ベトナムで交通事故して粉砕骨折で死にかけた話
僕はベトナムのハノイに住んで、ITスタートアップの会社を経営しているんですが、つい最近交通事故に遭って死にかける体験をしました。バイク運転中に飲酒運転の車に追突されてぶっ飛ばされたんです。それで鎖骨を粉砕骨折して、そのまま手術・入院してました。今は無事に歩けるまで回復しました。
よく考えたらこんな体験なかなか他の人が出来ることじゃないし、この事故によって気づけたこと、心の変化も大きくあったのでそれも言葉にして残しておきたいと思ったので、この交通事故の一連のストーリーを書いて公開することにしました。
事故の様子から手術・入院、その後まで順番に追っていきます!自分の記録でもあるので少し長くなりますがご容赦ください。
バイク運転中に後ろから飲酒運転の車が追突
2週間前のことです。
僕は普段からバイクを運転して移動してるのですが、その日もいつも通りバイクを運転してました。もうハノイでの運転歴も3年近くなるので、ベトナム交通ルール、安全な運転方法、警察が張ってる場所まで熟知しています。ただ、まだバイクの怖さを知りませんでした。
いつも通りラーメンを食べてオフィスに帰る道の途中でした。時間は夜の9時半頃。少し道は混んでいて前の車に付いて走っていました。ハノイではバイクは道路の右側を走るのが基本なので、僕も右端を運転していました。(ベトナムは右側運転)
その時、突然左後方からものすごい勢いで車が突っ込んできました。
僕は右端を運転していたし、しかもちょうど橋の上だったので、この後ろからの車を避けられるはずもなく、そのまま追突されました。
そのままふき飛ばされるように転倒しました。この瞬間、走馬灯は流れませんでしたが、スローモーションには感じましたね。というか、割と冷静に「あ、これ死んだかも。後ろから車来て轢かれたら終わりやな」とか考えてました。
そして大転倒したんですが、意識はあったのでそのまますぐ後方を確認したら運良く後ろを走ってるのは二台のバイクでした。しかも彼らはそのままバイクを止めて僕を助けるために駆け寄ってきてくれたのです!ひとまず命は助かったと思い、めちゃくちゃ安心しました。そして、そのまま横になって動けなくなりました。
4人ほどの若者(ベトナム人)だったんですが、僕の介抱をしてくれる人、車の運転手を捕まえて逃げないようにしてくれる人、僕の携帯を使ってすぐに僕の知り合いを呼んでくれる人、など各自すぐに役割分担して助けてくれました。
その中の1人のベトナム人はなんと日本語を少し知っていて、「大丈夫ですよ。僕が助けます」というふうに言い続けて支えてくれました。これのおかげで安心できましたし、今思い出しても泣きそうになるほど、感謝しています。
これはその時助けてくれた人が状況を僕の友人に伝えるために撮影してくれた写真です。
暗くて見えにくいですが、左足は血だらけ、左肩には激痛が走ってました。痛すぎてほんまに動けなかったです。人生最高の痛みでした。僕の右側に座ってる彼が日本語でずっと優しく語りかけてくれてた人です。
左のバイクが僕のバイクで、そこに座ってるのが飲酒運転車の運転手。ベトナムには知らん人のバイクでもなんでもバイクは椅子にして座る文化があるんですが、事故現場でもこれが発揮されてたようです。
その後、なんと会社のメンバーがみんな、すぐに事故現場に駆けつけて助けてくれました。公私共にハノイで1番頼りにしてる日本人の友人、韓国人のビジネスパートナーの方もすぐに駆けつけてくれました。(これらの方々が駆けつけてくれたのはそれぞれ面白いストーリーがあるのですが、長くなるのでここでは割愛して後ほど。)
自分の信頼してる人たちが来てくれたことで僕は安心して号泣してたわけですが、ここから更に大変なことになるのでした。
救急車で運ばれた先は廃墟のような病院
この後救急車が来たわけですが、そもそも救急隊員が多分いませんでした。なので、僕の友人たちが頑張って担架に乗せて救急車に乗せてくれました。
ここで、まずベトナムの緊急医療の弱さ・不足を知りました。
そして、運ばれ始めてから、僕はさらなる地獄を知ることになります。それが、ガタガタ道。
