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ガイアの器官

(お読み下さい:訳者からのお知らせ)


ガイアの生命維持に不可欠な器官が森林だけでないのは確かです。生命が生命の条件を作るという原理を基にすれば、最も重要な器官は、生命が最も豊富に存在するところです。森林や、湿地帯、河口、サンゴ礁、そして動物の巨大な群れが棲む豊かな草原。これらはみな世界中で急速に衰退していますが、その一方で砂漠や酸欠海域のような生物相の乏しい場所が拡大しています。

炭素原理主義のパラダイムによって、膨大な炭素を貯留・隔離できる湿地帯や森林、藻場、プレーリーに脚光が当たりました。アメリカ中西部の厚さ3メートルもある表土は、その能力の証拠であるとともに、土地を耕して剥き出しになった土壌が浸食され有機物が酸化されて二酸化炭素になるという破滅的な影響をも証明しています。次章では、耕地と共に森林以外の生態系を炭素のレンズを通して見ていきます。

炭素ごしに水とその向こうを見わたすと、これらの生態系が地球にとって極めて重要なのがより一層はっきり見えてきます。手付かずの草原は多くの点で森と同じような働きを持っていて、雨水を良く吸収して土壌を守り、洪水を防ぎ、干ばつを和らげ、雲の形成を促し、地下水を作ります。厚い芝土の層は雨の衝撃を和らげて土を浸食から守り、根が長い時間をかけて蓄える炭素質の土壌有機物は雨水をスポンジのように吸収して有機分子に結び付けるので蒸発も遅らせます。

森林が単なる樹木の集まり以上のものであるように、草地は単に草がたくさん生えているだけではありません。それは生きている生態系で、様々な草食動物、捕食動物、無脊椎動物を含んでいます。ミミズは土に空気を通し、雨水を蓄える腐植の団粒を作ります。動物の群れは丈高の草を刈り取り、踏み締め、施肥をして、それが作る根覆いの層は、やがて土壌となります。菌類はミミズやバクテリア、植物の根、昆虫を結び合わせて複雑なコミュニティーを作り、養分を循環させ、化学物質によって情報を交換します。草地の構成メンバーたちはみんな生きていて、その総体もまた生きているのです。

もし森林、草原、湿地帯、サンゴ礁などがガイアの生命維持に不可欠な器官であるなら、おそらく生物種はガイアの細胞や組織だと見ることができるでしょう。炭素循環や水循環への目に見える直接の影響はないかもしれませんが、それでも影響はあるのかもしれません。古いナバホ族の諺にこうあります。「プレーリードッグがいなければ、雨を呼ぶために鳴く者はいなくなる。」露骨な迷信のように見えますが、19世紀にプレーリードッグをほぼ根絶してしまった時期は、実際にアメリカ南西部で雨量が減少した時期と一致していたのです。そして今、ナバホ族が信じていたことはけっして迷信などではなく、生態的水文学すいもんがくへの鋭い洞察だったということが分かります。パーマカルチャー運動の指導者ビル・モリソンはこう書きました。「この話を面白いと思った科学者は、プレーリードッグと雨の間には考えられる限り何も関係はないと知っていたので、1950年代に砂漠地帯を放牧地にしようと植物を植えた場所で、『わずかな砂漠の草を守るため』穴にすむ動物を全て退治するよう勧告しました。現在その地域は事実上の荒れ地になってしまいました[20]。」モリソンはプレーリードッグなどの動物の巣穴は肺胞のようなものだという説明をしています。月が頭上を通過すると、潮汐力で地下水が地表に向けて引き上げられ、雨となる水分を供給します。ジュディス・シュワーツは、プレーリードッグのトンネルが雨水の地下浸透を助けて流失を防ぎ、地下水を補充することも付け加えています[21]。プレーリードッグは水を独占するメスキート[南米原産のマメ科の木で成長が早く乾燥に強い]も駆除します。

