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ぼやかせたものは染み入る

スピッツが好きな人は多い。

だがどんなところが好きなの?と聞かれるとハッキリと答えられる人は少ないと思う。

それはスピッツの歌詞が抽象的で、ハッキリさせないようにぼやかしているからだ。

だが、このぼやかしていることが曲を聴いた各々の主観に響き、そのそれぞれの光景を思い出させてくれるから、スピッツの曲というのは、多くの人に届くのだと感じている。

例えば『君が思い出になる前に』という曲のワンフレーズ目は、こう始まる。

「あの日もここではみ出しそうな君の笑顔を見た。」

ん?と思う。説明しているようで、まったく説明していない。

だけれども、多くの人にはこの一行で、じぶんなりの映像が浮かぶはずだ。

そしてこう続く。

「水の色も風のにおいも変わったね。」

やっぱりハッキリしないのだけど、かつてじぶんが見た景色、嗅いだにおい、感じた思いなどの主観をくすぐる歌詞で、やっぱり映像が浮かぶ。

僕はこの繰り返しがスピッツで、それぞれの人の主観に届く歌詞、そしてその歌詞にのせた声とメロディーがあるおかげで、スピッツの曲は人々の心を動かすものとなっていて、多くの人の人生の瞬間に染み込んでいるのは、あえてぼやかしているおかげだ。

ハッキリしたものが好まれる世界、すぐ役立つものが重宝される昨今。

それらはその瞬間は刺激も強く、効き目も強い。

だが時が経ったとき、それらを思い出すか?また味わいたいと思うか、と言われればそんなことはないはずで、それらは消費されてしまう。

また味わいたいものというのは、入口では分かりにくく、ぼやかしてあったとしても、スピッツの歌詞のように主観に届いて、人生の瞬間に染み込んでくるようなもののことをいうのだと思う。

あんまりハッキリさせない、ぼやかしておく。

という曖昧な姿勢のこともどうか愛してあげてください。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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