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生きている世界への架け橋

(お読み下さい:訳者からのお知らせ)


私たちに課せられた通過儀礼の深さを知るなら、ここから実際問題としてどこへ向かえばいいのでしょう? 感覚や経験を超越した世界から政策の世界への架け橋がなければ、私たちは「相互共存の物語」を単なる哲学にしてしまう危険を冒すことになります。

この架け橋はとても大きな断絶を橋渡しする必要があります。「大地の声」のような概念は、現在の公共政策を議論する文脈では明らかに馬鹿げたものと映ります。

断絶の一方の側には地球を速やかに癒していくのに必要な解決策があります。その世界を訪れた人は、非常に大きな希望を感じます。2018年の初めに私が訪問したオクシデンタル・アーツ&エコロジー・センター(OAEC)は、聡明で多弁なブロック・ドルマンが代表を務めていますが、そこで私は地球の生態系破壊の道筋を急速に反転できる手法を実際に目にしました。数多くの層からなる混農林業(アグロフォレストリー)、在来種の復元、保水のための土木構造、コンポストトイレ…、このどれも非現実的な空想などではありません。私の目の前に、確かにあったのです。私の心が予言していた美しい世界は、実行可能な現実と一致しているということが、そのとき私には分かりました。

断絶のもう一方の側には、大きな勢力を持つ手法、政策、知覚があります。私がOAECにいると美しい世界が現実に見え、ブロックの知識と知性に耳を傾けると必然であるように思えるのですが、実際にはOAECは非主流派の中の非主流派です。そこで30年にわたって実践しているパーマカルチャーの原則は、農務長官の目には全く魅力の無いものとしか映りません。OAECの予算は農産複合体の予算の0.001%以下です。本書が主張してきたように、進歩的な層の注目を引くような対応策の多くは、商業ベースの有機農業や再生可能エネルギーのように、依然として深いところでは従来型のもので、問題の原因となった信念や手法が詰め込まれています。

それでも、この2つの世界の断絶が縮小しているのは、私たちの文明の地殻が動いているから、つまり神話、価値観、無意識の合意が変化しているからです。それらが変化すると、以前なら非現実的だった提案が、現実性の橋を架けられる距離まで近付いてきます。確かに、私がこの章でまとめる対策は執筆時点でまだ極めて実現困難に見えますが、それでもここに提示するのには3つの理由があります。(1)集団意識は、それが「非主流派の中の非主流派」から単なる非主流派になり、危機と破局の後に来る政策の空白を埋めても良いと思っていて、(2)その多くは幅広い社会的合意や制度的な承認が無くても革新的な人々や慈善家、土地所有者の手によって今すぐ小規模で実施でき、(3)これ以下の対策では全く不十分だからです。全く何も変えないのに等しいほど狭い「現実性」に、なぜ屈服するのでしょうか?

私たちが針路変更し、第7章の「コンクリートの世界」ではなく生きている世界に向かって進むのなら、この先の数十年に必要となる政策と変化のいくつかを、ここに挙げます。明らかにその多くは本書のテーマから必然的に導かれるものですが、なぜ地球の癒しに不可欠なのか説明がいくらか必要な2つは最後に回します。大量収監の廃絶やユニバーサル・ベーシックインカムの実施のように、長期的な生態系への恩恵が(強力ではあっても)間接的でしかない重要な改革は、ここでは割愛します。

1. 土地再生を慈善事業の新しい重要カテゴリーとして奨励する。実証プロジェクトに出資し、若手農家を土地につなげ、農家が再生型農法に移行するのを支援する。このような移行に公的補助と政府支援を提供し、従来型の作物への農業補助金を減らす。
2. 森林伐採、鉱山採掘、油田掘削、残っている全ての原生林や湿地帯などの生態系の開発にモラトリアム(一時禁止)を設ける。
3. 野生生物の保護区などとして保護する土地を拡大する。可能なら、保護事業に地域の人々や先住民の協力を求め、彼らの生活と生態系の健全性を両立させる。
4. 新たな海洋保護区を制定し、既存の保護区を拡大して、海洋、河口、海岸全体の3分の1から半分を採取禁止・掘削禁止・開発禁止の保護区域にすることを目標とする。
5. その他の海洋では、流し網と底引き網を厳しく禁止する。
6. プラスチックの使い捨てレジ袋を禁止する。プラスチック飲料容器を段階的に廃止し、再使用可能なビン容器のシステムを支持する。
7. 世界銀行を開発ではなく生態系の癒しに貢献できるよう再構成する。手始めにアマゾンとコンゴの熱帯雨林を地球の宝と宣言し、熱帯雨林が生育する国々の対外負債を買い上げ、その地域で禁止した伐採や採掘・掘削からの潜在的な収入に等しい率で債務を救済する。
8. 全世界で生態学的に適切な在来種を重視した植林と森林再生事業を奨励する。
9. 「エコ部隊」を設立し、若者の失業を対策し生態系の健康を回復させるため、木を植え、公有地に保水のための土木構造を建設し、ダムの解体などを行う。
10. 建築基準、衛生基準、土地利用規制を変えて、高密度の住宅団地、小さな家、コンポストトイレ、アクアカルチャー(養魚と水栽培を組み合わせた)水処理などを可能にする。家庭菜園を禁止する条例は全て無効にする。
11. 中枢種(北米ではビーバー、オオカミ、クーガーなど)を再導入し保護する。
12. 保水修景(等高線状の畝、池、砂防ダムなど)、再生型放牧と園芸、ダムの戦略的撤去、運河、堤防によって、全世界で水系修復事業を実施する。
13. 食料生産システムを再局地化し経済の局地化全般を奨励する。手始めに自由貿易協定を無効化し、代わりに地域経済の主権を守る「フェアトレード条約」を設ける。
14. 国際合意によってマイナス金利金融システムを制定し、銀行の支払準備金に流動性課賦金を掛け、ジョージ主義の地価税などの反投機税のような補完的手段もあわせて用いる。
15. 汚染税を掛けて、有毒廃棄物、放射性廃棄物、大気汚染、水質汚染の社会・生態系へのコストを企業に内部化させる。
16. 工業製品のほとんどにデポジット制を義務化し、耐久性があり修理可能な製品を容易に回収できる素材で作る動機を製造業者に与える。

