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世界の終わり

(お読み下さい:訳者からのお知らせ)


政治的に進歩主義の考えを持つ友人が、保守的なフォックス・ニュースをいつも見ている義理の両親と1週間を過ごした経験を語ってくれました。彼女によれば、その1週間が終わる頃までに分かったのは、ヒラリー・クリントンに投票した人はみんな愚か者にちがいないと、義理の両親には見えていることでした。保守メディアは自社の現実バブルを作り出します。

同じことが、気候懐疑論の世界と、その反対の鏡像である気候破滅論の世界にも当てはまるかもしれません。読者の皆さんには、これらの現実バブルそれぞれの中でしばらく時間を過ごしてみることをお勧めします。ガイ・マクファーソン、ポール・エーリック、ポール・ベックウィズ、デイビット・ウォーレス=ウェルス、マルコム・ライトのような科学者や作家が主宰する破滅論陣営は、多くは懐疑論者と同じ話を使って主流の気候科学を批判します。科学者は自分の世界観に合わないデータや心理的に予期していないデータを無視するといいます。もう遅すぎると知っている場合でさえ、政治的なご都合主義に忖度して予測の論調を抑えますが、個人的には公式発表で言っているよりずっと悲観的です。政治的圧力のため同じようにIPCC報告書は骨抜きにされます。本当はもう絶望的なのだと科学者はいいます。

奇妙なことに、気候懐疑論者と気候破滅論者は全く反対の方向から同じように何も行動しないという立場に至ります。一方が問題は全くないからといって行動から手を引き、もう一方が解決法は全く無いからといって行動から手を引く。どっちでも同じじゃありませんか。

一般的に終末論的な考えは、批判している当のシステムとの共犯を助長します。急進主義的に見えますが、破滅論の立場は従来どおりの活動を続けることと実際上は完全に一致しています。学者のアイリーン・クリストは同じような主張をこう書いています。

たしかに運命論というのは、物事のトレンドに従順であれと促すことで、運命論を生みだしているトレンド自体を強化する物の見方です。運命論がもたらす従順さは運命論で物事を考える人の目には見えず、その人は自分のことを順応主義ではなく単に現実主義者だと思っています[17]。

気候についての議論の多くがもとにしている「現実主義」は、そもそもこの危機を生みだしたのと同じ信念と制度の多くを当然のものと見なします。しかし、私たちが現実だと信じていることは、私たちの暮らしを覆う物語が投影されたものかもしれません。制度は全て人間が作り出したものです。人間にはその全てを変える力があります。

破滅論が予測する運命には、熱帯地域が居住不可能になり食糧供給が壊滅するような大規模な混乱を手始めに、極めて近い将来(私が生きている間に)人類絶滅の日が来るとか、暴走する温室効果によって地球が金星のようになるというものさえあります。破滅論の背後にある科学的根拠を一覧するには、ガイ・マクファーソンのウェブサイト「Nature Bats Last(自然が最終打者)」をご覧になることをお勧めします。基本的に、極めて近い将来に人類絶滅が起きるかどうかは、気候変動を加速する正のフィードバック循環にかかっています。たとえば次のようなものです。

・北極地帯の温暖化で海底のメタンハイドレートが溶け、大気中に放出されたメタンが温暖化を加速する。
・同じことが永久凍土に蓄えられているメタンと二酸化炭素に起こる。
・気温が上がると水蒸気が増加し、より多くの熱を地表に留める。
・北極の氷が溶けるとアルベド(反射率)が低下し、太陽光を吸収して温暖化が促進される。
・温暖化によって気候パターンが移動した結果、山火事や泥炭火災が起き、発生した煤で汚された雪は、通常よりも早く溶ける。
・気温の上昇に伴って、淡水域から放出されるメタンが増加する。
・大気中の二酸化炭素が増加すると雨水中の炭酸が増え、これがカルシウム炭酸塩岩を溶かすと、さらに二酸化炭素が空気中に放出される。

警告のほとんどはメタンに集中しています。マルコム・ライトによると、北極海の海底にあるメタンだけでも大規模な生物絶滅を起こすのに足る量の何百倍もあります[18]。その1%でも放出されれば、地球気温を10℃上昇させ、あらゆる脊椎動物の絶滅が避けられなくなります。

そして、これはもう進行中で逆戻りできないと破滅論者はいいます。フィードバックは既に始まっています。北極海の氷はもうすぐ消えるでしょう。ラーセンBとラーセンC棚氷は今にも崩壊しそうです。西南極にしなんきょく氷床は毎年150立方キロメートルずつ減少しています。海水温は従来考えられていたより2倍の速さで上昇しています。海面上昇は指数関数的に加速しています。

