欠損と想像力
彫刻のサモトラケのミケやミロのビーナスのように欠損にこそ人の想像力は掻き立てられる。
破れた窓ガラス、打ち捨てられた炭鉱の島、かつて国があった遺跡。
存在していた気配がするのだが、そこにあるはずのものが無いとき、人はその存在を忘れられない。
昔タイムマシンの話をしていたとき、平成の世にタイムマシンが来ないのは、世の中が平和で見たい光景や会いたい英雄がいないからだ。
乱世ではないからだ。
というのを聞いたことがあった。
でも今思えばそれ以外にも気になることがある。
それが冒頭に書いたサモトラケのニケやミロのビーナスの欠損を見て思うことで、ボクらの時代は記録が残されすぎている。
文章も音声も映像も、ありとあらゆるものが記録されているから。
だからこそ未来の人たちはボクらの時代に興味が持てない。
ボクらの時代は欠損がなく、いろんなものが記録、残され過ぎているから。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
残そうと思って作られた日記より、残ってしまった日記の方に後世では価値がありそうです。
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