湿地帯はその名が示すように健全な水循環のためにも欠かせないものです。湿地帯は陸から海への水の流れを遅らせて、時間をかけて流れるあいだに地下水へと浸透させ、また大気へと蒸発した水は雨の源になります。湿地帯は人間が農業のために干拓したので歴史を通して減少を続け、それは今も続いています。現在の北米の風景には小川や河川があって、水は決まった水路を流れるようになっていますが、これは実は大地を激しく造り変えた結果なのです。研究者のスティーブ・アプフェルバウムによると、「現在は一次、二次、三次河川と識別されている場所の多くが、米国公有地管理局の最初の土地測量の記録では、植生湿原、湿地帯、湿潤プレーリー、沼地とされていました[22]。」(蛇行する河川を船舶航行のために直線化するような)土木工事や、ビーバーをほぼ根絶してしまった結果、陸から海へのゆっくりとした水の流れは大幅に加速されました。川の流れは桁違いに速くなったのです。地球全体で見ると、水を陸が受け取るよりも速く失っていることを意味していて、干ばつは不可避となり、海面上昇につながります。

皮肉なことに、大型水力発電は川の流れをひどく乱すので、最近の湿地破壊の大部分は気候変動と戦うという名目で起きています。アフリカのサヘル[サハラ砂漠南縁の地域]には、かつて信じられないほどの生物多様性をもつ巨大で肥沃な湿地帯があって、季節性の洪水氾濫で潤されていました。湿地帯の急激な減少は、開発機関が発電と治水のため推進するダム建設の時代が1980年代に始まった時から続いています。その結果、チャド湖はもとの面積の5%しかありません。続いて社会混乱が起き、ボコ・ハラム[ナイジェリアのイスラム武装集団]とヨーロッパへの移民の波をあおりました。この次に控えているニジェール内陸デルタは、ベルギーと同じ大きさの巨大な湿地で、ギニアの新しい巨大ダム計画による危険が迫っています[23]。『イェール大学・環境360』への寄稿で、フレッド・ピアスは次のように観察します。「干上がった湿地帯は気候変動の結果だとしばしば非難されますが、本当の原因は川の流れへの人間の干渉が増えたせいであることが多いのです[24]。」途上国開発の基本的戦略を問題にするのに比べたら、気候変動のせいにするというのは何と都合の良いことでしょう。

普通はこのカテゴリーから除外される生物群系を、ここであと二つ挙げましょう。農地と市街地です。後ほど議論しますが、地球の癒しというのは、人類が外に出て別の所に人間の国を作り、自然を手付かずのまま残すということではありません。地球の癒しは私たちの影響を最小化しても実現することはありません。私たちの影響の質を変化させることを通して初めて実現し、自然へ別の仕方で参加することを通して実現します。それは人類が生態系の例外ではなく、生態系をさらに先へと拡げる役割に戻るという参加の仕方です。

現在の世界では、近代性が広まった所ならどこでもそうですが、人間の影響を強く受けた土地は傷付いた土地で、ガイアの恒常性を維持する機能を果たすことができない病んだ土地です。農業のため耕されたような裸の土は、自然にはまず見られないもので、それには訳があります。それは開いた傷口のような、皮膚を剥ぎ取られた肉のようなもので、命を与える水分はそこから急速に失われ、風に吹き飛ばされてしまいます。太陽に焼かれて、土を支え空気を吹き込む根の構造を失えば、雨が降っても水分をそれほど多く吸収できず、そのあと長く水分を保つこともできません。農薬を多用する農業は、水が土の深い層に浸透するのを助けるミミズのような地中の生き物を破壊するので、傷口をさらに傷つけます。ミミズは土の保水力を高めるだけでなく、ミミズとそれが養う土の生態系は土壌の炭素貯蔵量を増やし、温室効果ガスのメタンを食べて濃度を下げるバクテリア、メタノトローフの成長を促します[25]。

