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森林と樹木

(お読み下さい:訳者からのお知らせ)


生きている惑星は復元力のある惑星で、大気ガス成分の変動や、火山噴火、小惑星の衝突、太陽活動の変動などの困難にも対処することができます。標準的な気候理論によると、森林が気温に与える影響は曖昧なもので、裸地に比べて多くの日光を吸収して温暖化に寄与しますが、炭素を貯蔵して寒冷化にも寄与します。最近の研究では、森林は従来考えられていたよりもずっと多くの炭素を貯蔵・隔離することを示すようになってきました。ある論文によると、もし私たちが現在のスピードで森林破壊を続ければ、たとえ一夜にして化石燃料を撤廃したとしても、地球は1.5℃温暖化するでしょう[1]。この計算には森林破壊で失われる炭素隔離能力のことは入っておらず、森林から失われるバイオマスと露出した土壌から放出される炭素だけで見積もったものです。(森林破壊で露出した土壌は熱と浸食にさらされ、二酸化炭素の大量排出につながります。)

炭素の観点から見ただけでも、森林保護と森林再生には現在よりはるかに高い優先順位を与えるべきです。水のレンズを通して見ると、その重要性は一層高いものとなります。

森林は水分を蓄えて蒸散させるので、太陽放射熱を水蒸気の「潜熱」に変換します。この熱の一部は夜間に水蒸気が結露するときに再び放出されますが、水蒸気の大部分は上空で雲となり、地表から大気へと熱を伝達します。水分が凝結して雲になるとき、熱は再び放出されます。その熱のうち、どれだけが宇宙に向かって放射され、どれだけが地上に戻るかは、異論の多い問題です。雲の効果は気候モデリングでは最も重要で論争の的になっている変数のひとつです[2]。しかし、森林の蒸散が少なくとも局地的・地域的レベルでは冷却効果を持つことに、疑問の余地はほとんどなく、地球レベルで同じことがいえるという強力な論拠もあります。

直感的には、森の中ではずっと涼しいのは誰でも知っています(日中は涼しく、夜間は少し暖かいのです)。研究結果はこの常識を裏付けています。チェコ共和国の研究では、太陽放射強度の高い条件で(つまり晴天の日に)、湿潤な牧草地と、刈り取った牧草地、アスファルト、森林、まばらな草木、開けた水面からなる隣り合った土地区画で気温を比較しました。湿潤な牧草地と、湖、森林の気温は30℃以下で、刈り取った牧草地は40℃以上、アスファルト上の気温は50℃近くになりました[3]。

これは局地的な効果ですが、森林は地域の冷涼化を起こすことも明らかです。ケニアを覆っていた森林のほとんどは過去半世紀のあいだに失われてしまいましたが、絶え間ない干ばつと高温にも苦しめられています。森林内で日中の気温が19℃になるケニアの地域で、最近伐採された近隣の農地は50℃にもなります[4]。アマゾン川流域地帯では、放牧地の気温はアルベドが高いにもかかわらず森林地帯より(昼夜を総合して)平均1.5℃高いことが分かりました[5]。スマトラ島でアブラヤシのプランテーションのため伐採された土地では、近くの熱帯雨林より気温が10℃高く、ヤシの木が大きくなっても気温は高いままでした[6]。

本物の生きた森林が水循環と複雑に相互作用する有り様は、科学による解明が始まったばかりです。その一つは、湿気を雨に変えることで起きます。大気中の水蒸気は雨となって降るとは限りませんが、「湿った干ばつ」と呼ばれる状態で煙霧(もや)となって漂うことがあります。煙霧ができる理由の一つに、小さな凝縮核が多すぎて、水滴が雨となって落ちるほどに大きくなれないことがあります[7]。大気汚染物質や、森林火災の煙、乾燥した土壌の舞い上がった埃などが煙霧のできる原因です。森林上空の凝縮核は主に生命活動から発生したもので、枯れた植物の細片や、バクテリア、菌類の胞子、植物が放出する揮発性有機化合物からできる二次有機エアロゾルなどがあります[8]。これらが煙霧ではなく雲の形成を促し、非生物の凝縮核よりも高い温度で雲を作ることができます[9]。最近の研究で、森林上空とその周辺では雲量が増加することが確かめられました[10]。この低くて厚い雲には、高高度の雲より大きな冷却効果があります。ある研究者によると、森林が作る雲でアルベドが1%増加すれば、人為的温室効果ガスの排出による温暖化は全て帳消しになるでしょう[11]。

その一方、森林の無いところで発生する煙霧は強力な温室効果を生みます。煙霧は日光を通しますが、地表を断熱層で覆い、夜間に熱が宇宙に向けて放射されるのを妨げます。その結果、猛烈に蒸し暑くなりますが、雨は降りません。このことは、生命が生命生存のための条件を作るという原理を実証しています。