ベトナムの道はまだまだガタガタなところが多いのですが、そのせいで振動が半端なくて怪我したところが悲鳴をあげてました。道路整備した方がいいです。
更に前から思ってたんですが、ベトナム人って救急車に道を譲る意識がすごく低いんですよね。救急車が日本みたいにスムーズに進みません。これは本当になんとか意識改革したほうがいいと思います。そのせいで進みにくかった気がします。
そして到着した病院は薄暗い廃墟のような病院でした。まあ僕はあまり景色を全て見れてないのですが、少なくとも意識朦朧としてた僕の記憶ではバイオハザードの病院みたいでした。
こんなところで大丈夫なんかと思いながらも、まあベトナムで交通事故が沢山あってなんとなってるから、大丈夫やろうと腹をくくってました。
その後車を停めた病棟では検査できないことがわかり、別の病棟へ運ばれます。ちなみにここでも病院の人間は殆どサポートしません(できる人がいない?)。僕の友人達がみんなで運んでくれました。
屋外の砂利道をベッドでコロコロ移動します。これまたガタガタの振動で死にそうでした。
結局、みんなに助けられながらなんとか検査したのですが、検査結果を誰にも説明されないまま、しばらく1時間以上放置された後、また救急車に乗せられて他の病院に運ばれていくのでした。
痛みと疲労で意識朦朧としながらも、頭の中では「これ、命に関わる怪我とか病気やったら、日本で助かるものもベトナムでは助からんことめっちゃありそうやな」と思ってました。僕は死にかけじゃないと判断されたからそういう処置になったのかもしれませんが、そうだとしてもこの医療の足りてなさは心配します。僕が高齢ならこの国に住むのはリスクやと感じます。
まるで野戦病院な病院で手術
次の病院に運ばれるのですが、この時点で自分がどういう状態なのか何も知らされてません。移動するということは何か処置されるんやろうとは思いながら、手術は未経験で怖いから、「手術だけは嫌だ。手術だけは嫌だ。」とホグワーツ入学時のハリーポッター並みに心の中で唱えてました。
そこで到着した病院では、血だらけの人、大怪我をした人が応急処置をした状態で集められており、その様相はまさに野戦病院でした。自分の怪我が軽く感じました。後から知ったんですが、ここはViet Duc病院というハノイ最大規模の国立病院だそうです。国立だから安いのと、交通事故の治療(手術)が得意な理由で、ハノイ中の交通事故者たちが集められていたのでしょう。ハノイは交通事故が多いとは思ってたけど、改めてその多さを痛感しました。
そしてお医者さんからは、ここでやっと説明を受けます。疲労困憊だったのでいつものようにはベトナム語を聞き取れなかったのですが、「開く」という単語は聞こえたので、ここで自分が体を開かれること、つまり手術されることを認識して覚悟しました。
その後、ベトナム人のスタッフから「肩の骨が粉砕して骨の破片が飛び散ってしまってるからこれを除去する手術をするね。大きい手術じゃなくて小さな手術だから安心して。」とだけ伝えられました。ちなみにこれは彼女が僕を安心させるためについた嘘があったことが後ほど判明します。
その後、患者が多すぎてすぐには手術できないと言われ、その野戦病院の怪我人待機場所で半日以上待たされることになりました。途中からは廊下に出されてそこで待たされてました。この廊下にも怪我人たちが沢山ベッドに横たわってました。手術した人、これからする人などが入り混じってるようでした。
こんな光景が部屋の中から廊下までずっと続いてるのです。
この光景を見て、ベトナムの医療の不足、ベッドの不足を痛感しました。そりゃ、コロナ対策も厳しくするよね。この国はコロナが来たら医療崩壊するというより、もともと医療が崩壊してるようなギリギリの状態やったんですよ。
事故の翌日のお昼頃、やっと手術室に運ばれました。
ここまで痛み止めも何もされてなくて激痛が続いており、事故から一睡もできてなくて、本当に疲労困憊でした。今でもこの時が僕の人生で1番辛い時間だったと思います。
そして、手術前にお医者さんから色々話しかけられたんですが、ここではベトナムらしい一幕が。
