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本年のご挨拶

このnoteはあたかも1月1日から始めていそうなのだけど、そういう新年の抱負感で始めたわけではなく、なんとなく始めてみようと2月5日から始めているので、丸1年というわけではない。

だが年末ということでこのnoteという場所の、文章というものを通じて知り合ったすべての方、そしてもともと親しくしていたり、SNSがメインのつながりの方でも一度でも読んでくださったり、目を通してくださった方、そしてあたたかいリアクションやコメントをくださった方、すべての皆さまにほんとうにありがとうございましたと伝えたい。


僕はこれまで年末年始は仕事柄、時間がないことが多く、気付くと通りすぎていることがほとんどで、どういう1年だったか、新たに迎える1年をどういう姿勢で過ごそうか、ということを考えることは少なかった。

しかし今年は違った。
それはなんといっても、このnoteのおかげだ。


毎日書くということは、今日はどんな日だった?
明日どんな日にしたい?
そもそもじぶんは、どうありたい?
という質問に毎日答えているような日々だった。


そしてそれは「毎日書く」ということ以外に、文章を書く際にルールとして心に決めたことに、その答えが潜んでいるように感じられた。

僕の場合は、「(その日なりの)ベストを尽くす」と「愚痴や悪口は書かない」の2つで、これが守れなかったらやめようと思って続けてきた。


なぜなら偶然でも読んでくれた人に申し訳ないということ。
そしてそうふるまっているじぶんをおそらく僕は好きにはなれないということの2つからだ。


このきまりごとがおもしろいのは、僕が文章を書いている以外の、生活や暮らしの中でもなるべくしたくないと思っていることが、翻って文章を書く際のきまりごとに無意識になっていたことだった。


つまりどうありたいか、どう振る舞いをしたら、変えたら、今日は、明日は、どう変わるのか。というのを、じぶんの理想とする振る舞いを、そこに少しでも近付けるように、言葉を、文章を、振る舞いを、考え方を選んできたのかもしれない。


言葉と振る舞いが、外部に出す表現がその人を形づくる。

だからこそそういうものにお付き合いくださり、読んでくださった方、知り合った方たちとの時間が、そしてあたたかいリアクションに支えていただいた経験と記憶が、僕の今年一年の宝物になりました。

なのでもう一度言わせてください。
ありがとう。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。







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