雲の凝縮核として働くバクテリアの中には、雲の種となるために専用設計されたとしか思えないようなものもあります。最も研究が進んでいるシュードモナス・シリンガエは、普通よりも高い温度で(つまり低い高度で)雲ができるようにする氷核タンパク質を含んでいます。これは世界中で見つかっていますが、その起源は植物の病原体です[12]。氷核タンパク質によって霜害を起こした植物は、バクテリアにとって餌にしやすくなります。不吉なことに、作物学者はシュードモナス・シリンガエの株が氷核タンパク質を持たないようにする遺伝子操作に取り組んでいます。これは制御に基づく典型的なアプローチで、降雨パターンを変え気候変動を激化させるという全く予期せぬ結果につながる可能性があります。

森林破壊は、干ばつ、異常気象、さらなる森林破壊という悪循環の引き金となります。水循環を良く知ると、その理由がはっきり分かります。健全な水循環の中では、海から蒸発した水は大陸上に移動し、そこで雨となって降ります。降水量のうち直接地表を流れるのはごく一部で、ほとんどは土壌と植物に吸収されますが、いくらかは地下水脈へと浸透し、いずれ泉となって地表に湧き出して小川や河川になります。水が土壌や地下水帯に入ると、植物、とりわけ樹木によって絶え間なく空気中に蒸散されるので、乾季の間も雨の源となります。地域にもよりますが、雨の約30〜90%は海から直接きたものではなく、土壌と植生から蒸発散される水に由来します。

地球上の広大な地域で、樹木は土壌が雨水を吸収する能力のために不可欠のものです。

・落ち葉の層が水を吸収し、水分がすぐに蒸発するのを防ぐ。.
・林冠の作る木陰が蒸発を遅らせる。
・樹木と森林内の動物相が土の空隙率を増大し、水を浸透させる。
・樹木の根と下層植生が土壌の浸食を防ぐ。

いっぽう、森林破壊は土壌浸食につながり、土地が水を吸収する能力を減退させ、その結果大雨の後で起きる洪水は悪化します。さらに、地下深くから水分を吸い上げる木の根が無くなると大気に水分を補給することができなくなり、干ばつは長期化し深刻化する傾向になります。すると今度は残っている森林の受けるストレスが増し、火災や病気に弱くなります。ひとたび雨が降ると、干上がった土地を流れ下り、土壌を運び去ってしまいます。

森林破壊は別の方法でも大気の循環を変えてしまいます。森林破壊によって強い上昇気流が起きて高い雲ができると、総雨量は減りますが雨の強さが増して、すでに起きている周期的な干ばつと洪水がさらに悪化します[13]。信頼できる降雨から干ばつと洪水というパターンへの変化は、すでに述べた「気候撹乱」の実例となるもので、あからさまな地球温暖化より深刻な脅威になるかもしれません。気象パターンが変化するだけでなく、そのような変化に地球が対処する能力が減退するのです。

事態はさらに悪化します。森林は海で発生した水分をリサイクルするだけではなく、実際に風のパターンを作り出していることは明らかで、そもそもこれが海から水を運ぶのです。森林が雨を呼ぶというのは世界中で当たり前に信じられてきたことですが、長らく科学者はこの考えをばかにしてきました。豊富な降水量のあるところに森林が育つのであって、森林が降雨を起こすのではないのだと科学者はいいました。雨をもたらすのは、極地と赤道の温度差や地球の自転などの要因から起きる大規模な機械論的プロセスに支配された風なのだと。今この見方は変わろうとしています。

ここ数十年のあいだに、「生物ポンプ」と呼ばれる科学理論が注目されるようなっており、これは森林が雨を呼ぶという世界中に広く存在する地域固有の知恵が正当だと確認するものです。この理論は2006年にロシアの物理学者V・G・ゴルシコフとA・M・マカリエヴァが初めて提唱したもので、大森林、とくに原生林からの蒸発散で水蒸気が上昇し凝結すると低気圧が作られるというものです[14]。風は一般的に高気圧地帯から低気圧地帯に向かって吹くので、湿気を含んだ海からの風は森林のある大陸内部に引き込まれ、これが雨をもたらし森林を維持します[15]。森林のある大陸は信頼できる豊富な雨が大陸の奥深くまで降るのはこういう理由があるからで、アマゾン川流域地帯や東南アジア、アフリカ、シベリアでは森林破壊が危機的状況に近付くにつれ雨が降らなくなってきているのもこれが理由です。

古くからの定説が学問分野の門外漢に(ゴルシコフとマカリエヴァは原子核物理学者で、大気物理学者ではありません)脅かされる場合にはよくあることですが、この理論は激しい論争を巻き起こしました。また、実験的にもコンピューターモデルでも証明することは困難で、さらに従来の気候モデルは極めて重要なプロセスを無視していることを意味します。世界中で進む森林破壊の激しさを考えると、警戒すべき意味合いも持っています。たとえば、アマゾン川流域地帯の森林破壊で起きる降雨の減少は従来のモデルが予測する15%とか30%どころではなく、90%にも達するのです[16]。これが意味するのは、アマゾン川流域地帯がサバンナではなく砂漠に変わってしまうということです。