女医さんから「あなたベトナム語話せる?」「あ、話せるの。どれくらいベトナムにいる?彼女はいるの?」「いないなら、うちの看護師を紹介してあげるよ。ほら、この可愛い子は彼氏いないよ!」という感じで、いつもの初対面ですぐに彼女を紹介してくるノリが始まりました。そして、紹介された看護師さんもまんざらでもない感じで「じゃあ後で電話番号教えてね」とか言ってるので、もうお手上げでした。
そんなことええから早く麻酔して手術してくれ。こっちはもう限界や〜という感じでした。この超マイペースなのはまさにベトナムでした。でも、もしかしたら彼女たちは僕の緊張をほぐす為にそうしてくれたのかもしれません。実際に気持ちは楽になりましたしね。笑
そして、これをおもっきり吸ってと言われた煙を何度か吸って、気づいたら知らないベッドの上でした。
一瞬、事態が飲み込めずふと吐きそうになり、看護師さんを呼んだら、「もう手術は無事に終わったよ、お疲れ様」と言われて、それでやっと状況を把握できて落ち着きました(吐き気もなくなった)。これが麻酔なんですね。本当にびっくりしました。眠らされてる間の記憶も夢も何もなくて、いきなり時を超えて目覚めるんだからビックリですよね。
何はともあれ、手術も無事に成功し、麻酔と痛み止めが効いているために、痛みや苦しさもなくなり、やっとゆっくり寝れたのでした。この手術が終わるまで支えてくれた会社のメンバーや友人達、手術をしてくれたお医者さん、看護師さん達に本当に感謝です。
手術後、やっと落ち着いて寝ている様子です。なぜかキティちゃんに囲まれて眠る。(社員のチョイス)
手術・怪我の真相と強制退院
手術後の数日間はしんどすぎて、ほとんど携帯も触れませんでした。話すのも疲れる感じでした。痛み止めは点滴でガンガン効かせていたのと局部麻酔が残っていたので、痛みで苦しいことはあまりなかったですが、疲労感が半端なかったです。考え事もできないくらいでした。数日後から局部麻酔が抜けるにつれて怪我した場所の痛みもきつくなりました。そのため、怪我をしてからの1週間はほとんどただ寝ていただけの本当に何もできなかった無の期間でした。人生で1番何もしてない1週間でした。
そして手術から数日後、落ち着いて自分のレントゲン写真を見ることになり、衝撃が走ったのです。
「え、ボルトとプレート入ってるやん。肩というか鎖骨バキバキやん。」
思わず笑うしかありませんでした。破片を取るだけやと言われてた手術で僕はボルトと鉄板を知らん間に入れられてたのです。しかも鎖骨バキバキの粉砕骨折でした。全治9ヶ月〜1年とのことです。
後から会社の子に聞いたら、僕を安心させるために軽めに言ったとのことでした。ちなみに破片が飛び散ってたからそれを取ったのは本当らしいです。
いや、お母さんかよ!子供には軽い手術といい、大手術を受けさせるお母さんかよ!
そんな、子供しかできないような経験を大の大人になってから経験できたのでした。ちなみにこれはベトナム人の友人の優しさが生んだことなので、別に一切怒ってません。むしろ感謝しています。実際にその時は安心できてましたし。
まあ、次からはちゃんと医者に直接話を聞こうとは決心しました。知らん間にサイボーグにされたら困りますからね。
今回、鉄のボルトとプレートを入れられたのは別にいいんですが、飛行機乗るときにゲート通ったら、裸でもビーって鳴らされちゃうのはちょっと困るなぁと思ってます。逆に良い面としては、ボルトとプレートから鉄分が体に補給されることで健康効果とかはあるかもしれないですよね!
さらに傷口の写真を撮ってもらったら。
ロロノア・ゾロ。
肩にワンピースのロロノア・ゾロのような傷口があったのです。こんなに大きく切り込み入れられてたんかと、ここでも後から知りました。もっとちょっとした可愛い切り込みやと思ってたからね。
(僕とお揃いの傷を持つワンピースのロロノアゾロ)
そして、手術から3日後。まだ痛みと疲労がひどく歩くこともできない状態でした。
そんな状態の僕に、回診に来た医者から衝撃の一言が。
「もう大丈夫だね。今日退院で!」
突然の退院宣言!?