17. 農薬の使用から脱却する。

従来の気候の物語では、農薬は生物圏の運命とは実質的に無関係です。でも生きている地球の物語では違います。

第3章で私は現在進行中の昆虫大虐殺のことを書きましたが、この言葉を私は軽々しく使いません。ヨーロッパからオーストラリア、南北アメリカ大陸まで、昆虫バイオマスは急激に減少していて、多くの科学者はこの現象の原因を殺虫剤の使用が過去80年にわたって増加してきたことにあるとしています。特に憂慮すべきなのは悪名高いネオニコチノイドで、現在もっとも大量に使われている殺虫剤です。一般的には長寿命なので、この化学物質は環境中に浸透し、花の蜜や花粉、地下水、土壌に現れます。

ミツバチなどの受粉昆虫の場合を除き、この殺虫剤が昆虫大虐殺の原因だという直接の証拠はありませんが、バイオマス量の減少率では90%に達した地域もあります。ほとんどの研究がこの殺虫剤を作っているのと同じ会社から出資を受けていることを考えれば、証拠が乏しいのも驚くことではありません。さらに、現在の研究方法は単一原因の現象を解明するために作られていますが、昆虫の減少はおそらく、生息地の破壊、土壌の荒廃、干ばつ、他の形の化学物質汚染など、複数の相乗的な原因によるものです。しかし昆虫にとっては、殺虫剤こそが問題の要なのは間違いありません。

昆虫はほぼ全ての食物連鎖に不可欠な部分を占めていて、植物の生活環を助けてもいます。昆虫と菌類、バクテリア、ミミズ、植物、脊椎動物の間の数え切れない共生関係が、生命の網の目を維持しています。農薬はこのような他の生き物を、昆虫に対する害を通してだけでなく、直接的にも傷つけます。ネオニコチノイド以外に、現在もうひとつの悪名高い農薬が除草剤のグリホサートで、その生態系への影響は使われた場所と時間から遠く離れたところまで広がります。

簡単にいえば、絶え間なく毒を放り込むことで生物圏に何が起きるか見る実験を、私たちは80年にわたって続けてきたのです。生命には復元力があるので、最初はその影響に気付くことも難しかったのが、今ではその影響が積み重なって臨界点に達しました。

農薬の使用からの脱却は、農業の全面的な脱工業化を必然的に伴い、特に単一作物栽培を止めなければなりません。この変化は一夜にして可能なものではないので、今すぐ大規模に始める必要があります。一夜で可能なことといえば、農業以外の目的での農薬使用を完全に禁止することです。芝生用の農薬、花壇用の殺虫剤、都市公園でのグリホサート使用などです。森林と湿地の破壊を別にすれば、農薬は私たちが直面する最も緊急の環境問題でしょう。昆虫の大量殺戮は冗談などではありません。昆虫は最も基本的な生命体で、生きている地球の根本的な身体組織です。もし私たちが生きている(特に健全な気候をもった)地球を望むなら、私たちは生物消滅に込められたメッセージに耳を傾け、今すぐ何かをする必要があります。

18. 社会を非武装化する。

ことわざにあるように、二人の主人に同時に仕えることはできません。人や社会が二つの矛盾する目標に仕えるとき、やがてその矛盾は選択点や別れ道、確認テストという形で表面に浮上します。

軍隊が仕える最重要の目標とは何でしょう? 従来は国民国家の利益でしたが、現在はどちらかといえば多国籍資本の利益でしょう。より深いレベルでは、力を通して支配のパラダイムに仕えます。したがって非武装化は文明が優先順位を変える必然的な指標であり兆候なのです。戦争では、最優先されるのは敵を打ち負かすことで、その他のことは全て犠牲にする必要があるかもしれません。戦争では、油田やパイプライン、工場などの爆撃に環境への配慮が入り込むことを国家は許しません。空軍は化石燃料を節約するため爆撃距離を制限したりしません。陸軍は地下水汚染を恐れて劣化ウラン弾の使用を控えたりしません。軍隊は別の主人に仕えているので、別のことが優先されるのです。

