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アニメのポテンシャル

最近集中してアニメを観ることにつとめている(「ヴァイオレットエバーガーデン」「転スラ」「まどまぎ」「サイコパス」「ワンパンマン」)など。

それはアニメ1話の尺が20数分と、風呂上がりのストレッチの時間、お昼ご飯、すき間時間にピッタリはまるためと、アニメには原作が何らかの形で存在し、振るいにかかっているため、観続けるとほとんどがおもしろいことに最近気付いて観始めた。

そうするとビックリするのが、ドラマや小説、映画以上に認知度、そして実際に観ている人が多いということ。
特に認知度が圧倒的に高い。

で、それはもちろん先ほど書いたように振るいにかかっているからだと思われる。
そして原作の作者、ファンなどの目もあるため、クオリティをどうしても求められる。

でもそれなら映画やドラマも、という話しになるが、アニメが強いのは、そこは実写という概念が曖昧になってきて、価値そのものの薄まりと、アニメのが自由度と再現性が高く、何より一番は声優さんの演技力が大きいと思っている。

サイコパスというアニメの終盤は、キャラクターの動きやビジュアルと言った視覚作用より、キャラクターの声に引っ張られて集中していた。

アニメ映画「AKIRA」を観ると感じるが、声優さんは格段に進化している。

今までは手間ひまの雨あられで、人海戦術で作られてきたアニメーションだが、デジタル技術が発展し、今後ますますテクノロジーが発展したときに、一人でアニメーションが作れる時代が来るかもしれない。

自分の頭の中にある世界を、物語を、現実にそのまま作品にする。

この精度に作品の出来がかかっているが、たくさんの人を介するとその精度は間違いなくずれる。

キューブリックの映画が記憶に残るのも、漫画が名作を次々と生み出したのも、関わる人数が本人のみ、または少なかったからのように思う。

もちろん大勢で作って当初からのズレが作品に良い影響をたくさん与えてきたことももちろんあるのは承知しているが、それでもあえて言いたい。

圧倒的に人の記憶に残ったり、誰かの心を強く動かすものは、たった一人のその人が強く思い続けていることを表現し、演出できた時なのだと思っている。

だから僕は今アニメ、アニメーションの世界にすごくポテンシャルを感じているのだ。
一人の人間が圧倒的に思っていることを、アニメーションにして、YouTubeなどで発信をし、知名度が上がれば、テレビやNetflix、amazonprimeなどの多くの人々の目に触れやすいサービスで、世界の人々の心を動かすことができるかもしれない。

そんなことも考えながらアニメを観ていると、このアニメはヒットする前からあたしが目を付けてたのさ、とアイドルや人気飲食店の常連のような気持ちで、今観ているアニメにより一層集中してしまう。

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