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ないことであることを想像させる

経済合理性のみを考えて作られた家や家具、日用品や料理やサービスにボクらは囲まれて暮らしている。



日頃それに対して疑問を持つことは少ないのだが、歴史ある街や古い建造物がある街などに行くと、ボクらの暮らしの中で未来の人々が残したいと思ってくれるものはあるのだろうか?と不安に思ってしまうことがある。



そもそも古いものが脈々と受け継がれるというのはどういうことなのか?



それはそこ(建物でも机でも食器でも道でも)に何かを想像させる力があるからのように思う。



枯山水というのは砂や石の道を見て、そこに水が流れていたことを想像させる、かつてそこにあったものを想像させる表現であるが、起きていることは同じことではないか?



意図のあるもの、かつての人の思い、美意識などを感じるからこそ、古くて脆いもの、機能性では劣るようなものも守ろうと思える。



かつてを想像してしまえば、それらと共に過ごすじぶんたちのことも想像でき、じぶんたちが去りて後もまた想像されるだろうと想像もできる。



守ろうと思えるもの、守られてきたものは、人の想像力を刺激してきたものたちなのかもしれない。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
故人の部屋を片せないというのは記憶と想像力の賜物ですよね。

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