「大嫌い」もおもしろがる

ルイヴィトンが大好きという人と、ルイヴィトンが大嫌いという人の話しは平行線に終わる。



なぜなら大好きな人はルイヴィトンがたくさん欲しいし、いつも身に付けていたいと思っている。

反対に大嫌いな人は欲しくないし、身に付けてはもちろんいないし、下手したら見たくもない。



対立する意見なので交わるところがなく、平行線で終わるのは至極当然の結果だ。

だがだからといって二人がまったく違う人間かと言えば、僕はそんなことはなく、むしろ二人は似ているとさえ思う。



どこが似ているのか?

それは「ルイヴィトンを意識している」ということ。
つまり同じものを意識しているというところは似ていて、その表出される感情や行動に差があるだけ。

この二人が仲良くなれないのは同じものを大嫌いと大好きだからではなく、お互いの違いを知ろう、知りたいと思っていないからのように見える。


大好きだと言う場合トラブルにはなりにくい。

けど大嫌いだとトラブルになりやすい。

でも人にはそういうものだっていくつもある。

なんだかアレルギーに感じてしまうもの、受け付けないもの、拒絶してしまうもの。


でもそれはあなたがそのことに意識してしまう何かがじぶんの中にあって、嫌いという拒絶の反応が出ているに過ぎない。

どうか大好きのように、大嫌いももう少しだけおもしろがってみてはいかがでしょう?


大好きと大嫌いってきっとそこまで遠いものではないですよ?



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
無関心の方が大嫌いより遠いところにおる気がしています。

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