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あの頃欲しかった学び

義務教育の時代、勉強が、学びが心の底から楽しめるものでなかったのは純粋に知っていることが少なかったからかもしれないし、これがどうじぶんに活きるのか知らなかったからかもしれない。



今大人と言われるものになったじぶんが、子どものじぶんにどんな学びの場を提供したら、ボクはテンションが上がるのかな?というのを、ふと考える。



おそらく学ぶことの伝え方や教材選びというものは、幾千通りもあるだろう。


でももっとそもそもなところの気もしている。


つまり先生という人がわかっていて、答えを持っているという前提自体が、学ぶことのエンジンを弱めていたように感じる。


生徒はもちろんわからないが、先生もその問題についてわからない。

だから共に学び、共に試行錯誤しよう。

生徒は先生にもなりうるし、先生も生徒になりうるし、そのくくりはもしかしたら無いかもしれない。


全部とは言わないが、どこかそんな学びの時間があったなら、子どものボクは喜んだのではないのかなぁ?と思っている。


先生もわからない問題について、共に考える時間。

今の時代こそ必要そうだよなぁ。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
正解を探すコミュニケーションを身につけて欲しくないと思っています。

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