見出し画像

ヒマをヒマとする

人が忙しくなったのは、農耕を始めたときからだと言われている。


狩猟採集時代の生きていくための労働時間は3〜4時間ほどで、もちろん狩りの出来によって食事にムラがあることは否めないが、あとの時間はわりとのんびり暮らしていて人類の歴史を見ても快適だったのか、この期間が異常に長い。


その後安定して食料を手に入れることのできる農耕に着手し、定住を始め、ストックができる特性から同じ民の中に持つ者と持たざる者が生まれ、貧富や身分という概念もよりくっきり生まれてきた。


しかし現代ほど農耕は安定しているわけではなく、天候や気温と言った自然環境に左右されていたし、基本的には人力の手作業(馬や牛が存在する地域は彼らに引かせたり)、だったので農耕に付きっきりになり、農業の奴隷などという言葉さえ聞かれた。


しかし時は流れ現代。
日本で暮らしている限り、明日食べるものがないといった不安はおよそ感じなくなった。

外敵に襲われる心配も、暑さ寒さ、川の氾濫なども江戸時代などと比べれば劇的に減っていて、命の危険を感じることも減っている。

そして親しい人と会うことも文字コミュニケーションも、電車やメールの発達によって劇的に早くなっている。



だが不思議なことに、僕らはヒマになっていない。
むしろ空いた時間、ヒマになった時間でさらに忙しくなっている。


これは人がヒマを見つけるとヒマにしてはおれないで、何かをしてしまうせっかちな生き物で、無意識にしていると忙しくなってしまうのだ。

せっかく先人たちがわずかな時間で生きられるようにしてくれたのに。


なので僕らはもちろん後世の人々に感謝してもらえるような取り組みももちろん行いながらではあるが、生き急ぐラットのようにせかせかするのはやめて、やらないことを、きちんとヒマをヒマとして味わうことを、豊かだと感じられるように進化していきたいものだなぁ〜と、平日の街中を歩いていると思うのでした。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
何もしない、無心になるってほんとうはものすごく難しいです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?