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地球温暖化物語の害

(お読み下さい:訳者からのお知らせ)


気候を最重要の物語として受け入れたことで、環境保護主義者は悪魔との取引をしてしまったのではないかと思います。最初は、気候変動は環境保護主義にとって恵みのように見え、ずっと望んできたことを押し進める新たな力を持った主張となり、露天掘り鉱山を閉鎖し、森林を保護し、最終的には消費社会の拡大に終止符を打つための新たな理由となるように見えました。土壌を再生する農法を実践し、森林や湿地帯を復元し、集約されたコミュニティーで小さな家を建て、リユースとアップサイクルとギフトの経済を実践し、自転車文化を育み、家庭菜園を普及するための、生きるか死ぬかの理由がとうとう手に入ったのです。その結果、環境保護主義者は気候物語を役に立つ仲間として歓迎し、人々が自分のために進んで受け入れるようになれと望んできたことの正しさを納得させてくれると期待しました。

私たち環境保護主義者はこう考えました。「私たちがやりたかったことを、これから人々は義務としてやらねばならないのだ。」議論の前提は自然への愛から離れ、私たちの生存がかかる恐怖へと移りました。私たちの心のあり方は思いやりから思考する心へと移り、その心が求めるのは、私たちの面前でこちらを睨み付けている傷口(消えた魚、消えたウナギ、消えた木々、消えたクジラ)ではなく、2050年までの海面上昇のような遙か彼方の影響を動機にすることでした。さらに、主流科学者の言葉で語られるそのような影響の現実味を、私たちは受け入れなくてはなりません。しかし、今という時代は、(科学のマントを着た役人に水道水は安全だと言われたミシガン州フリントの住民のように、あるいは医学は役に立たないと信じる何百万もの人々のように)多くの人々が科学と権力全般に裏切られたと感じているのです。

環境保護主義者は悪魔と取引したと私が思う理由を、他にもいくつか挙げてみましょう。

フラッキング[岩盤破砕による石油・天然ガス採掘]や、山頂の切り崩し、タールサンドの採掘に反対するため気候変動の主張に訴えることで、もしも地球温暖化に疑いが差しはさまれたなら私たち自身の立場を危うくすることになります。私たちが目にするのは単調な温暖化ではなく不安定化の度合いを強めていく気温の乱高下かもしれず、それを一つの原因だけではうまく説明できないでしょう。もしも地球が寒冷期に入ったらどうしますか? 環境保護の努力を中断すべきだということになりますか? そんなことはありませんが、それこそが地球温暖化を最重要の環境問題にすることで言外に含まれる意味なのです。懐疑論者のしぶとさからも分かるように、気候変動を証明することは難しいのです。理性ある人々は地球温暖化が本当かどうかを疑うことはできるかもしれませんが、生態系の荒廃が続くことで地球が気候の恒常性を維持する能力を傷つけ、いずれは破壊してしまうだろうということに、疑問の余地はありません。自然保護政策を実施する理由として気候変動を引き合いに出すことで、私たちは簡単に証明できる理由に代わって証明の困難な理由を使うことになります。

気候の物語は「環境」の問題を地球規模に拡大し、地域の環境問題を二の次へと格下げします。森を救う理由が二酸化炭素なら、どこか他の場所で植林を行うと約束することによって森林破壊を合理化できるでしょう。地球全体の枠組みの中では、変化を起こすのは遙か遠方の人たちでもいいのです。それは私じゃない。私たちとは関係ないことなのです。

フラッキングや原発の推進論者が自分の技術で温室効果ガスの排出を削減できるともっともらしく主張できるなら、私たちは自身の論理からそれらを支持せざるを得なくなります。これは既に起きています。「シンク・アバウト・イット(そのことを考えよう)」というキャンペーンは天然ガスが気候変動防止のため役立つと大々的に宣伝しました。ヒラリー・クリントンは「クリーンな石炭」を称賛する演説をしました。遺伝子組み換え作物の推進論者は炭素隔離量を増大する新しい生物の登場を約束します。巨大水力発電計画は世界中でコミュニティーと生態系を破壊し続けています。おそらく最悪なのは、南米、アフリカ、アジアの広大な土地が、建前としてはカーボンニュートラルなエネルギーを生み出すバイオ燃料生産への転換を目論む企業によって買収されていることです。このような行為はどれも注意深く調べれば間違っていることが分かりますが、それでも当事者に対して環境に優しい見掛けを取り繕うためには十分もっともらしく見えます。

気温と二酸化炭素に注目することで、私たちは海に酸化鉄を投入したり大気に硫酸を散布したりするような破壊的な地球工学の構想を推進することになります。二酸化炭素濃度やアルベド(反射率)を技術的に微調整することで私たちと地球の関係を根本的に変えなくても問題を解決できることを暗に意味し、私たちの行為が招いた結果から抜け出る道を際限なく切り開いて行けるという考えを促進することになります。