乱された裸の土は炭素を大気へと逃がすだけでなく、地域の温暖化にも直接寄与します。ある研究では、カナダの穀倉地帯で被覆作物が増えるほど、夏の気温は低く、湿度は高く雨量も多くなるという関連があることを指摘しています[26]。被覆作物は、農業を通して水と土を修復する再生型農業という最近高まりつつある運動の一環です。

水と土の傷をさらに悪化させる近代農法は、他にも次のようなものがあります。

・大雨の時に流れ下る水の勢いを弱めて浸食を防ぐ生け垣や自然の林地、等高線状の畝などが全く無い、大規模で切れ目のない耕地を作ること
・土を踏み固め水の浸透を悪くする大型トラクターの使用
・土壌の塩害を悪化させる灌漑
・生物相を破壊する化学肥料や除草剤、殺菌剤、殺虫剤の多用

人間の健康は土と水の健康から切り離せないということを私たちが理解するなら、このような持続不可能な農法が使われることはなくなるでしょう。

都市環境で土の損傷は一層深刻で、完全に舗装されているところが大半です。地面にしみ込むことができない水は厄介物で、蒸発散で水循環に入ったり地下水を補給したりすることなく、「排水」としてすぐに海へと放流されてしまいます。その一方で、都市は水需要を満たすため周囲の水源から大量の水を引いています。

水を蒸散させて空気を冷やす植物がほとんど無いので、都市はヒートアイランド効果を受けやすくなります。熱は風のパターンに影響し、高気圧を発生させて雨を周囲の地域へ、たとえば涼しい山間部へと押しやりますが、そこでは大雨となって浸食や洪水が発生します[27]。そこまで深刻でなくとも、植生を剥ぎ取られた地域(たとえば耕作された農地)はヒートアイランドとなり、高気圧を発生して雨を山や海へと押しやります。

気候変動懐疑論者はしばしばヒートアイランド効果を引き合いに出して世界の気温データは歪められていると主張しますが、それは温度計が都市ヒートアイランドやその周辺に置かれることがますます多くなってきているからです。それが本当だとしても、都市化や開発、森林破壊によって地球全体がヒートアイランドになっているとすれば、ほとんど慰めにはなりません。その影響は局地的なものにとどまらず、水循環による熱輸送を乱すことで、干ばつや洪水とともに、しばしば複雑で非直線的な因果関係を通して地球規模の気温にも影響します。たとえば、ヨーロッパの地中海沿岸で起きた森林破壊と湿地干拓によって蒸発散が減少し、海岸近くで夏の嵐が少なくなりましたが、激しい嵐がヨーロッパ中央部を襲うようになりました。沿岸部の嵐が減ると地中海の塩分濃度が上がって地中海と大西洋の塩分調整弁が変化し、これが大西洋の嵐を激化させ遠くメキシコ湾にまで及ぶ気象パターンを変えてしまいます[28]。

現在最大の環境の物語として気候変動があるおかげで、「土地管理の変化」が干ばつ、洪水、熱波、その他の異常気象を引き起こすという、もっと大きくて、より直接的で、より局地的な影響が見えにくくなってしまいます。気候変動は、生態系に有益な政策をとる動機となる代わりに、都合の良いスケープゴートにされ、効果のある地域的対策から注意をそらし、生態系を癒す責任を遠く離れた国際機関に移し替えます。

たとえば、森林破壊と土壌の耕起が表土流出を招き、このため土地が雨水を吸収することができなくなり、それが洪水を起こすということを理解すれば、森林と湿地帯の保護や、不耕起有機農法、土壌の再生に地域で取り組む必要があるのは当然のことです。これに気付かないと、環境に関心のある人は、屋根に太陽電池パネルを取り付けたり、ジェット機での旅行を植樹基金に寄付することで帳消しにしたりするような行動をとり続けます。環境への熱意は自分の家から遠く離れた場所に向けられたままで、環境を傷つける行動のほとんどは変わることなく続きます。

