相手の心

相手がどう思っているか。を考えるとそれはわからないに行きつく。



わからないからこそ、相手が嫌がっている、もしかしたら迷惑していると、どちらかと言えばネガティブに想像し、他者を傷付けないようにしている姿勢を僕は素敵だと思っている。


他者のことを、その気持ちをまず配慮できているからだ。


でもどこかで配慮し過ぎてしまう。みたいなことは起こる。ともまた思っている。


あなたもぜひ来てもらいたいと連絡して、当日会えたその人が呼んでもらって大丈夫だった?と声がけいただくのはもちろん社交辞令もある。

けど過度に心配している人は、こちらのぜひ来てもらいたいという連絡が、その人を不安にさせてしまったかと不安になる。


誘われたときは求められてる。(ネットワークビジネスや営業、あるいは親しくない人からの結婚式の二次会や個人主催飲み会などの会費と箱代のあるものは除く。)

と僕が思うのは、僕はじぶんが誘うとき、来てもらいたい人、会いたい人しか誘わないからで、反対にじぶんが行くときも嫌だけど仕方なく行く。みたいなことがほとんどないからだ。


だからこそ相手の心、思っていることを勝手に想像し過ぎない。という距離感を大切にしている。


仮にほんとうに思っていることと見せている顔が違うとしても、見せている顔が今のその人の顔だと僕は思いたいのかもしれない。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
信じ過ぎるか、疑い過ぎるなら、信じ過ぎる方でありたいものです。





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