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僕のこと

僕のこと。



僕には三歳上の姉が居て、母と同じ誕生日に産まれた初めての子どもだったのだけど、その後その子は亡くなってしまった。

そうして産まれたのが僕だったので名前は「大喜」と書いて(たいき)と読ませた。


母は歳の離れた末っ子で、叔父さんが早くに子どもを産んでいたので母方にとっては久しぶりの孫、父方は完全な初孫とちやほやされる環境は整っていた。


立ったり、歩いたり、トイレや、話したりすることも早く、怒ったり騒いだりも少なく、静かに一人遊びをして、ビデオデッキの録画や再生もできたらしく、もちろんそんなのだから、いい子だいい子だ、天才だと、チヤホヤされていた。


そんな環境が変わったのは幼稚園に入ってからだった。

同じ歳の子どもたちと一緒くたにされると家でチヤホヤされていたほど、じぶんはチヤホヤされる要素もなく、他の子どもができる運動や手遊び、ダンスなどもことごとくできない。なんてこともよくあることになってしまった。

その後幼稚園年中の時にたまたま行った耳鼻咽喉科の検査で右耳の聴力がほとんどないことがわかった。

静かでおとなしいのも、幼稚園での音やリズムに合わせる手遊びや歌やダンスが苦手だったのも、どうやらそういうことだったらしく、一人でお絵描きばかりしていたのを覚えています。


しかし年長になったとき、変化がありました。
幼稚園の担任の先生が関心を向けてくれる先生に代わり、夏くらいに一人だけ友だちもできました。

じぶんの存在と幼稚園で感じていた孤独や疎外感が和らいだ瞬間で、その孤独は家で大切にされているが故により感じやすくなっていたものだったのかもしれません。



その後小学校に入学し、小学校では現在でも付き合いのある友人もいるぐらい生活を楽しめていました。

でもそれは僕が明るくよくしゃべるようになったわけでもなく、歌やダンスも幼稚園と変わらずできずじまいでした。



それでも友だちができたのは、僕が幼稚園で孤独や疎外感という痛みを身を持って知ったから。

そしてそれをどこかで他の人に味わって欲しくないと思っていて、好き嫌いや相性はあるにせよ、みんなでなるべく仲良く過ごせるようにしたり、一人でいる人(一人になりたい以外)には声をかけたりして、目の見える手の届く範囲の孤独や疎外感というものに気を配って生活をしていたから、集団や一対一の関係の中でも馴染むことができたし、そのおかげで幼稚園のときのような感情はたくさん感じなくて済んだのかもしれない。


そしてそれは今も変わっていない。

友だちの友だちは友だち。とは本気で思っているし、気の合いそうな友人同士が居れば引き合わせたり、集まりがあったら来れる人には来て欲しいとダメ元でそれなりに多くの人に連絡してしまったりもする。

集まりの中でもう少し話したいと思っている人には話しを振るし、話したくなさそうな人には端の席に行こうとお誘いをしたりもする。


せっかくみんなでいるのだから、それぞれの人のペースや距離感は守りつつも仲良くしたい。

それがお互いできる場所、空間、空気にしたい。


という思いが今も変わらず宿っているのは、やっぱり幼稚園年中のときの言い知れぬ疎外感の影響で、僕にとっては今も大切な経験だったのだと思います。

そしてなるべく分け隔てなく、多くの人が知り合いや仲間である方が生きやすいのでは?と思っているのもこの時の気持ちから来ています。


人は人と仲良くしたい。
僕は今もそう思っています。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
毎日のnoteだって、見知らぬ誰かのツイートだって、どこかの誰かの孤独や疎外感を楽にしているやもしれませんよ?







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