過ぎ去る記憶
どんぶらこどんぶらこと川の上流から桃が流れてきました。
日々僕たちは様々なことを脳ミソで考えていて、このどんぶらこどんぶらこのように現れては流れということを繰り返している。
人によってそのどんぶらこを鮮明に覚えています。という人も居れば、どんぶらこがあったことは覚えている。どんぶらこがあったことすらも覚えていないと言ったような個人差がある世界でもある。
だからこそ人はメモや日記、写真を撮ったり、アラームなども駆使してそれを留めようとする。
人は忘れたくない生き物なのだけど、忘れてしまう生き物でもあって、ほとんどのことを忘れてしまう。
僕も例外ではなく、話したい言葉の単語が出て来なかったり、記憶の細部が曖昧になったり、あの時感動したことは覚えているが、どう思ったかを忘れてしまっているなんてことすらある。
その記憶のどんぶらこをわずかながら留めておく方法が言葉にする、文章にする、ということで、毎日書いている、そしてそれが続いている理由に僕が他の人よりも忘れたくない、今日思ったことを留めておきたいと他の人より強く思っているからなんじゃないかと思う。
何か世界に爪痕を、とか世界に変革を、とかは思わないのだけど、不思議とじぶんが今日過ごしたことを、その思いは残しておきたいと思っているようだ。
だから今日も書くのかもしれません。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
人を構成する要素に思い出とか記憶は入っていると思っているタイプです。
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