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作れると思えること

高校生の時に、映画をよく観ていた。

それはTSUTAYAでたまたま借りた『CUBE(https://g.co/kgs/FFwcYs)』という映画を観たのがきっかけだった。

もともと僕は原点回帰、いわゆる幸せの青い鳥のような、ほんとうは手の中にあったのか。という作りの物語に弱い傾向があり、このCUBEもその類いの映画ではあった。


しかしCUBEが与えた衝撃は物語とか映像だけではなく、「映画がじぶんで作れる」と思えたことだった。

ターミネーター2やトイ・ストーリーはおもしろいけれど、映画を作るプロが作る映画で、セリフやシーンの細部はこういう方がおもしろいのでは?など意見もあるが、じぶんで作れる、撮れるとは夢にも思えなかった。


実際CUBE自体も低予算で作られ、閉じこめられた正方形の箱から次の正方形に移動し、背景の色が違う無数の正方形が連なる空間を移動する。
その中での人間ドラマが醍醐味で、幾度となく移動しているが、正方形の内部のセットに背後から当てる光を変えれば違う空間に移動したかのように見せられ、実際はほぼワンセットのようなものだし、起きたら閉じ込められている設定なので、衣装もメイクもほぼいらない。


こんな世界をペン一つで、または映像にしてしまった技術と想像力に感嘆する、手も足も出ない。というのがプロなのだと思う。

しかしいい意味でじぶんにも作れるかもしれないと思わせてくれる作品も僕はプロフェッショナルな仕事だなぁと思えてしまう。

だってそこには、ああいうものをじぶんも作りたいという憧れが根底にあるのだもの。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
憧れられるってなかなかできないぜ。
プロフェッショナルって憧れられることなのかもね。


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