『カッコいい』がゴール

創作物だったり、サービスだったり、意外と多くのものは人から『カッコいい』と思われることを目指した方がいいと思っています。




それは僕も普段かけている「眼鏡」を見るとそう思うからです。



視力が悪いというのはかつて障害でした。

二メートル先も見えないのであれば誰かが付き添うしかないし、もちろん狩りも農業も難しいでしょう。

そのような状態ですから、社会で接点を作ることも難しかったはずです。



宮崎駿さんの『風立ちぬ』の中にも眼鏡をしている先生が年下の先生に雑に扱われたり、主人公堀越二郎が抱えるコンプレックスも視力である描写がいくつものシーンで描かれていたりもします。

つまりこの時代でもまだ視力が悪いは障害であり、カッコ悪いことと見なされていたわけです。


しかし時は流れ、現在はどうでしょう?

眼鏡が持つイメージは「知的」「落ち着いている」などポジティブなものが増え、ファッションとしての文脈も強くなり、アクセサリーのような立ち位置にあるとも言えます。


それには様々な要因があって、視力が落ちる人が増えてもいますし、眼鏡自体の価格が大衆化して選びやすくなり、眼鏡をかける人自体が増え、生活の中で見かけることが増えたという慣れの問題もあるでしょう。


でも何よりまずはレンズを薄くできたり、眼鏡フレーム自体がデザインされ、『カッコいい』となったことが眼鏡自体の市民権を高めた理由だと僕は感じています。


そして眼鏡のこの事例は多くのことに転用できると考えていて、その目指すべきところは人々に『カッコいい』と思ってもらうことなんじゃないかなぁと思っているのです。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
見慣れることが『カッコいい』の第一歩なのかもしれないですね。






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