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続けていくために大切にしている言葉

僕は何かを新しく始めるとき、その始める分野でじぶんよりはるかに頑張っている人の情報が入ってくる場所にじぶんを置く。


例えば毎日文章を書くなら、何十年もそれを続けている糸井重里さんのコラムを毎日読みに行ったり、一週間に一度同じ曜日時間に習い事をするのなら、刑務所に入っている間も月曜日の朝更新を止めなかったホリエモンのメルマガを購読してみたりと、じぶんより忙しいであろう人々がきちんと約束を守っているところに刺激や影響を受けに行くことは、僕には大切なことです。



というのが続ける環境を整える。という部分で、環境を整えると意外と一週間くらいなら続けることはできてしまいますが、このあとやってくるのは目に見える成果や結果などの「いいこと」が感じにくくなると、辞めたくなる問題です。


そんなときに僕が思い出しているのが、タイトルに書いた「続けていくために大切にしている言葉」です。


それは吉本隆明さん(詩人・思想家)の言葉で、「10年間、毎日ずうっとやって、もしそれでモノにならなかったら、俺の首やるよ」という言葉です。



これ初めて見たとき、あぁ〜基準が「10年」×「毎日」という単位の時間なんだぁ〜じぶんには難しいなぁというのが、正直な感想でした。

そしてまぁそりゃ10年毎日やればなにがしか身に付くだろうし、何者かにはなっているかもね。と思う方もいらっしゃると思います。


でもこの言葉に救われるのは、実は何かを実際に始めて、継続している最中です。

SNSによって人の動向が見えるようになり、他者のホップやステップやジャンプが日常的に見えた時、じぶんのやっていることが、小さく、無意味に見えて、今せっかくやっていることを辞めたくなる瞬間はきっと幾度となくあるでしょう。


そんなとき、じぶんは10年というスパンで進んでいるんだ。
と思うと、今のじぶんを認めてあげることができるようになります。

まだ始めて1年ならあと9年はあるし、始めて1ヶ月なら9年と11ヶ月まだ時間があるわけで、できないことは、うまくないことは、何者でもないことは当たり前だと思えます。


そして今向き合っていることを投げ出さずに済みます。
明日もまたやってみるか、という気持ちにさせてくれる言葉なので、僕はとても大切にしている言葉です。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
したいことは目立つということではないはずです。




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