僕は一人暮らしで面倒見てくれる家族もいないので、会社のメンバー達がお医者さんに「いやいや待ってくれ、せめて歩けるようになるまであと数日は入院させてくれ」と必死にお願いしてくれたのですが、その願いを聞き入れられることもなく強制退院が決まりました。
詳しく理由を聞いてみると、「私たちはもう全ての治療を行った。もうあなたに出来ることはなにもない。療養するだけだ。それなら家に帰って休んでくれ。」とのことでした。
正直はじめは何でやねんと思ってましたが、これも仕方ないことなのかもしれません。
まずこの野戦病院の有り様からベッドが足りていないことは明らかです。それなら治療が必要なくなった患者はどんどん出てもらわないといけない。そして、ベッドだけでなく、面倒を見る看護師、医者の数も足りていない。
お金を払えばええんやろ、という話ではないんです。これがこの病院の限界なのです。
ただ、一つ注意ですが、僕のいた病院は国立病院です。そのため医療費も安く、野戦病院のような有り様で、サービスの質も低いですが、私立病院は全然違います。
日本と同じような綺麗な病院、先進医療機器、質の高いサービスが準備されています。
つまり、明らかな格差社会なのです。お金があれば最高の医療サービスが受けられ、なければ最低限になる。(もしくはそもそも受けられない)日本のように、誰でも一定以上の質の高い医療サービスを受けられることがどれだけ感謝すべき、すごいことなのか改めて痛感しました。
ちなみに僕が国立病院で手術を受けたのはお金がないからではありません。手術の腕は国立病院の医者の方が良いからなのです。なぜなら、国立病院には毎日大量の患者が運ばれて手術し続けているからです。私立病院はお金持ちしかいけないということは、その分患者も少ないので経験も少ないわけです。
まだまだ僕はベトナム医療の片鱗を知っただけですが、このいびつさが一つの特徴であると感じました。そして、ベトナムの医療にお世話になった身として、これから将来お返ししていこう、ベトナム医療の発展に貢献しようと心に誓ったのでした。
事故によって気づいた人の愛
このように一歩間違えたら死んでいた交通事故から、無事に助かり、今ではある程度歩けるまでは回復したわけですが、今回の事故は失ったものより得られたことのほうが大きかったと思っています。
本当に大事なものに気づけたのです。
それは愛でした。
お金より愛が大事。そんなこととっくの昔に気付いてましたが、ここ1年くらいの僕は愛より仕事を大事にしてしまっていたかもしれません。
会社を約一年前に起業してから、スタートアップは死ぬ気でやらなあかんという思いのもと、それこそ年中無休で朝から晩までひたすら仕事をしてきました。遊ぶことはほとんどせず、誰かと食事に行くなら仕事のためがほとんど、これは会社にとってプラスかマイナスか、そんなことばかり考えていました。会社というものが僕の中心になってしまっていたのです。会社の成功はゴールではなくて通過点のはずです。その先にある目標のために通過するのが会社の成功です。
なのに、会社を成功させる為だけに死に物狂いになってたのです。なんのために会社をするのかを忘れていたのです。
事故が起こったとき、すぐさま見知らぬベトナム人達が必死に助けてくれました。そこにはなんの損得勘定もありません。純粋に人を助けるという思いだけです。
そして、会社のメンバーがみんなすぐに駆けつけてくれました。なんと事故直後に駆けつけてくれた人の中には会社を辞めたメンバーもいました。彼と僕の関係は会社だけじゃなかったんです。みんな全力で助けてくれて、次の日の手術まで寝ずに付き添ってくれました。その後もずっと献身的に支えてくれました。術後の僕の看病をするために野戦病院のような場所の床で寝ていたメンバーもいます。そこにはお金などの目的はなく、ただ僕を助けたい気持ちで支えてくれたんです。