気候変動は人類の未来を脅かすから悪だという主張は、自然の価値は人間にとっての有用性にあるという道具的功利主義のメンタリティーを強化します。地球とそこで生きる全ての生き物たちは、それ自身で価値を持っていないのでしょうか? それとも世界は結局のところ単なる手段としての物の山でしかないのでしょうか? 二酸化炭素を制限する動機が利己心にあるのなら、競争相手よりは甘い制限にしておこうとするのが、国や会社、個人の利己心というものでしょう。利己心と恐れに訴えることで、私たちは利己心と恐れの習慣を強化しますが、ここで直視したいのは、大抵はそれが地球を救うどころか破壊するということです。利己心に訴えても、私たちがこの世界への配慮を増やすことはないでしょう。

気候災害を思い起こさせると、気候変動との関連がほとんど予測できないような仕事の価値を低く評価することになります。貧困や、ホームレス問題、不平等、刑務所、人種差別、人身売買、重金属汚染、遺伝子組み換え生物、プラスチック汚染などのような問題は、大気の健全性との間に弱い関係性しかありません。おそらく私たちは気候変動の問題を解決するまでこれら全ての動機を棚上げすべきなのかもしれません。結局のところ、地球が居住不可能になってしまうのなら、そういう問題がどんな重要性を持つというのでしょうか?

このメンタリティーは間違っています。ここに挙げた問題は気候と大いに関係があって、その理由は気候不順の原因が全てのことにあるからです。私たちが大地や自然、心、真実、愛、コミュニティー、慈悲心から切り離されていることの、あらゆる側面が原因なのです。もし本当に、自己と世界、人類と自然が、互いを映す鏡であり、互いの一部となっているなら、大気の気候不順が社会と政治の気候不順を伴い、自然界の不均衡が人間界の不均衡を反映するのも当然です。温室効果ガスはこの原理が働く媒体、仲立ちにすぎません。

地球を癒す動機付けとなる「相互共存(インタービーイング)の物語」は、世界を温室効果ガスから救う物語と矛盾しませんし、それに依存することもありません。古い物語に取って代わるのです。ガイアを癒し繁栄させることを務めとする、より大きな人類の物語は、もうはち切れんばかりに高まって主役の座を受け継ごうとしています。それは既に、人々が気候の物語を使って正当化している多くの仕事の背後にある本当の原動力となっています。生態系の修復は気候変動を絡めれば資金と注目を集めるのに弾みが付くでしょうが、先に書いたようにこれは危険な戦略です。本当の動機を受け入れましょう。私たちがこの森を守るのは、森が地球の炭素隔離に有益な役割を果たすからではなく、《この》森への愛から行動しているのを認めましょう。気候についての議論を引き合いに出して証明できるかどうかに関わらず、一つのものの健康が全てのものの健康に寄与すると信じ、私たちが《この》土、《この》湖、《この》入り江、《この》場所への愛から行動しているということを。

私の友人が「カリフォルニア土壌健全化イニシアチブ」に参加した経験をこう書いてきました。「このイニシアチブは土壌を扱う取り組みなのですが、あらゆる環境問題と同じように、資金を得るためには気候変動について活動している振りをしなければなりません。」そうすれば獲得できる資金は増えるかもしれませんが、こういった主張は不自然に見えることが多いものです。右翼のブロガーが気候変動反対運動家には隠された「意図」があると非難するのも不思議ではありません。反対運動家の多くは意図を持っているでしょうが、それは社会主義の「統一世界政府」を樹立したり、ジョージ・ソロスの非道な陰謀を推進したりというようなものではないと思います[1]。それは私たちにとって神聖なものを守ることです。そのために私たちは気候についての議論を使って気候変動が中心にない動機にするのです。

気候活動家の皆さん、聞いてください。気候の恒常性を維持するために生態系が果たす役割を理解することは、炭素物語の枠外で問題を立てることによって懐疑論者の議論を回避し、同盟関係を築けることを意味します。どんな生態系の癒しでも気候を安定化させることをあなた方が理解しているからです。

社会、文化、人間関係、個人の癒しについても同じことが言えます。あらゆることが他の全てのことと繋がっています。数量的な議論ではけっして説明することができませんが、私たちが詩的な心で知っているのは、大気の気候が何らかの形で政治の気候、社会の気候、精神の気候を反映し、また逆に大気はそれらを反映するということです。


注:
[1] 私が何の話をしているのか分からなければ、気候変動について書かれた右翼の記事のコメント欄を読んでください。


(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/hazards-of-the-global-warming-narrative/

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」 
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸


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