その人にとっての「ほんとうのこと」
なるべくジャッジしたくない、と思っている。
それは単純にジャッジされたときにうれしいこともあれば悲しいこともあるように、もろ刃の剣的だからだ。
でもそれ以上にジャッジすることによって見えなくなることがあるが故にジャッジしたくないと思っている。
それが「その人にとってのほんとう」だ。
例えば父親を知らずに育った人は父親の思い出を語ることはできないし、父親にいい印象や肯定的な表現を使うことも少ないだろう。
父親はよくわからない。父親を好きだとは言えない。
それがこの人にとってのほんとうなのだ。
しかしジャッジされる場ではこれらを表に出すことは抵抗感の強い作業だろう。
だから隠したり、思い出をねつ造して周りに合わせた話をする。
しかしボクはコミュニケーションの中で好きな瞬間は正にこの「その人にとってのほんとう」が垣間見えたときなのだ。
そしてそこに出会うためには、ジャッジしないという姿勢がとても大切なので、なるべくじぶんの価値観や視点、枠組みで相手を捉えないようにしたいと思っている。
とても難しいことだが、これからも気をつけていきたい。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
そして「わたしにとってのほんとう」を出すというのもとても大切だったりします。
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