日本人の友人は僕の10個年上で、いつも仕事では頼りにして相談させてもらい、プライベートでは本当に同年代のように接してくれる方です。その方も僕が事故直後に夜中にいきなり電話で助けを求めたんですが(僕が事故した瞬間にふと浮かんだ助けてくれそうな人がその人だったから気づいたら電話していました)、ジムでの筋トレを最後まで追い込んで全身が満身創痍の状態だったにもかかわらず、すぐに助けに来てくれて、明け方まで付き添ってくれました。その後もずっと心配して病院に来てくれたり、保険の手続き、大使館とのやり取りをしてくれたり、ただただ純粋に助けてくれました。
ベトナムの韓国市場を開拓するために協力していただいている50代半ばのパートナーの方も、すぐに助けに来てくれた方の1人です。僕の事故現場になんとたまたま共通の友人(韓国人)が通りすがって、彼に電話でそのことを知らせたのです。そしたら、彼も会食中だったにも関わらずすぐに飛んできてくれました。そして、僕を助けてくれたのはもちろんですが、普段は本当に温厚で優しい彼が、ドライバーに本気で怒ってくれたのです。まるで自分のことのように。経験も多い彼は大使館に連絡をしてくれたり、その後のサポートまでずっとしてくれました。
会社の男のメンバー達、開発のリーダーはいつも優しくて温厚で怒ったところなど見たこともありません。そんな彼らが、飲酒運転のドライバーに対して本気で怒ってくれたのです。僕のために、自分のことのように。怒ったことが良い悪いではなく、僕のためにそうやって本気になってくれたことを嬉しく思うのです。
その後も事故を知って心配してくれる人、お見舞いしてくれる人が本当にたくさんいました。
僕はなんて恵まれてるんだと。僕の周りには愛がいっぱい溢れていたのです。僕は自分のこと、会社のことに必死だったのに、周りには愛が溢れていたんです。正直、家族も身近な人が誰もいないハノイでの生活は孤独を感じることも多くありました。辛いことも多くありました。愛がないと思ってたこともありました。でも、僕は最高に幸せな人間でした。
これが幸せだったんです。会社の成功、お金持ちになること、その先にある幸せ、会社やお金以上に失ってはいけないものはここにあったのです。
人生はギブアンドテイクじゃないですよ。ギブアンドギブです。愛を与えて与えて与えまくれば良いんです。そして僕から愛を受けた人はまた他の周りの人に愛を分けていけばいいんです。そうすれば、世界は愛で溢れてみんな幸せになりますよね。
僕はそんな世界を創りたいし、それが僕が会社やサービスを作っていく先にあるものです。
そんな僕の根本にあるもの、目指すべきもの、軸に気付くことができました。
今回の事故はそれを改めて気づかせてくれたんです。だから、この大怪我も痛くて大変やけど、あってよかったと思ってます。
人はいつ死ぬかわからない
皆さんは、自分は死なないって思ってませんか?自分は病気にならない、事故に遭わないって思ってませんか?僕は思ってました。
当たり前に平和で健康に生きて好きなことができる毎日が普通だと思っていました。
でも、突然交通事故事故に遭いました。それも泥酔した運転手に後ろから突っ込まれると言う避けようのない事故でした。一歩間違えたら死ぬような事故でした。
それで僕は初めて身に染みて、「人はいつ死ぬか分からない」ということを理解しました。
僕はまだまだ死にたくないし、やりたいこともいっぱいあります。だからこそ、いつ死んでもいいように全力で生きやなあかんなと思うのです。
そして、いつかやりたいなと思ってることはいつかじゃなくて今やるべきなのです。いつかがやってくる保証なんてどこにもないからです。
だから僕は、今やりたいと思うことを全力でやると改めて決心しました。やりたいことがありすぎる僕らは生き急がないとあかんのです!
今回の事故で、僕はまた大きくなれました。自分の軸を改めて定めることができました。もっと心に余裕をもって、ギブアンドギブの精神で生きられるようになりました。そして、自分のワクワクに従って全力で突き進みます。これから、会社も資金調達してさらに大きくドンドン成長させていきます!
以上、ベトナムで交通事故に遭って死にかけた話でした。次回は会社や事業のことでも書こうかな?
皆さんも交通事故には気をつけてお過ごしください。
もしサポートいただければ、ベトナム人チームメンバーへのご馳走や開発環境の強化などに使わせてもらいます!めちゃくちゃ感謝します。Cảm ơn rất nhiều!!