走ることで感じられるもの
引っ越して住んでいるところから、徒歩圏内に大きな公園がある。
引っ越す前は隅田川の川辺に住んでいて、散歩やランニングをする習慣があったので、今も休みの日は気晴らしにそれを続けている。
外出せず運動不足。食生活の乱れ。睡眠不足。
それらがあるだけで、不機嫌になりやすいと聞いて、運動不足解消と、筋肉は使わないと衰えるという原則を恐れて時々走っているが、走っている効果は筋肉以外のところにも感じることができる。
まず身体的なところだと、周囲の音よりも、身体の音の方が大きく聴こえるようになる。
筋肉の伸縮は元より、骨のきしみ、何より呼吸が激しくなることから、じぶんの身体が吸って吐いてを繰り返していることが強く感じられるようになる。
そして精神的なところだと、走行中人とすれ違うときにその人たちにどう見られているかを無意識に意識して、身体に変な力が入っていたり、走るスピードが速くなったり、遅くなったり。
じぶんが他者を、他者とのバランスみたいなものを強く意識していることにも気付けた。
走っているときは、普段できる多くのことができない。
トイレもTwitterも料理も、乗り換え案内も天気も株価の変動も、ほとんどあらゆることができないのだ。
だが、だからこそ感じられるものがある。
聴こえる音がある。
見える景色が、嗅げるにおいがある。
感じ取れるものが変わる。
というのが、走ることの良さの一つであると感じた休みの朝のランニングだった。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
朝の澄んだ空気は最高の贅沢ですよね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?