環境危機が私たちに促すのは、優先順位を変えて地球の癒しを第一にし、生態系と社会の癒しをあらゆる政治決定の最上位の条件にすることです。反対に軍人精神は敵を打ち負かすことを第一にします。もっとはっきりいえば、軍隊はべらぼうな量のエネルギー、原材料、資金、人的才能を吸い取ります。最高の科学者や技術者が何万人も、兵器の開発に一生をかけて取り組みます。何百万人もの健康で有能な理想主義の若者が軍隊に入ります。そしてもちろん、兵器に浪費される資金があれば、おそらく本書の他の提案すべての資金をまかなうのに十分です。

そこに捧げられる膨大な人間の努力を代表して軍隊が体現している目標は、支配による幸福と進歩ですが、その目標自体が軍隊を特徴付ける「分断の物語」から発生しているのです。非武装化は優先順位とその下にある物語が大規模に変化する指標です。

個人の人生と同じように、心理的変化が本当であるように見え、また実際に本当であるためには、具体的な行動を伴うことが必要です。非武装化、つまり基地の閉鎖や兵器工場の再編成、兵員の再訓練などは、全てが以前とは変わったことを集団意識に示すための集団的な儀式です。

非武装化が解放する資源とエネルギーを数値化するかわりに、私たちは岐路に立っているという皆さんの直感に、私は訴えます。戦争か平和か? 愛か恐怖か? 支配か奉仕か? 軍産複合体を残したままでは、本当の地球の癒しを見ることはないでしょう。もし私たちがもっと美しい世界に生きようとするなら、従来どおりの活動の中心的な特徴を手放さなければなりません。最初の一歩として非武装化より重要なものが他にあるでしょうか?

ここで留意すべきなのは、私が炭素税をこの提案の中に含めなかったことです。その理由は、(1)化石燃料使用量の大幅な削減は、広大な新しい海洋保護区と森林保護区を作り、様々な汚染税と水系修復事業を実施すれば、結果として必然的に起きること、(2)再生型農業と森林再生が大量の炭素を隔離すること、(3)炭素税は生態系を破壊する大規模水力発電やバイオ燃料プランテーションなどを推進する正反対の動機を作り出すことです。高い濃度の温室効果ガスはすでに障害を負った生物圏に追加のストレスを与えますが、最大の問題は生命の窮乏化と水循環の荒廃だということを、本書では主張してきました。でももしそれが間違っていたとしても、私が説明した方策は炭素を主要な枠組みとせずに炭素濃度の引き下げを実現するでしょう。

これらの方策はカーボンニュートラルなエネルギーに移行するよりずっと野心的なものです。それが「一夜にして実現するものではない」と私は言いそうになりましたが、その表現にはあまりこだわらないことにしましょう。変化の過程には見かけの停滞が長く続くことがよくあり、目に見える上部構造がこれまで以上に強く永遠に続くように見えても、その間に見えない構造が変化していきます。実際には、それは白蟻に蝕まれた建物のようなもので、崩壊は一夜にして起きるのです。

そうであっても、変化の多くは新たな物語の立場からしか意味を持ちません。発芽し、花開き、実を結ぶまでには時間がかかります。行動の緊急性は大いに結構なことだと思いますが、この緊急性とともに必要なのが、開花するまで何世代もかかるようなものごとを行う忍耐です。上にたくさん書いたような、すぐに結果の出ることをするのは必要ですが、私たちはゆっくりと結果の出るようなこともする必要があります。あなたなら何をしますか?あなたの住んでいるところでプラスチック袋の禁止運動をしたいですか? 海洋保護区の制定を呼びかけますか? パイプラインやフラッキング掘削を止めますか? それともあなたが強く望むのは目に見える恩恵が生態系に現れるまで何世代もかかるようなものですか? もしかするとトラウマを生き延びた人を支えることですか?難民の支援ですか?ホリスティック助産術を実践することですか? 非行や虐待の危険にある若者の相談相手となることですか? 大人になるまでに抱える苦痛をあなた自身の時より少しでも減らすように子育てをすることですか? このような物事が文化の土壌を豊かにし、その上に新しいパラダイムと政策が育ちます。さらに、そのような物事は、たとえば水系修復や熱帯雨林保護への明らかで短期的な関連はありませんが、それがある意味で不可欠だと私には分かります。それらは私たちが生きたいと思うような世界の宣言であり、生きている世界に私たちを寄り添わせてくれる祈りなのです。

私が説明してきた政策や手法は全て今すぐ手の届くところにあります。「緑の世界」というビジョンは空想ではありませんが、かといって現実的でもありません。それが何かと言えば、可能性です。そのためには私たちの一人一人が、成功の保証もなく理性を超えてでも、私たちだけにできる貢献をするために、自らを捧げることが必要なのです。癒された世界、緑が回復した世界、より美しい世界が本当に可能なのだと私たちが分かっていることを、私たちは信頼することが必要なのです。本書はその呼び声を大きく拡げ、あなたがその可能性に導かれる助けになればと思います。


(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/bridge-to-a-living-world/

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」 
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸


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