私がこれを書いているのはハリケーン・イルマとハリケーン・ハービーの余波の中ですが、メディアは気候変動のせいでハリケーン被害が深刻化したと伝えます。水温が上がると水の蒸発が速まり、気温が上がると空気中に蓄えられる水蒸気量が増えるなど、その主張の根拠となる科学的な論法は理解していますが、良く調べるとその根拠は弱いように見えます[29]。サイクロンの蓄積エネルギーの総量にはここ数十年で目に見える増加がなく、総雨量、発生頻度、強さも増加していません。どちらにせよ、気候変動が原因かどうかという論争が、このような暴風雨が人間と生態系に与える被害を深刻化させる局地的な要因から注目を反らしてしまいます。その最たるものが、少なくともフロリダ州とテキサス州で広く行われている湿地帯の干拓です。湿地帯は雨水を吸収し高潮を防ぐことができます。また両地域とも森林破壊、農業による土壌の酷使、広大な郊外住宅地の開発が進んでいます。気候変動のせいにすると、これらの要因が見えなくなり、生態系を破壊する行為が今までどおり進むことになってしまいます。

洪水と同じことが干ばつにも当てはまります。ヴィジャイ・プラシャドが書いた移民問題についての記事を最近読みました。この部分以外は本質を突いた良い文章だと思うのですが、「(中央アメリカから移民が押し寄せている)原因の大部分は、気候変動が引き起こす干ばつと鉄砲水、猛暑と森林火災が引き金となって、これら諸国で起きた農業の崩壊に求めるべきだ」と書いています[30]。農業崩壊の原因として、伝統的自給農業の経済性を失わせ、農業関連の多国籍企業に利益をもたらし、農業経済を輸出産品中心に変えてしまう、自由貿易協定のように政治経済的なものはとりあえず横に置いておくとしましょう。世界の気候パターン(つまり、2015〜16年の強いエルニーニョ現象)が最近の飢饉を引き起こした一方で、これらの国々は激しい森林破壊にも見舞われています。グアテマラは1990年から2005年までの15年間だけで熱帯雨林の17%を失い、その後の森林破壊の速度は3倍に加速し[31]、有名な雲霧林で特にひどい破壊が起きています[32]。同じような話がホンジュラスで起こり、同じ期間に熱帯雨林の37%を失い、破壊が止む見通しはありません。エルサルバドルは最も悲惨な例で、1960年代から現在までに85%の森林破壊に見舞われています。これらの森林が切り倒されると、降った雨は流出するので、吸収されて地下水になることはなく、浸食、地滑り、洪水を起こします。泉は枯れ、降雨は減り、局地気候はより暑く乾燥したものになります。これで壊滅的干ばつのお膳立てが整いました。

森林破壊が起きる前の中南米の熱帯雨林には、エルニーニョ現象に関係なく豊富な雨が降りました。それこそが熱帯雨林と呼ばれる理由なのです。さらに、エルニーニョ現象(北半球の大部分に干ばつと熱波をもたらす気象パターン)は1970年代以降に頻度と強さが増しています。普通は「気候変動」のせいにされますが、これは森林破壊の副産物かもしれず、特にインドネシアでは深刻な森林破壊によって停滞性の低気圧帯が弱まり、これが起こしているウォーカー循環も弱まった結果、エルニーニョ現象が起きている可能性があります[33]。

中米の干ばつを気候変動のせいにすると、局地的な森林破壊を対策する緊急性が薄れ、地球規模の解決法へと重点が移ります。森林破壊をはるかに超えて複雑に絡み合った原因の全体が持つ重要性は二の次になってしまいます。それにしても、何が森林破壊を引き起こしているのでしょう? 中米でもどこでも、その原因には次のようなものがあります。

