や、水循環、そのほか謎に満ちた様々なガイアの営みを乱すことで生態圏の復元力を落とすので、人間活動が余分に放出した温室効果ガスに対処することができなくなります。その結果として地球温暖化が続くことになるかどうかは分かりませんが、気温だけでなく、もっと重要な降水量が、ますます激しく変動するようになることは確かです。(世界中のさまざまな場所で記録的な暑さ寒さが続けざまに起きていることから分かるように、これはもう始まっているのかもしれません。)

標準的な気候理論では、気候変動の原因として最も重要なのは二酸化炭素が引き起こす放射強制力だとし、生態系の荒廃は二の次にしています。標準的な気候理論によると、放射強制力(温室効果)による大気の温度上昇は、二酸化炭素が倍増するごとに1℃をわずかに上回る程度です。それ自体は大して警戒の原因とはなりません。本当に心配なのは、さまざまな正のフィードバックによってこの温度上昇が増幅される可能性です。これは従来から認識されていた以上に生物学的プロセスに大きく依存しているということを私は主張していきます。生物学的システムが荒廃すると、変化する気候に適応して生存に必要な安定した条件を維持する能力が失われます。

したがって気候論争の一番の問題は、強調すべき点が間違っていることです。地球平均気温が上昇しているかどうかは主な問題点ではありません。私たちは間違った論争に巻き込まれているのです。気候撹乱は炭素の排出を止めたとしても続き、平均気温が一定に保たれても気候撹乱による災難は避けられません。それは地球が機械ではなく生命体だからであり、私たちがその組織と器官を破壊しているからなのです。

人為的な気候撹乱は産業時代のはるか以前に、主として森林破壊と土壌浸食によって始まりました。それは過去数世紀で工業規模に達した一方、温室効果ガスの排出は荒れ果てた生物圏にとって対処が困難な全く新しい課題となります。

私の主張をはっきり書けばこういうことです。

もし人為的地球温暖化の標準的な物語が本当なら、最重要の緊急課題は世界中の土と水と生態系を守り修復することです。

もし人為的地球温暖化の標準的な物語が間違いなら、最重要の緊急課題は世界中の土と水と生態系を守り修復することです。

本書の目的の一つは、この主張が正しいことを説明し、その実現を助けるための知覚と神話の変革について述べることです。

気候論争の規範的な考えはどうかというと、最も根本的なレベルで私は脅威論者に賛成します。データ、主張、モデルにどんな間違いがあるとしても、彼らの情熱をかき立てる基本的な警告には確かな根拠があります。もし平均気温の上昇が止まり下降に転じたとしても、警戒心を弱めるべきではありません。また、懐疑論者のことを「否定論者」と呼ぶのにも一理あります。科学を疑うから否定論者なのではなく、生態系の大虐殺を否認し、地球生態系の豊かさと活力の大量破壊を否認するからです。

それはこういうことです。私が人喰いバクテリアに感染して命が危うい状態にあるとしましょう。みんなで私に熱があるかどうか議論しています。「そうだ、彼の熱は危険なほどに高い。早く治療しなければ」という人のほうが、「彼は平熱だから大丈夫なはずだ」という人よりも真実に近いことを言っています。私の病状に危険な高熱があるなら、熱を下げることは有効かもしれません。でももし人喰いバクテリアを止めなければ、熱であれ何であれ、私は間もなく死ぬでしょう。地球にとって、人喰いバクテリアは世界金融システムと、その根底にある「分断の物語」です。開発と資源採取で世界をむさぼり食っています。

もしあなたが気候懐疑論者で本書をお読みになっているのなら、すぐに否定から脱け出てほしいと思います。一緒に気候科学に乗るという意味ではありません。おびただしい数の貴重な場所が破壊された跡に目を見開き、露天掘り鉱山や石油流出、有毒廃棄物処分場という傷に目を見開き、生息地や生物種の破壊に、地球上の生命の窮乏化に目を見開くということです。地球の苦しみを感じ、それを自分に取り込み、そのために何かをするということです。

私が生きている間にオオカバマダラ蝶の数は90%減少しました。魚類バイオマスは半分以下に減少しました。砂漠はかつて無い広さに拡大しました。サンゴ礁の広さは半分も減りました。アジアのマングローブは80%減少しました。ボルネオの熱帯雨林はほぼ消滅しました。世界の熱帯雨林はもとの半分以下しか残っていません。何千もの生物種が絶滅しました。これは全て本当の話で、この地球を苦しめている荒廃の跡を少し挙げただけです。警戒してください。災難が襲う前に、地球の器官や組織をこれ以上失う余裕はありません。

もしあなたが気候脅威論者なら、あなたの警告に称賛を送りますが、注目の先を変えるようにお願いしたいのです。警告は、人類の生存が脅かされているかどうかには必ずしも関係ないのです。私にとって、死んで丸裸にされた地球で人類が生き残るという未来予測は、人類のいなくなった地球よりも憂慮すべきものです。大虐殺で友だちも家族もみんな死に、あなたがただ一人の生存者になったらどうしますか? 「私たちに何が起きるか?」というのは狭すぎる問いで、そこから出てくる警告も狭すぎるものになり、最終的には逆効果になると、私は主張します。

あなたがどちら側に付くとしても、あなたには別の警告を聞いて欲しいのです。それは地球上の命の死についての警告です。車を運転していてフロントガラスにぶつかって死ぬ虫の数が著しく減ったことに、私と同じように気付いたことはありますか? 私が子どもだった頃、フロントガラスが潰れた虫で覆われていたのを覚えています。自然保護区での飛翔昆虫バイオマスが78〜82%減少したと報告する27年間に及ぶ調査を読むまでは、フロントガラスの虫は私の記憶違いかと思っていました[30]。それは徹底的、大規模、綿密な研究で、世界各地で同じような発見が相次ぎました[31]。

もし私が編集担当者なら、この研究は一面トップの大見出しです。昆虫は陸地に進出した最初の動物で、植物とほぼ同時代でした。昆虫はあらゆる陸上の食物連鎖に欠かせません。昆虫は生命の織物に深く織り込まれています。昆虫が少なければ生命が少ないことになります。つまり、地球の活力が低下しているということです。言い換えるなら、地球は死に向かっているのです。

この原因は誰にも分かりませんが、研究の著者らはおそらく温暖化のせいではないだろうと書いています。その理由は、温暖化によってこの調査期間の昆虫バイオマス量は減少ではなく増加していたからです。著者らは化学物質や近隣農地での生息地の減少を原因の可能性として挙げています。それは有りうることで、もっと深い原因が根底に潜んでいると私は思います。それは、私たちがこの世界を命あるものとして、神聖なものとして扱っていないということです[32]。これまで私たちは生命に奉仕するために行動しませんでした。それどころか私たちは他の生命を人間の召使いと見なしてきました。そのことが変革を求めて叫んでいるのです。生態系の危機は、世界で大きな勢力を持つ文明がその変革を起こすための通過儀礼の薬となるものです。この薬を完全に飲み込むまで、この危機は激化を続けるでしょう。


注:
[30] ホールマンら(2017)。

[31] 昆虫の大消滅を記録した他の研究への入門として、ハンジカー(2018)を参照。

[32] ここで言う「私たち」とは、大きな勢力を持つ文明のことを意味します。そのシステムと信念に心底から反対しているとしても、あなたがその一員であるという範囲で、その「私たち」はあなた自身をも含みます。


(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/the-wrong-debate/

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」 
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸

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