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ジカウイルスと、コントロールの心理構造 (チャールズ・アイゼンスタイン)

訳者より:今回のコロナ禍が起きる前から、チャールズ・アイゼンスタインは感染症に対する社会の対応が問題を含んでいることを警告していました。2016年当時に話題に上っていたのはジカウイルスでした。その時に展開したのも、敵を見つけて殺すというお決まりのパターンでした。すると敵は次から次へと現れ、終わりのない戦争をすることになってしまいます。この状況の全体像は、文明を支配するパラダイムから一歩退しりぞかないと見ることができません。


ジカウイルスと、コントロールの心理構造

チャールズ・アイゼンスタイン著
2016年3月

この世界の支配的な制度にとって、ウイルスの存在はとても好都合です。

まずSARSサーズ、続いてH1N1[インフルエンザ]、続いてエボラ、そして今度はジカウイルスに、主流メディアと公的機関はすぐに脅威を認識し、渡航自粛勧告や検疫、研究への出資、ワクチン開発、警戒のレベルアップで対抗しました。しかし、飲料水中の残留医薬品や、農薬汚染、大気と水が汚染されていることによる重金属中毒のような、同じくらい命に関わる他の種類の脅威についての情報は、オルタナティブのメディアへと格下げされるか、無視されるか、公衆衛生当局から厳しく抑圧されることさえあるのが普通です。これはなぜでしょう?

まず思い浮かぶ答は経済的なものです。先の人工的な脅威は巨大な政治的影響力を持つ企業による収益事業の副産物です。もし私たちが生物圏の毒物汚染を徹底的に対策するつもりなら、経済、産業、医療、農業のシステム全体が変わる必要に迫られるでしょう。

もっと深いところでは、ウイルスなどの病原体が私たちの文化の基本的な危機対応のひな形にぴったりとはまるのです。まず特定するのは敵ですが、これは危機の単一の原因をなすもので、次に使える限りのコントロールの技術を全て使い、その敵に戦争を仕掛けます。病原体の場合にコントロールが取る形は、抗生物質や、ワクチン、抗ウイルス剤、沼地の排水や殺虫剤の散布、感染者の隔離、そしておそらくマスクの着用を全員に義務づけたり、屋内に留まったり、旅行を制限したりします。テロリズムの場合にコントロールが取る形は、監視、爆撃、ドローン攻撃、国境警備などです。私たちの直面する危機が何であれ、個人であれ全体であれ、私たちの疑似本能的な傾向はこのパターンの対応を実行することです。

別の見方をすれば、感染症の場合、私たちの社会は何をすれば良いかを知っています(あるいは知っていると思っています)。現れ出る解決策は毎度おなじみのものです。私たちはもうこれまでにやっていることを、もっとやるだけで良いのです。コントロールに基づいた文明の守備範囲をもうちょっと拡大し、これまでコントロールの対象ではなかった物事をコントロールするだけで良いのです。したがって、病気の封じ込めや征服の過程では、社会をコントロールする計略も同時に強化することが多いのです。それが正当化し、行使し、発達させるコントロールの仕組みは、他の目的にも転用可能です。

ジカウイルスの現在の状況は、ブラジルでの小頭症の恐ろしい流行の原因とされていますが、病原体に突進する典型的な例です。検査の結果、ブラジルでの小頭症胎児の確認例の約1割で血液と羊水にウイルスの存在が認められました。しかし、ジカウイルスはコロンビアとベネズエラでも蔓延しており、そこでの小頭症の流行は報告されていません。

この筋書きは数週間前のアルゼンチン医師団による主張で怪しくなってきました。今回の流行は、まったく皮肉なことに、ジカウイルスを媒介するという蚊を殺すことを狙った殺幼虫剤との関連がずっと濃厚だというのです。ピリプロキシフェンと呼ばれるこの殺幼虫剤が投入されたのは、同じ地域にある飲料水の貯水池で、その時期も小頭症の急増と一致していました。

明らかに、病気の原因を外部の病原体に求める方が、政府や大企業が責任を取るより、政治的にはずっと好都合です。人類が自然を乗り超えて上昇するという物語の観点からも、イデオロギーとして都合が良いのです。人間の行為のせいにするのではなく、私たちは自然界から来る別の脅威に向かって進撃することができ、それをテクノロジーによる解決法で克服しなければならないのです。それは私たちの文化になじみが深いものです。私たちの政府機関はどうすれば良いかを知っていて、その能力を発揮して存在意義を示します。

しかし、ピリプロキシフェンが小頭症の「原因」だと断定することについても用心しましょう。一つには、性急に殺虫剤のせいにすることは、性急にウイルスのせいにするのと大して変わりません。同じようにコントロールのイデオロギーと敵を倒す心理構造メンタリティーに当てはまります。じつは、小頭症は殺虫剤が飲料水に混入していない地域でも発生しているほか、ピリプロキシフェンは世界中で広く使われています。それを犯人と断定するのは弱い状況証拠による主張です。

前の文(「犯人と断定…」)に、私は問題の根本にある前提を忍び込ませました。私は単一の犯人、単一の原因の存在を想定しています。ウイルスであれ化学物質であれ、それがコントロールの対象、戦いの相手になります。ウイルスが相手であれ州政府や薬品会社が相手であれ、勝利への道は明らかです。

コントロールのイデオロギーが依存しているのは還元主義であり、理想的には問題を単一の原因に落とし込むことです。複数要因の非線形で創発的な問題に、還元主義的な戦略は効果がありません。ですから、ピリプロキシフェンの飲料水への使用を即刻禁止すべきなのは疑いようもないことですが、小頭症の流行が止まったとしても、これまで通りのやり方を続け、直線的な因果関係で考え続けていいということではありません。もしかすると奇形の原因はジカウイルスとピリプロキシフェンの組み合わせではないでしょうか? あるいは問題の化学物質が直接の原因ではないものの、体内で第三の物質の影響を増大させたのではないでしょうか? あるいはその化学物質が水生生物の生態系を私たちが知らない何らかの形で撹乱し、別の未知の環境リスク要因の影響を高めたのかもしれません。私たちには分からないのです。

私たちが問うべきなのはこのようなことです。「(飲料水だけでなく)どこであれ水中の幼虫を殺すと起きる生態系の撹乱とは何でしょう?」「何千種もの人工化学物質が生物圏や私たちの体に入ると起きる累積効果や相乗効果は何でしょう?」「安全性を試験する通常の手段が、試験対象以外の変数を全て一定にコントロールすることだというなら、どうやって安全性についての決定を下すのでしょう?」ほら、コントロールのパラダイムは科学知識を生み出す最重要の公式にまで及んでいます。変数を分離して影響を試験する、です。

私たちがホリスティックな見方で考え始めるまで、次から次へと襲う敵をかわしてよろめきながら、病を悪化させてでも永遠に症状を抑え続けるでしょう。先の問いには簡単な答がありませんが、第一歩として好ましいのは、敵を支配し、「他者」をコントロールし、自己を征服するパラダイムから身を引いて、そのパラダイムから私たちが行う全てのことを新鮮な目で見ることでしょう。ドローン、刑務所、警備国家、戦争マシーン、抗生物質、殺虫剤、遺伝子操作、向精神薬、負債返済による搾取…。支配が(それは「他者化」された自己の一部への支配も含んでいて)私たちの文明に行き渡っていますが、今はもう上手く働かなくなっています。


原文リンク:https://charleseisenstein.org/essays/zika-and-the-mentality-of-control/

【日本語訳】書籍『コロネーション』目次
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