先ほどの演習を繰り返し、これらの主張への主流の反論、反論への反論などを、いちいち確認することはいたしません。メタン濃度は破滅論者の予測ほど速く上昇してはいない。いや上昇した、メタンは測定が行われる高度より上層の大気に昇っている。いや上昇していない、その主張は不完全なデータに基づく推測に過ぎない …。

興味のある読者には、破滅論の文献を読むのに丸々1週間、懐疑論の文献を(その手始めに「Watts Up With That?(ワッツの、それってどうよ?)」というウェブサイトや、マット・リドレーのエッセイ「The Climate Wars’ Damage to Science(気候戦争が科学に与える害)」を)読むのにさらにもう1週間かけることを強くお勧めします[19]。知的な人間が、すべて私たちが科学と呼ぶものから得た情報に基づいて、これほどまで両極端の結論に至ることができるのは、驚くべきことです。いったいどうなっているのでしょう。どちらの陣営も相手方の強硬姿勢を説明するため様々な心理的・政治的な理論を振りかざします。どちらの側も科学は自分たちの味方だと確信しています。

理由は本書でいずれ明らかになりますが、私は破滅論の物語を認めません。しかし、破滅論は3つの重要な真実を提供してくれます。

第一に、地球上では大規模な死が進行していて、人間の活動がその原因です。人々や団体の多くは現実から目をそらし、そのことを感じないようにしています。

第二に、私たちは実際に世界の終わりを目の当たりにしています。それは文字通りの文明や人類の滅亡ではなく非常に深い移行期で、その向こう側に立てば私たちは別の世界に住んでいると思われるほどです。生態系の危機を解決するために私たちがなし遂げなければならない変化は、それほどに深いものなのです。私たちが目の当たりにしているのは通過儀礼で、さなぎが蝶になるように新たな文明へと変態を遂げるのです。ここから先は、何が可能で、実際的、現実的であるかということも変化します。私たちが新たな世界へと首尾よく卒業できるかどうかは決して保証されていませんが、それでも破滅論者は可能性という真実を私たちに伝えてくれます。破滅論者には死の段階が必要だということが見えています。現在の私たちの集団的自我が死に、再生は見えません。それが当然なのです。本当の通過儀礼では、やり通せる希望のまったく無いように思える瞬間があるものです。

第三に、地球を癒すという大仕事のためには、従来の手段、方法、物の見方ではまったく不十分だという点で、破滅論者は正しいのです。破滅論者は迷宮の男に「ともかく止まりなさい」と語りかける声のようです。ここで立ち止まれば、新たな羅針盤、つまり迷宮の外へと導く歌が聞こえるようになるということが私たちには分からないのです。状況はたしかに絶望的ですが、それは私たちが囚われている世界観の中からそう見えるだけです。その世界観(そもそもこの危機を生みだした世界観)が、私たちの力を削ぎます。その世界観から出てくるどんな解決方法も、私たちが直面する仕事には全く不十分だからです。

読者の多くは、あり得ないことが起きるという体験を、人生でおそらく一度ぐらいはしているのではないでしょうか。予知夢、「不治の病」の治癒、不気味なほど正確なサイキック・リーディング、驚くような共時性(シンクロニシティー)、UFOとの遭遇。「現実は言われているよりもずっと大きい」ことを暗示するような出来事です。もしあなたにそういう体験があるなら、私はこう問いかけます。あなたはそれを知っていながら絶望しているのですか? それとも、そういう考えをあなたの「現実主義」から排除しているのですか?

皮肉なことに、絶望した破滅論者の中には、私たちを外へと導くかもしれない歌の意義深い主題が心に浮かんだ人もいました。絶望的な状況の中では、私たちの人生を愛と美と命に捧げてもいいではないかと彼らは言っているのです。そうです。私たちの現在の苦境は、これまで長らく愛と美と命を否定してきた結果だからこそ、それが出発点となるのです。革命は愛です。そのとき何が可能になるのでしょう?

この心の変化を現実の行動に移し替えていけば、従来の脅威論者が呼びかけている物事よりも、究極的には気候を癒すために重要なものとなります。それはあたかも、世界を救うことを諦めることによって、世界を救う行動への扉が開かれるかのようです。


注:
[17] クリスト(2007)p. 54。

[18] ライト(2014)。

[19] リドリー(2015)。おそらくは信ぴょう性を高めようとする努力のため、このエッセイはホメオパシーへの信頼や遺伝子操作食品の危険のように従来の見解から逸脱するものを疑似科学として非難しています。


(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/the-end-of-the-world/

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」 
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸

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