生物ポンプの間接的な証拠は数多くあり、シベリアからオーストラリア、インドネシア、中央アメリカまで、森林破壊に伴って干ばつと降雨量の減少という形で現れています。アマゾンの総雨量は1975年から2003年までの間に毎年平均0.3%減少し[17]、森林破壊の速度と直接的に関係しながら、ついには2005年、2010年、2015年に深刻な干ばつが発生しました。さらに最近では、降雨パターンと同位体分析に基づいて直接的な証拠も蓄積されてきました[18]。この理論は今でも気候学に強い影響力を持つ機械論的な偏見を否定しますが、その一方で生きている地球の視点とは深く共鳴するものです。ここでもまた、生命が生命生存のための条件を作るのです。

従来の炭素の枠組みでさえ、熱帯雨林の保護は炭素の貯蔵と隔離のため高い重要度を与えるべきだといえます。生きているシステムの枠組みでは、森林の保護と修復は最も緊急を要する事柄です。現在、従来の環境保護主義が第一優先にしているのは排出量削減ですが、それは都合の良い問題で、技術の前進というおなじみの物語の青写真にすっぽりと収まります。でも生態系の危機は投入物をいくつか調整したところで解決しません。私たちに呼びかけられているのは、自然との深い結びつきを取り戻し、あらゆる生命を尊重することです。

いくつもの極めて重要な森林が、死のスパイラルに突入しようとしています。森林破壊が干ばつを引き起こし、干ばつがさらに多くの森林破壊を引き起こします。私たちが始めなければならないのは、あたかも森林が神聖なものであるかのように森林を守り(でも本当に神聖なのです)、あたかも私たちの生命が森林に依存しているかのように傷付いた森林を修復することです(でも本当に依存しているのです)。

森林と水と生命の繋がりは、大地との深い繋がりの中に生きる人たちには常に明らかなことでした。ヤノマミ族のシャーマン、ダビ・コペナワは、水循環の破壊を次のように言い表します。

私たちはけっして地球の皮膚をはぎ取ったりはしない。私たちはその表面を耕すだけだ。なぜなら、そこに豊かさがあるからだ。そうすることで、私たちは先祖の道に従うのだ。森の中では木々の葉や花が尽きることなく落ちて地表に積もる。これが匂いと成長の価値を与える。だが大地が干上がり小川が地下深くに姿を消すと、この匂いはすぐに消えてしまう。そうなのだ。ワリ・マヒ(カポック)の木やハワリ・ヒ(ブラジルナッツ)の木のような高い木々を切り倒すや否や、森の土は固く熱くなってしまう。雨水を呼び寄せて地中に蓄えるのは、こういう巨木なのだ。… 白人が植える、マンゴーやココナツ、オレンジ、カシューの木は、雨を呼ぶ方法を知らないのだ[19]。

最後の一文に注目してください。森は単なる木々の集まり以上のものだと強く主張しています。私たちも森を生き物として見なければ、森を生き物として扱うということが、はたして私たちに有りうるでしょうか?

私たちが地球を生き物と見るなら、森を生命の維持に不可欠な臓器の一つと見るなら、森を保護し再生させることの必要性は否定のしようがありません。私たちが水を生きている地球の血や体液と見るなら、水を守り敬うことの必要性は明らかです。人体にも同じことが言えます。人体というシステムが、一致団結し、知性を持ち、生きているということを理解すれば、あなたにとって肺や、肝臓や、虫垂や、扁桃腺が無くてはならない必要なものだと納得するために、生理学的な理由付けなど必要ありません。ある臓器が何の役にも立たず、切り取ったところで全身に与える影響など何もないと想像できるのは、機械論的な見方だけです。現在ついに、このことに気付いた見識ある医師が増え、当たり前のように虫垂や扁桃腺を切除し親知らずを抜くような70年来の医療の流行を覆そうとしています。ガイアの体にも同じように接する時が来たのではないでしょうか?


注:
[1] マホーワルドら(2017)。

[2] 一般的にいえば、雲頂の低い雲はより多くの熱を宇宙に放射します。トレンバースとステパニアク(2004)を参照。

[3] これらの知見を示す画像はエリソン(2017)を参照。その初出はヘスレローヴァら(2013)。

[4] シュワーツ(2013)。

[5] ラニアン、ドドリコ(2016)。

[6] サバホら(2017)。

[7] ラニアン、ドドリコ(2016)p. 62。

[8] 同上。

[9] トンプソン(2008)。

[10] テウリングら(2017)。

[11] ジェーネ(2007)。

[12] シアマイヤー(2008)。

[13] シェルンフーバー(2004)p. 253。

[14] この理論とその重要性への入門として私が読んだ中で最も良いものは、ハンス(2012)中での著者との対談です。

[15] ゴルシコフ、マカリエヴァ(2006)。

[16] シュワーツ(2013)。

[17] クルクー(2009)。

[18] たとえばアンジェリーニら(2011)、アンドリッチ、イムバーガー(2013)を参照。

[19] コペナワ、アルバート(2013)。


(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/the-forests-and-the-trees/

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」 
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸


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