・それまでの森林破壊と土壌荒廃で変化を始めた気象パターン
・国際的自由貿易協定によって、伝統的で持続可能な農法は経済的に成り立たなくなり、森林を大牧場や単一作物プランテーションへと作り替えることが求められる
・発展のイデオロギーによって、伝統的で持続可能な自給農業が遅れたものと見なされる
・土地と水を守ることを神聖な責務だとする、土地に根付いた精神性が崩される
・森林を持つ低開発国に課された対外債務のため、森林を商品に作り替えるよう圧力を受ける
・非公式な共同体土地所有が開発の障害となっていた所への法定財産権の確立
・草食動物の頭数を環境に見合ったものに調整していた大型捕食動物の根絶
・非定住民や先住民を主流の産業社会に取り込む政府の政策によって、野生生物の世話ができなくなる
・人口圧力の結果、木を切って燃料にする
・「腐敗」によって促進される違法伐採。これは実際には地域を越えた金銭的関係が既存の贈与経済の構造に侵入したから
・湿地帯の干拓、「雑草」や「害虫」駆除のための有毒化学物質の噴霧、ビーバー、プレーリードッグ、オオカミ、ゾウ、サイ、ライオンといった極めて重要な生物種の根絶によって起きる、予測できない生態系撹乱のドミノ効果

明らかに、これらは根本的に健全なシステムの中にある個別ばらばらの機能不全などではありません。システムそれ自身と、そこに織り込まれた「分断の物語」が、機能不全を作り出しているのです。ただ一つの犯人を特定してくれと言われれば、それは人と人、人と世界の関係性が、切り捨てられ、単純化され、貧困化しているからでしょう。そしてもし、万能の解決法を授けてくれと言われれば、それは世界を神聖なものと認め、扱うことでしょう。

地球上で神聖なものが何かあるとすれば、それはきっと水です。ここまでの議論で私は水が神聖だとは主張しませんでした。私はただ、水と木と土の虐待によって私たちと地球に起きている悪いことに光を当てただけです。それらを神聖なものとして扱うために、私たちはもっと先へと進まなければなりません。私の友人オーランド・ビショップがいうように、神聖なものとは私たちに犠牲を求めるもの、つまり私たちが価値を認め、私たち自身にとっての利用価値を超えて、守るためなら犠牲を払うことを厭わないものです。

他の文化では、儀式やタブーを通して水の神聖さを擁護し、水を辱め汚すものから水を守りました。土着の儀式を真似しなさいというわけではありません。そうではなく、私たちは知識に基づき、進化する「世界の物語」にぴったり収まる現代の同等物を見つけられるはずです。先住民や伝統的生活を送る人々が水に対して抱いていた、水が生き物だという認識を頼りにするなら、私たちの水技術は儀式のエネルギーを持つようになるでしょう。そこへ至るドアは開こうとしています。均質で構造を持たない液体の化学物質という慣れ親しんだ水の科学的観念は時代遅れになるからです[34]。

この章での水文学の主張は水を神聖なものとして扱うための後押しとなりますが、(現在の私たちの知識獲得方法では)気候変動と結び付けるのがもっと難しい他の水問題には触れません。しかし、水を殺虫剤や残留医薬品、工業化学物質、放射性廃棄物で汚染すれば、森林破壊や温室効果ガスの排出と同じように地球の健康を脅かすということを、いずれ私たちは学ぶだろうと私は確信しています。水は生命です。私たちが水に対して何かを行うなら、生命に対してそれを行うということです。


注:
[20] ビューナー(2002)に引用。

[21] シュワーツ(2016)p. 82。

[22] アプフェルバウム(1993)。

[23] ピアス(2017)。

[24] 同上。

[25] 居住可能な気候のための生物多様性(2017)。

[26] 同上。

[27] クラブジーク ら (2007)。

[28] ミラーン(2014)。

[29] アメリカ海洋大気庁(2018)を参照。

[30] プラシャド(2017)。

[31] この数字は全てモンガ・ベイ(2018)が出典で、そこには世界中の森林破壊の動向の悲痛な総覧が掲載されています。

[32] コミュニティーによる雲霧林の保護(2018)。

[33] ハンス(2012)。

[34] この論点の詳しい議論は、私のエッセイ「異端説の水域」(アイゼンスタイン、2014)を参照。


(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/the-organs-of-gaia/

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」 
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸


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